34.その夢からの目覚め、あるいは朝の小さな群像劇
これはある日を境に時々見る夢だ。
手には『何か』を握っている。
俺に迫り来る黒い影、それが放つ白い刃を弾き、あるいは払い、時にいなす。
時に黒い影は姿を変え、動物のようにも、あったことのない生き物のようにも変わる。
飛び退き、避け、隙をつく。
その影がどんな形をとろうとも、最後だけは二択に収束するのだ。
斬る。手を、足を、胴を、首を。
突く。胴を、胸を、首を、頭を。
それが終われば、黒い影を見下ろす。特に何の感慨もない。
一つの荷物を運び終わったような作業感。
手の中の『何か』は満足げに唸る。
全く、起きればどうせ忘れるのだが、あんなにいい入眠からのこれは酷い。
今日くらい、穏やかな夢を見たかった。
例えばそう、桜並木で手を繋ぐとか。
ほのかに手の平が暖かな事に気付いた。その暖かさをたぐり寄せれば、夢の出口に続いていることを理解した。
その後に、頬に暖かな光が当たった。なかなか起きないこちらを責めるようだった。
鼻の奥に、柔らかな香りが広がる。不意に現れ遠ざかる、それを追う。
手の中の『何か』はそれを咎める事もなく、むしろ快く送り出したようにも感じた。
「おはよう、ヤマト」
「…ああ、おはよう、ナデシコ」
目を覚ます。ナデシコがベッドに腰駆けていた。俺の両腕は俺のベットにある。お互いに寝起きはいい方だ。一足先に起きたナデシコが戻したのかもしれない。
身体を起こす。昨日は、『夢も見ずに』ぐっすり寝たと言うのに、若干の気怠さが残っている。
昨日の濃度を考えれば無理もない。眼を擦り、あくびを一つ。
今更ながら、異世界の今の季節はいつだろう。朝だが、肌寒くもなく、昨日の昼間は熱くもなかった。
太陽も見慣れた方向、東から昇っている。昨日は月も出ていた。どれも既存の知識と合致している。なのにここが異世界という前提を置くと、まだまだ知らない事が多すぎる。
一方ナデシコは元気そうだ。今は立ち上がり、こちらに背を向け、全身を伸ばしている。
その背からは、昨日の大胆は発言の気恥ずかしさなど微塵も、うかがえない。
朝のストレッチは身体にいい。俺もナデシコに倣い、ぶつからないようにストレッチ。
気怠さもマシになり、意識もはっきりしてきた。そのまま示し合わせた様に背中合わせの着替え、ベッドを整え、アメリアちゃんから教えて貰った水道に向かい、身支度を整えた。
それから戻って、『取り寄せバックパック』に使用した歯ブラシなどを戻した頃、居住階から足音がする。小さなそれは一人分、おそらくシャーロットさんだろう。
「じゃ、お手伝い、いきますか」
「だな」
俺たちはお客様ではない、出来る限り手伝おう、と昨日の時点でナデシコと示し合わせていた。
異世界二日目のスタートだ。
「そう言えば、朝、私のベッドに手があったけど、アンタってそんなに寝相悪かったっけ?私も握ってたみたいだけどさ」
居住階にあがる際、ナデシコはあっけらかんとそう言った。
「…ナデシコ、昨日の夜どこまで覚えてる?」
「え?『明日はもーと楽しくなるよね』くらいで寝たけど、なんかあった?」
「いや特になにも。すまん、ちょっと忘れ物した、先に向かってくれ」
「はいはい、先行ってるわ」
物音を立てないように静かに、でも速やかに部屋にUターン。そのまま、昨日使った枕を手に取り、顔を埋めた。
「――――!!」
お前が忘れるんかーい!!
都合のいい記憶喪失を起こす主人公に対して、癇癪を起こすヒロインの気持ちが分かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
困った、ちょっと世界が煌めいている。
ナデシコは、起き抜けの自分の思考に自分で呆れた。
目覚めは最高だった。
目が覚めた時に、両手の中に一番欲しいものがあった時の気分を想像してほしい。今日はクリスマスでもないのに、プレゼントをもらった気分だ。そう、『なぜか』幼なじみの手がこちらのベッドにあったのだ。
カーテンの隙間からの日差しすら輝いて見えた。空気は澄み渡り、頭は冴える。
思い出すのは、昨日の事なのに何度も心の中でリフレインした記憶、先ほどまでいた夢の中でも同じ行為、同じ台詞の再生を繰り返していた。無論、その後の下りは大幅カットして。
惜しみながら、その手を持ち主のベッドに返す。なのにその手の平に置いた指がなかなか離れない。
仕方がないので、そのまま視線を上に上げ、手の持ち主を見る。
横向きだが、その寝息は穏やかだ。きっと音を立てるその口が悪いのだ、視線は唇へ至る。
半分開いたそれは、繰り返し息を吐く。その唇が少し乾燥してることを知っている。
10年来の付き合いなのに、まだ知らないことがあった事に心が躍る。
手の平指はいつの間にか離れた、自分の身体がいつのまにか前傾している事に気がついたのは、その時だ。
いけない。そう思ったが、冷静に考える。昨日、不意打ちをもらった自分は、やり返していいのではないだろうか、と。目には目を歯には歯を、紀元前18世紀から言われてる理屈だ。
ならば、やるべきことをやり、しかる後に離脱。即ち、蝶のように舞い蜂のように刺す。モハメド・アリもこう言ったという。理論武装は完了した、もはや無敵。
顔を近づける、音を立てるようなヘマは犯さない。
しかし、顔を近づけたことで、罠が発動した。舌だ、開いた口から中の舌が見えた。
その豊かな想像力は暴走する。
もし、昨日よりもっと深い行為をしてしまえば、自分はどうなるのだろうか、と。
色合いからしても、まさにトラップカードだ。
理論武装という名の装備カードは無残に破壊された。なんという奇襲。
顔に血液が集合した。冷静な判断を下していた司令部は、今や熱暴走に巻き込まれたのだ。
撤退と進軍の命令で錯綜。混乱、混線の中、一つの折衷案が走った。
即ち、頬への一撃。
親愛の意味もあるそれは、いざというときでも、顔を覗いていたと言い訳にも転用可能。まさに起死回生の策。これをもって本作戦の完了とする、全会一致の可決だった。
そう、お気づきの通りナデシコは混乱の渦中にあったのだった。
かくして、その作戦は実行された。
自分の唇が頬が触れた、なんとも言えない満足感、充実感が胸を満たす。鼻腔をなぞる、落ち着くようで心臓の鼓動を早めるその香り。
「……ん…」
「…!?!?」
小さな呻きに血の気が引いた、自分でも驚くほど速やかに撤退作業は完了した。
「おはよう、ヤマト」
「…ああ、おはよう、ナデシコ」
赤面は血の気が引いたことにより、相殺され普段通りの顔色となった。その後動揺を悟られない為、後ろを向いて行ったストレッチに対しても、違和感を持たれなかった。そう、勝利したのだ。
身支度を終え、『なんという事もない』雑談を交わしながら階段を上る。その途中、ヤマトが忘れ物をして部屋に戻って行った、その背中を見送り、
「……なにやってんだろ、私…」
壁に体重を預け、ため息が一つ。ヘビィー級の恋はみごとに、続いている。そっと、自分の唇をなぞった。
少女はようやく、自分の行動を顧みられる程冷静になったのだった。それが不幸か幸いかは別にして。
寝ているヒロインにちょっとした悪戯をして、自己嫌悪に浸る相手役の気持ちを、少し理解した。
そんな少女の異世界二日目が始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




