06.この世界に住まうもの
「お、おじいちゃん!」
「だ、大丈夫じゃ!大丈夫からな…!」
馬車のような乗り物には、互いに抱き合う老人と女の子。そして、その前には黒々とした毛並みの熊、体長は3mはある。その巨体はうなり声を上げ、不気味にもその熊の口角がつり上がっている。前傾姿勢まま力を溜め、今にも飛びかからんばかりだ。
俺たちが角を曲がり、飛び込んできたのはそんな光景だった。
そして、先行していた俺を抜いて行くのは、黒と緑の陰。
「ダイナミックお邪魔します!」
鉄の塊に丸めた紙をぶつけても小揺るぎもしないだろう。
質量の違いとは絶対的だ、ボクシングが階級別になっているのも、対等なぶつかり合いを演出するには条件を整える必要性があるからだ。
しかし、それがどうしたと、我が儘を通すのが我が幼なじみだ。
かくして、その跳び蹴りにより黒い熊は宙を舞う。
「あ、あんたたちは…?冒険者か?なにものなんじゃ…?」
「ナデシコよ。…ちなみにあれって保護動物とかじゃないわよね?もしくは白い貝殻の小さなイヤリングとか落とさなかった?」
「ヤマトです。…大丈夫そうだ、ナデシコ。あの熊さん、第二ラウンドをご所望みたいだぜ?」
動物は本能で生きてるが、行動は合理的だ。敵わない敵や、脅威、あるいは正体不明のものに対峙した時、逃げの一手を選ぶ。
しかし、目の前の熊から感じられるのは怒りだ。先の一撃か、自分の楽しみを邪魔されたことかは分からない。
白髪碧眼の老人と金髪碧眼の女の子に背を向け、熊の方へ歩んでいく。
「ヤマト、気をつけなさい。肉を蹴った感触がなかった。なにか堅いものを蹴った感じよ」
「なるほど、いわゆる異世界定番の、魔物ってやつだろう」
明らかに人種が違う老人が日本語を喋っている、あるいは俺たちの耳に日本語として聞こえている。
冒険者なんてベタなワード。オマケは、目の前の魔物。まさに異世界ハッピーセット。
背中の鞄に右手を入れ、木刀と呟く、そのまま引き抜く。
短く自問自答。俺は戦えるのか?ああ、もちろんだ。
ナデシコと知り合い、一緒に遊び始めた頃、ナデシコはしきりに俺の好きなものを聞いてきた。
好きな色、遊び、料理、お菓子、子供らしく好きな番組も。
いつもは外で遊び回っていた俺たちだが、雨の日は俺の家で録画したヒーロー番組を見ていた。
ナデシコもそれをとても気に入り、二人でヒーローごっこを始めるのに時間は掛からなかった。
もし俺たち以外なら、そこには平和な光景が繰り広げられただろう。
だが、ナデシコの天性の身体能力、なぜかその頃から向上した俺の身体能力。
それらをヒーローごっこという形でぶつけ合った結果、地元の山で天狗伝説が誕生した。
時には木の棒をぶつけ合い、縦横無尽に野山をかける。
不思議とひどい怪我はしなかったし、打ち身や擦り傷も数時間経てば治っていた。
ヒーローごっこというよりも、戦いごっこ、試合に近くなっていった。
身体能力で多少劣る俺は負け越していたが、それでも楽しかったし高揚を感じていた。
ある日、たまたま目にした格闘技世界王者決定戦。技巧、試合運び、関心するところももちろんあった、だが遅い。そのときは、テレビで見ていたからだろうと自分を納得させた。
ある日、駅前にあったボクシングジム、スパーリングをやっていた。
ゆっくりとした右ストレート、なぜか躱すことも防ぐこともしない相手は倒れ、鼻血を出していた。
ストレートを放った選手はやり過ぎだと怒られていた。
もし、自分が本気で、ナデシコとやり合う時と同じく誰かに拳を使ったなら…。想像を途中で打ち切り、立ち去った。
そして、力加減は誰より上手くなった、ただの一度も間違えなかった。
「ゴオオオォーッ!」
威嚇するような声に、意識を目の前に戻す。怪我をさせてはいけない相手か、否。力加減は必要か、否。
左手の人差し指と親指で口角のあたりを押さえる。癖でも、ルーティンでもない。
ただ、持ち上がる前に口角を押さえたのだ。目の前の魔物と同じになってはならない。
守るために、ナデシコを一人で行かせないために、戦おう。
両手で取るのは正眼の構え、剣先はブレずに相手に向く。
「ナデシコ、正面は俺が行く、隙があった遠慮なく叩き込め」
「りょーかい、本気で行くわよ!」
待ちきれなくなったのか、熊が駆けてくる。
集中し、構えて、向かいあって分かったことがある。この熊は靄のような纏っている。
全身に行き渡っていたそれは、今は手に、その爪に集中している。立ち上がり、振り下ろされる。
半身で躱す。さらに手の甲に一撃を入れて、より体勢を崩させる。
一瞬、熊の慌てた気配がしたが、それはすぐに消え失せ、自分から更に体勢を崩した。
すなわち、押しつぶし。質量差を利用したごり押し。
「いや、それは悪手でしょ?」
「…ゴッ!?」
俺の背から飛び出したナデシコの蹴りが腹部に突き刺さる。蹴り飛ばされもしない。自身の体重の勢いと蹴りの衝撃が、その臓腑を駆け巡ったのだろう。その痛みを逃がすためか体をくの字に曲げ、大口を開けて、
「これで仕舞いだ」
そこへ俺は、木刀を突き刺す。覚悟した返り血すらなく、堅い何かを砕いた感覚と皮を貫いた感触が残る。
その違和感に、眉を潜めそうになるが、まだ目を反らさない。脳天を貫いたはずだ、どう考えても絶命した。なのに熊の瞳には未だに憎悪が宿っているような気がした。
徐々に熊の体から、靄が抜けていく、質量を失っていく、残されたのは頭頂部に穴の開いた熊の毛皮だけだった。
「……なんだったの、この生き物」
「分からないな、少なくとも今は。…だけどまあ、カッコ良く、はあったんじゃないか?」
後ろから聞こえた老人と少女の歓声、称えるようなその声に振り向いて歩いていく。
二人で自然と拳同士を軽くぶつけた。




