05.むかしのはなし
「それにしても、異世界感がまるでないな」
「赤白帽もつけとく?」
「やめとく」
あれから、俺たちは移動するために着替えた。
二人とも持っていて移動と運動に適した格好、選ばれたのは中学校の頃のジャージ、俗に言う芋ジャージである。芋は芋でも俺たちの代は緑だったので、芋虫の方が適切かもしれない。
つまり、今俺たちは芋ジャー装備で、学校指定バックパックを背負い、林道を歩いている。これなんて林間学校?
進む方向は轍の跡が新しい方にした。進行方向でいうと北北西方面。歩いて1時間ほどたったが、林道に特に変化はない。他に変化といえば、ずっと感じていた空気に対する違和感がなくなっていったことだろうか。心なしかいつもより疲れもない、気もする。
とりとめもない話をしながら、さらに30分ほど歩いた頃、道が西方向に曲がって先が見えなくなったと思っていたが、ナデシコが突然立ち止まった。
「ナデシコ?」
「ねぇ…なにか聞こえない?」
耳に手を当て、進行方向に耳を澄ます。聞いたことない獣の呻き声と……人の悲鳴…?
そして気付く、ナデシコは何かを我慢している。
迷っている、このよく分からない状況、安全は担保されていない。それでも、誰かのために走り出したいと思うのが、俺の幼なじみだ。たとえ、見知らぬ土地、顔も知らない人のためでも。
俺はナデシコの背を叩き、走り出す。
「ナデシコ!カッコ良くいこうぜ!」
「…!当たり前でしょ!」
俺たちの街には、いくつかの都市伝説がある。
曰く、錯乱した大男が町中で刃物を振り回した時、その人物を一撃の元に昏倒させた少女。
曰く、ブレーキが効かなくなった車が壁に激突しそうになった時、車を止めた少女。
曰く、鉄骨が落ちてきた時、それを受け止めた少女。
その黒髪の少女は、公式の記録には残っていない、話の荒唐無稽ぶりに勘違い等で片付けられている。
ピンチの時に現れ去っていくまるで物語の中の存在、それを少なくない人が噂する。
なお、通報や介抱に奔走した少年もいたとか、その後両親にこっぴどく叱られた少女を知るものはごく少数。
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少しだけ昔の物語。
一人の少女が生まれた。可愛らしい少女だった。
人より成長が早く、生後半年で立ち上がり、一年経つ頃には5つ年上の兄とおいかけっこに興じていた。
二年経つ頃には兄も祖父を追い越し、三年経つ頃には両親すら追いつけなくなった。
少女は無邪気に喜んでいた。家族が大好きだった。
四年、同世代の子供に囲まれ、少女は気付く、自分は周りと違うと。
五年、退屈。誰も自分に追いつけない。
聡い少女だった。思うままに振る舞っては、周りの人を壊しかねない。それは良くないことだ。
きっと、周りの子供たちにもいるのだ、心配する家族が。
一人の時間が増えた。思う存分体を使える森の中を駆け巡った。退屈。
早く走れば走るほど、思い出の中に家族の背すら抜き去った。ふと後ろを見れば、誰も居ない。
でもこれでいい、けがをするひとはいない。
ああ、きっと、わたしはひとりでいなければならない。
一人で俯いていると、一粒の水が落ちた。地面に落ちたその一つの跡を、足で踏み消そうとして、
「どうしたの?」
「…!?」
「あ、待って!」
顔をのぞき込んでくる少年がいた。驚いて声が出なかった、気付けば逃げ出していた。
たった数十秒間走ればいい。そうすれば、誰もが自分を見失い、追うことも諦める、はずだった。
「あ!見つけた!」
数分の後、先ほどの少年が来た。また走り出す。同じことを何度か繰り返した。
何度目かの時、ふと気付く。走り続ければいい、そうすれば絶対追いつけない。
なのに、どうして、わたしは立ち止まってるのだろう、後ろを見る時間が長くなっていくのだろう。
そして、とうとう少年の方へ歩き出していた。
「はぁ…はぁ……、やっと…追い、つけた」
息も絶え絶えだ。足元を見れば泥だらけ。腕や膝は、藪で切ったのだろう、擦り傷だらけだ。崩れるように座り込んだ少年の隣に、少女は腰を下ろす。
「…どうして?」
わたしはひとりでいいのに、ひとりでがまんできるのに、がまんしなきゃいけないのに。
「だって…泣いてるから…」
「え?」
「泣いてる子を、ひとりにするのは…嫌だ」
「…っ!」
決壊した、心の中で塞き止めていたものは、ただの一言で崩れ去るほどもろいものだった。
声を上げて泣く女の子を前に、少年は慌てるばかりだ。
「わわ!えっと…」
「ぐすっ……わ、わたし…いっ……なで、しぃ、こ…」
「ん?なでしこ、ちゃん?どうしたの?けがしてるの?」
それはあなたのほうだ、と少女は思い、訂正もしなかった。
けがをしているのがいやだ、無意識の内に抱きついていた。
わたしのせいでけがをさせた、その事実に胸が張り裂けそうになる。
「えっと…大丈夫、大丈夫だよ?」
自分が泣いた時の記憶をたどった故の行動だろう。少年は少女の背を撫でる。
少女の胸に甘い痛みが広がった、家族にも同じことは数え切れないほどされた。そのどれより心地いい。自分の心ががほどけていく。涙はいつの間にか止まり、少年もそれに安堵していた。
…故に、二人とも、少年の怪我が直っていることに気付かず、怪我をしていたこともやがて忘れた。
すっかり日が暮れた頃、少年に手を引かれ少女は帰宅を果たしていた。
その頬の赤さを夕日故に少年は気付けなかった。
「ここがなでしこちゃんの家?」
「…うん」
「びっくりした、ぼくの家のこんなに近くだなんて。ばいばーい」
少年は手を離し、自分の家に歩いて行く。
少女の手は名残惜しむようにその背を追う、言いたいことがあるのに唇が震える。小さくなっていくその背へ耐えきれず声を上げる。
「あ、あの、名前ー!」
「あけやまとぃー!またねー!なでしこちゃん!」
「うん!うん!またねー!………あけ、やまと?…やまと、やまと!」
初めての感情をくれた少年の名前を、刻むように何度も口ずさむ。
歌だった。それは、ほんの小さな恋の歌だった。
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