22 《23歳・12》
「もー! お兄ちゃんてば!」
真帆の甲高い声が耳に障る。
「加奈さんにフラれたのか何なのか知らないけどねっ。一日中ごろごろするのやめてくれない? マジで暑っ苦しいっての!」
寮にひとりでいるよりも、こうやって妹にどやされているほうが心地いいなんて、かなり病んでるって自分で思う。
真帆は昨夜颯介が食べた、カップラーメンのカップを片づけながら、暑い暑いと言って、ベランダの窓を大きく開く。
「ねぇ、お兄ちゃん。ずっとうちにいるけど、仕事行かなくていいの? まさか、クビになったわけじゃないよね?」
「お盆休みだよ」
それは嘘ではなかった。八月の半ば、社員は一週間休みをもらえる。
真帆は信じているのかいないのか、微妙な表情をしてから、洗濯物を干し始める。颯介はぼうっと、そんな真帆の後ろ姿を眺める。
窓からかすかな海風が入ってきた。冷房のきいていないじっとりとした部屋に、一瞬だけさわやかな空気が舞い込む。
「あのさ……お兄ちゃん?」
いつの間にか手を止めていた真帆が、ベランダで振り向いて、どことなく潤んだ瞳で颯介を見た。
「もしかして……璃子ちゃんに会った?」
真帆は「璃子」という名前を少し言いにくそうにつぶやいた。そしてどうしたらいいかわからないといった表情で、遠慮がちに言葉をつなげる。
「あ、あの、あたしね。この前璃子ちゃん見かけたから。璃子ちゃんが……男の人と歩いてるとこ……」
黙ったままの颯介の前で、真帆はわざとおどけたように笑顔を見せる。
「彼氏かなぁ? なんかけっこう年上ぽかったけど……でもお兄ちゃんには加奈さんがいるから、関係ないよね?」
「加奈とは別れたよ」
驚いた顔をして、真帆がぽかんと口を開けている。まさか本当に別れたとは思っていなかったのだろう。
「それから璃子といたのは彼氏だよ。今、一緒に暮らしてる」
「……本当に?」
「本当に」
信じられないけれど。信じたくないけれど。あのうさんくさい修一というヤツの話が、どこまで真実なのかもわからないけれど……。
だけど、璃子が見せた母子手帳だけは、消すことのできない事実なのだ。
「お兄ちゃん……璃子ちゃんに会ったから、加奈さんと別れたの?」
「そういうわけじゃない」
「嘘だよ。お兄ちゃん、まだ璃子ちゃんのこと好きなんでしょ? だから加奈さんと別れたんでしょ?」
「そんな簡単なことじゃないんだよ!」
気がついたら真帆が泣いていた。颯介の隣にぺたんと座りこんで、嗚咽を漏らして泣いていた。
「真帆……なんでお前が泣くんだよ」
真帆は両手で涙をこすりながら、途切れ途切れにつぶやいた。
「だって……だって、お兄ちゃんには、幸せになって欲しいんだもん。お兄ちゃんは……あたしの、お父さんとお母さんみたいなものだから」
だからって、そんなに泣くなよ? 泣きたいのはこっちのほうなんだから。
真帆から顔をそむけて、片手だけを伸ばして、その柔らかな髪をくしゃくしゃっとかきまぜた。小さい頃、泣き虫だった真帆に、いつもやってあげていたように……。