24 《23歳・14》
駅の改札前で加奈に会った。加奈は颯介に気がつくと、小さく頭を下げるようにしてうつむいた。
「……これ」
加奈が颯介の前にキャッシュカードを差し出した。
「勝手に使って……本当にごめんなさい」
ゆっくりと差し出した颯介の手に、加奈の冷たい指先が一瞬だけ触れる。
加奈の足もとには、大きな旅行バッグが置いてあった。このまま電車に乗って、遠くに逃げようとしているのかもしれない。
「嘘ついてて……ごめんね」
加奈がひとり言のようにそう言って、重たそうなバッグを手に持った。
颯介は、黙ったまま加奈を見る。すっと視線をそらす加奈の横顔には、痛々しい痣があった。
「殴られたのか? その男に」
加奈はわずかに口元を緩ませ、小さくうなずく。颯介はそんな加奈の手に、さっきのカードを握らせた。
「必要なだけおろしていいから。その金使って、どこか遠くに逃げろよ。俺は一緒に行けないけど……」
かすかに踏切の音が聞こえてくる。帽子を目深にかぶって、顔を隠した加奈の頬を、涙が伝わっていくのが見えた。
「……ありがとう。あとで必ず返します」
嘘泣きかもしれない。このあとどこかで男と待ち合わせて、ふたりで金を山分けするのかもしれない。
それなのに、どうしても加奈のことを憎めないのは、なぜだろう。
璃子のことを想いながら、加奈と付き合っていたという罪の意識? 違う、それだけじゃない。
もしかしたら、一瞬でも加奈のことを、本気で好きだったのかもしれない。
「颯ちゃんのこと、最初に好きになればよかった……」
加奈の言葉が、風に乗って消えてゆく。
「……さよなら」
声にならない声でそうつぶやいて、加奈が颯介に背中を向けた。
――どんなことがあってもね、朝ご飯はちゃんと食べなくちゃダメなんだよ?
どうしてだか、いつかの加奈の言葉が頭をよぎる。今、この言葉を、加奈にそのまま返してやりたい。
「加奈さんっ」
改札を抜けた加奈に向かって声をかけた。
加奈が振り返り、穏やかな顔で颯介に微笑みかける。しかしすぐに後ろを向いて、上り電車の来るホームへ去って行った。
颯介の工場に、警察の人間がやってきたのは、それから一週間後のことだった。
「佐々木加奈さんという方。ご存知ですよね? こちらで働いてらっしゃった……」
わけのわからないまま事務所に呼ばれて、颯介は刑事らしき年配の男から、加奈の写真を見せられた。
「はい……知ってますけど……」
一瞬、加奈が颯介の口座から、勝手に金を引き出したことを思い出した。でもあのことは誰にも話していない。颯介が訴えない限り、そんなことで加奈が警察に追われるわけはないのだ。
刑事は納得するようにうなずいて、加奈の写真をスーツの内ポケットにしまう。そしてそれと入れ替えに一枚のカードを颯介の前に差し出した。
「これ、あなたのですよね?」
それは確かに、颯介が加奈に渡したキャッシュカードだった。
「そう……です」
とてつもなく嫌な予感が、頭の中を急速に渦巻く。
「あの、加奈さんが……どうかしたんですか?」
刑事は深く息を吐き、そして顔を上げて颯介に言った。
「亡くなったんです」
「え……」
「殴られて、首を絞められた跡があったため、殺人事件として捜査をしています」
心臓の鼓動が速くなった。膝の上に置いた両手が小刻みに震える。そんな颯介の様子を鋭い目で見つめている、刑事の視線を感じた。
「あの……僕、疑われてるんですか?」
「そんなことありませんよ。関係者の方、全員にお話を伺っているのです」
そう言って刑事が、テーブルの上に出された麦茶にゆっくりと手を伸ばす。
「まぁ笠原さんは、加奈さんと特に深い関係にあったようですけど……でもあなたには、加奈さんが殺害された夜、この工場で働いていたという証拠がありますから……」
やっぱり疑っているんじゃないか……そんなことを思いながら、目の前にあるカードを見つめる。すると最後に見た、加奈の穏やかな笑顔が浮かんできて、息ができないほど苦しくなった。