30.月下に誓う、違える事なき、この約束
連れてこられたのは、昼間の裏庭。俺の格好はピンバッチ以外同じ、ナデシコの格好は町歩きと同じものの、今は髪を結んでいない。赤いリボンは手首に巻かれている。流れる黒髪は夜の闇に紛れない、月光を反射し、存在感を放っている。繋いだ手は放された、ナデシコはそのまま三歩ほど進む。
かぐや姫、縁起でもない単語が浮かんだ。
「ねぇ、お店屋さんなんてどうかしら?」
明るい声だった。こちらを振り向かないまま、ナデシコは言葉を続ける。
「異世界の知識で大もうけ、定番よね。最初はアレクさんのお店で商売を学んで、アーテナイへの願いでお店を貰うの。きっと楽しいわ。もう、戦う必要もないもの」
「……なにを、言って…」
「ああ、戦いたかった?だったら、『双杖』の二人と組んで四人パーティ、きっとすぐにAランク間違いなしよ。私たちが前衛で、二人が後衛。いろんな冒険をするの。Sランクはあるのかしら?だったら、お金もたんまりね」
「……おい、ナデシコ…?」
「いきなりの冒険は不安?だったら、アーテナイへの弟子入りも有りね。二人で人間なのに、アーテナイの両腕なんて呼ばれるようになって…」
「待てよ、なあ」
魔法、魔術、スキル、チートなんでも使って高校生活を取り戻す。そう言ったじゃないか。
俺たちに大人しく異世界スローライフなんざありえねー。それに同意したじゃないか。
「この世界って、ホントに自由だわ。なんでも出来る。私たち、最強になれるわ、きっと」
「なんで……」
この世界に、残りたい、のか…?
いや、違う何かを耐えている。ナデシコの肩と声が震え始めた。
三歩、あまりに遠い。それでも、一歩踏み出す。もう一歩で、手は届く。
「それに比べて、元の世界、現実って本当に不自由だわ。悪いやつを捕まえのに怒られるし、私が本気で運動したらみんなドン引きよ?なのに、なのにね…」
肩に手を掛けた、振り向かせる。抵抗はなかった。ナデシコの顔がこちらを向く、
「帰りたい…帰りたいよ……ヤマト…」
あまりにも、儚い。今にも消えてしまいそうだった。
振り向いた時に宙を舞った涙は、場違いな程綺麗で月から零れたようだ。
見蕩れる暇はなかった、直ぐさま抱き留めた。どこにも行かないように、身体の熱を分けられる様に。
でも、その熱は、ナデシコの心にまでは届かない。
「楽しみだった本があるの。欲しかったものがあるの。約束があったの。お姉さんにお化粧を教えてもらう予定だったし、中学との友達と遊ぶ約束だってしてたわ…」
涙は、止まらなかった。自身の無力さに嫌気が差す。
「おじいちゃんとおばあちゃんとのお茶会、お兄ちゃんに教えてもらうおすすめアニメ……」
それでも、抱きしめる手は緩めない。
「あとうさんと…おかあさんに……会いたい……」
弱音の洪水は止まらない。こうして抱き留めて居ないと崩れて消えてしまいそうだった。
「でもね…でもね………。我慢できるの、私のことなら……。現実に居ちゃいけない、力だったもの……」
「そんなこと…!」
ないだろ!当然のようにそう言おうとして、ナデシコの視線に止められた。
その色を知っている。かつて、一度、初めてあったあの日、俺の怪我を見た時の眼の色だ。
「あの時、校門で手を取ってくれた、ヤマトを……巻き込んだ………」
愕然とした。ナデシコは、俺を巻き込んだと思っていた…?
「ごめんなさい……ごめんね、ヤマト…帰りたいよね…?あの時、手を放してれば、よかったのにね。……なんでもするわ…なんでもさせて…お願い、お願いします…わたしをゆるさなくていい、優しくしないでいい、嫌っていいから…」
「ナデシコ!おい!…ナデシコ!」
眼を反らしたナデシコは言葉を繰り返す。怒られた子供のようだ。二人の身体の間に手を差し込み、引き離そうと暴れる。だが、その力は弱く俺を引き剥がせない。俺はナデシコの両肩を掴んで揺さぶる。それでも、自分に対する呪詛は止まらない。止めなくてはならない、今すぐ止めたいのに…!
「私なんて…!消え」「ナデシコ!」
言わせる訳にはいかなかった。それだけは。
―――チュッ
唇を塞いだ。こうでもしないと止まらないと思ったからか。それを、ずっとしたいと思って居たからとった手段だったのか。一瞬、ナデシコの身体が硬直する。でも、すぐに弛緩し、眼は閉じられた。身体の間の手は、力なく下ろされ、その後に俺の背中に回された。
その時間は、永遠だったのか、一瞬だったのか。気がつくと少しだけ月の作る影が動いていた。
二人、背中に手を回したまま、見つめあっていた。
「ナデシコ、俺は勇者だ」
「いきなり、何を…」
「お前を救うのが俺の使命だ」
「なによ……それ…」
「お前だけの勇者だ。俺が決め、俺に誓って、この指名を絶対に果たす。なにがあろうが変わらない。例え、世界が変わっても、だ」
「…!」
「あの時、手を放してたらだって?そんなの、すぐに追いかけるに決まってるだろうが!お前の居る世界を見つけ出して、速攻でそこに行く!だから助かったぜ!あの時手を繋いでくれてな!」
図らずも、声は大きくなった。というか、ムカついてきた。なにを勝手言ってやがる、この幼なじみ。
「だって……!」
「だって、じゃない!て言うか、現実に居ちゃいけない?ふざけんな!お前がいないと困るんだよ!俺が!」
「ヤマト…!」
「つーか、なんでここに来たのがお前主導になってんだ。主人公は俺だ!お前はヒロイン!」
「こ、このバカ……!」
「いやか?W主人公でもいいぞ?ていうか、多分この先、俺一人だと確実に積むので、助けてください!」
「は、はあ、てゆうか、最後まで格好つけなさいよ!」
「格好つけるさ!お前と二人でならどこまでもな!」
「世界が違っても!?」
「世界が違ってもだ!」
「命懸けで!?」
「懸けない!お前と生きる!」
ナデシコの眼から、涙が零れる。その涙は呪詛の氷を溶かすような、暖かさだった。
「……私を、ひとりにしない…?」
「独りにしない」
「ずっと一緒?」
「ずっと一緒だ」
「…しょうがない、わね」
「ああ、しょうがないだろ。お前に出会えたんだから。もう、お前より大事なものなんてない。でも、俺を大事に思ってくれるお前の為、俺も俺を大事にするよ。だからさ」
「…私も私を大事にしろ、って?」
「ああ、約束できるか」
「してあげるわ。私の勇者様…」
異世界の月は、澄み切った夜空に浮かび、煌めいていた。俺はそれを、ナデシコの瞳越しに見た。




