悲劇
事態は、意外で、予想外で、予測不可能な方向へと発展していった。
それはほんの些細な、そう、日常的な事柄からだった。生活チームの食料を担当しているチェリーが、水が青白く光っていると言い出したのだ。
この現象を観測チームが調査したところ、驚くべき事実が解明された。
「この水の光は『ニュートリノによる発光』である」と。
恐ろしく大量で高エネルギーのニュートリノが『ランナウェイズ』の船体を突き抜けていたのだ。
早速、放射線防護用の水槽タンクが調べられた。
「うわぁ! 青白く輝いていて、眩しくて目が開けられない」
エンジニアのサナートが水槽タンクから戻ってきて、そう報告したのだった。
太陽から百八十AUに達した頃にはこの現象はひどく顕著になり、更にオペレートルームの機器が時々妖しく光り出したのである。
「これは何なのだ?」
船長は物憂げに探査チームのチーフ、チャンドラに尋ねた。
「恐らくは『UHECR』の影響だと思われます」
チャンドラは重苦しい表情で答えた。
「放射線防御が役に立ってないということか?」
船長は再び、チャンドラに尋ねた。だが、チャンドラはもう二度と口を開かなかった。
そして、遂に由々しき事態が発生した。
サナートが、病魔に冒されて倒れたのだった。彼は観測機器を船外で修理したり、船内の放射線防護を点検していたエンジニアだ。その症状は、放射線障害型の意識障害だった。そして彼の全身の皮膚には、放射線障害特有の潰瘍が出来ていた。
メディカルチーフのユキは、目を伏せて船長に報告した。
「中枢神経の細胞が被曝している状態です。恐らく彼は長くないでしょう」
その後は絶えることなく、放射線障害で倒れる者が続出し、遂にはエンジニアチームの三人と探査チームの三人、航法チームの二人、そして生活チームの一人は、六週間以内に命を落とす結果となった。
彼らは余りにも放射線を浴び過ぎたのだった。ある者は白血病で、ある者は下痢と嘔吐を繰り返した挙句に細菌感染で、ある者は全身の表皮から出血し、そしてある者は目が見えなくなって意識を失い、ある者は小腸の出血で亡くなっていった。
実にクルーの半数である、九名が急性放射線障害で命を落としたのだった。
遂に、船長は勇気ある命令を下した。
「この状況を鑑みて、私は勇気を持って決断した。志半ばで非常に残念であるが、これより帰還シーケンスへと移行する。残ったクルーで、早速準備を始めてくれ」
エンジニアがいなくなった『ランナウェイズ』は、船長と副船長、副官がその代わりを務めて、観測機器の収納、機器のロックを行い、航行チームは現時点から木星のISSBに帰還するための航行プログラムの策定を開始した。また、探査チームは観測したデータを分析する工程に移行し、観測データをセーブする作業も同時に開始した。
ところが、更に追い討ちを掛けるような出来事が起こったのである。
それは『反物質の衝突』であった。
UHECR同士が衝突すると、原子崩壊や原子融合が起こる。特に原子崩壊の時には多量で数多くの種類の粒子が放出されるのだが、その時に「反物質」も放出されているようだった。反物質が放出されても通常はすぐに正物質と対消滅を起こしてしまうのだが、連鎖的に衝突が起こって反物質が集合して反物質の塊になる場合がある。この反物質の塊とランナウェイズが衝突してしまうのだった。
対消滅の反応は等量が原則だ。つまり、反物質の塊と同じ質量分のランナウェイズの外装が消滅する。そして消滅するだけでなく対消滅時のエネルギー放出、つまり爆発でランナウェイズの船体は破壊されていくのであった。
「早く、早く帰還を開始するんだ。我々は無駄死にしてはならない。何とか、何とか……」
それが船長の最後の言葉だった。帰還シーケンスを開始したランナウェイズだったが、残りのクルーたちも瀕死の状態だった。
太陽からの距離がおよそ二百八十六AUの遠心点で折り返したランナウェイズは、少し明るく輝いている深宇宙から最大船速で、太陽を目指して突き進んでいた。