17 《23歳・7》
ドンドンと玄関のドアを叩く音。誰だろう……真帆はさっき学校へ出かけたし。無視しようとしてタオルケットを頭からかぶった颯介に、加奈の声が聞こえてきた。
「颯ちゃん! いるの? いるなら開けてよ!」
少し考えた後、のろのろと体を起こす。真帆の読みかけの雑誌がちらかった和室を抜けて、玄関に行きドアを開ける。すると待ち構えていたような加奈が、部屋の中へ飛び込んできた。
「どうしたの! 何回も電話したのに! 仕事は来ないし寮にもいないし……昨日だってずっと待ってたんだからね!」
まくしたてるようにそう言って、どことなく潤んだ瞳で颯介を見上げる。
「……ごめん」
「ごめんじゃないよ。人にこんなに心配させといて」
加奈の体が颯介の胸に飛び込む。そしてその体をぎゅっと抱きしめた後、すぐに体を離して、颯介の額に手を当てる。
「具合でも悪いの? 熱は? 朝ご飯は食べた?」
「熱なんかない。食欲もないけど」
「だめだよ。ご飯はちゃんと食べなくちゃ」
そう言って、台所のあたりをきょろきょろと見回す。
「勝手に何か作ってもいい?」
「……べつにいいけど」
「どんなことがあってもね、朝ご飯はちゃんと食べなくちゃダメなんだよ?」
加奈は子どもに諭すように言いながら、冷蔵庫から卵とハムを取り出した。フライパンを火にかけ油を回し、手際よく卵を割りいれる。
「ねえ、颯ちゃん?」
ぼんやり突っ立っている颯介に、背中を向けたままの加奈が言う。
「今度の休み暇?」
じゅわっという音がして、香ばしい匂いが狭い部屋に充満する。加奈は振り向いて、颯介ににっこり笑いかける。
「暇だったら行こうよ、花火大会。ね?」
無邪気な加奈の笑顔を、まともに見ることのできない自分がいた。
梅雨の明けた蒸し暑い夜、颯介は加奈と一緒に花火を見た。
次々と夜空に広がる菊の形を見上げては、加奈が驚きの声を上げたり、うっとりとため息をついたりしている。
垂れ下がるように落ちてくる、銀色の光をぼんやりと眺めた。何を見ても、誰といても、うわの空になっている自分に、颯介はとっくに気がついていた。
「颯ちゃんてさ」
夜空を見上げたままの加奈が言う。
「妹さんの言うとおりだね。『何考えてるかわかんない』って」
隣に座る加奈を見た。堤防の上に腰かけて、足を意味もなくぶらぶらとさせている。
「まぁ最初から、颯ちゃんのそういうところに、母性本能がくすぐられちゃったわけだけど。でもやっぱりあたしには、なんでも話して欲しい」
真っ直ぐ前を見て、毅然と話す加奈は、いつだって正しい。そんな加奈の前で、こんな気持ちでいる自分は、情けなくて恥ずかしいと思った。
「……小さい頃、近所に住んでた女の子とここで花火を見たこと、思い出してた」
加奈がゆっくりと颯介に振り向く。
「小学生のガキのくせに、ずっとこうやって隣にいたいなんて思ってた」
「……やだな。そういうこと、今、このタイミングで言う?」
颯介の隣で加奈がふふっと笑う。
「なんでも話して欲しいって言うから」
「言ったけど……もうちょっと空気ってものを読めないかなぁ?」
加奈が両手を前に組んで伸びをしながら、しょうがないなーこの子はー、なんて言う。
大玉が上がって歓声が沸いた。胸の奥底に響く、どーんという重苦しい音。
「颯ちゃんは、その子のことが好きだったんだ?」
どこからともなく沸いてくる拍手に紛れて、加奈の声が聞こえてくる。
「もしかして今でも……その子のことが、好き?」
夜空に視線を向ける加奈の横顔に、いつしか璃子の横顔を重ねている。
「好き……かもしれない」
もう会いたくないと言われたのに……つらいことを思い出させてしまうとわかっているのに……颯介の頭の中は、璃子のことでいっぱいだった。
璃子に会いたい。なんであの時、追いかけなかったのだろう。幸せなの、と言った璃子の笑顔が、嘘だって思ったのは、思い込みなんかじゃ絶対にない。
「そっか……やっぱり好きな子いたんだね」
加奈が自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「ごめん……加奈さん」
いいよ、と軽く言った加奈は、颯介のことを見なかった。
花火大会のクライマックスを告げる、スターマインが打ちあがる。
観客から沸き起こる歓声の中で、加奈の指先が颯介の指をきゅっと握った。