14 《23歳・4》
「初めまして。佐々木加奈と申します」
にっこり微笑んだ加奈の前で、真帆と母親が唖然としていた。
「ちょっ……うそ。お兄ちゃんが女の人連れてきた」
「まぁやだ。来るなら一言言ってちょうだい。もう、颯介ったら」
「あ、いえ、お構いなく。あたしすぐに帰りますから」
ねっ、と言って加奈が颯介を見る。
「そんなこと言わずにお夕飯でも食べていって。なんにもないけど」
母がそう言いながら部屋をばたばたと片づけ始める。こんなにあわてた様子の母は珍しい。そんなに自分は驚くようなことをしているのだろうか。
「ほんとにいいよ。もう帰るから」
加奈がどうしても颯介の家族に挨拶をしたいというから、しかたなく連れてきた。
挨拶? ああ、そうだった。
「あのさ。俺たち一応付き合ってるから。それだけ言っておこうと思って」
母が手を止めて颯介を見る。真帆がにやにやしながら、やるー、と言っている。
「ねぇねぇ、家族に紹介したってことは、結婚するの? お兄ちゃんたち」
「え、それは……」
真帆に迫られて、颯介が隣の加奈を見る。加奈はえへっと笑って、真帆に言う。
「それは、颯ちゃん次第かな? あたしはいつでもオッケーなんだけど」
「キャー、もうそんなところまで話進んでるんですかぁ?」
「進んでないって。ただ付き合ってるって言っただけだろ」
「だってねー? お母さん?」
真帆の声に母がちょっと首をかしげて言う。
「でも……加奈さんでしたっけ? ずいぶんお若く見えますけど……」
「あ、ごめんなさい。若く見えても、あたし颯介くんより三歳も年上なんです。それから、離婚経験もあるんです」
「え?」
母の顔色が変わった。馬鹿だな。いきなりそんなこと言わなくてもいいのに……。
「そう……ご結婚されてたの……あの、お子さんは?」
「子供はいません。ただそのことは、ちゃんとご家族に伝えておいたほうがいいと思いまして」
加奈はきっぱりとそう言い切って、にっこり微笑んだ。ぼんやりと突っ立っているだけの颯介の背中を、真帆がぼんっと叩く。
「よろしくお願いします! あの、お兄ちゃんって、何考えてるかわかんないところあるから……でも、加奈さんみたいなしっかりした人だったら、絶対大丈夫だと思います!」
「ええ、そうよね。お母さんもそう思うわ」
「わあっ、そうですか? ありがとうございます!」
なんだかやたらと盛り上がっている三人を横目に見ながら、颯介は玄関に出て靴を履く。
「あ、それじゃあ。突然、お邪魔しましたぁ」
加奈が真帆たちに手を振って、部屋を出た颯介の後をついてきた。
「あはっ、なんかすっきりした」
階段を下りながら加奈が言う。
「ずっと気になってたから。あたしがバツイチだってこと」
自転車の鍵を開け、夕闇の中で加奈を見る。加奈はいつものように、颯介に微笑みかけた。
「家、狭くて驚いただろ?」
「ううん」
加奈が首を横に振る。
「よかった。颯ちゃんの周りはいい人ばかりで」
さりげなく視線をそらして、自転車にまたがる。
「乗りなよ。後ろ」
「うん」
加奈が颯介の後ろに乗って、腰に腕をまわす。背中にぴったりくっついた、柔らかな胸のふくらみを感じながら、颯介はペダルをゆっくり踏み込む。
自転車は風を切って走り出し、あの家の前を通り過ぎ、坂道を下る。
「ひゃー、ちょー怖ーい! 颯ちゃん、スピード出しすぎだってばっ」
背中で加奈が騒いでいる。だけど颯介はスピードを落とさずに下り続けた。
吸い込まれそうな茜色の海。鼻をかすめる潮の匂い。この場所は、何年経っても変わらない。変わってしまったのは、自分だけかもしれない。
突き当りを左折して海沿いを走る。いつの間にか黙り込んだ加奈の手を、片手でぎゅっと握りしめる。加奈は何も言わないまま、そっと颯介の背中に頬を寄せた。