5話 剣術のお勉強
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訓練場には、バチン、バチンと乾いた木刀の音が響き渡っていた。冷たい石壁に反響して、まるで戦場の真ん中にいるかのような錯覚を覚える。
剣技――それは貴族にとって欠かせぬ嗜みのひとつである。
貴族に生まれた男児は幼き頃より剣を学び、やがては一般の騎士を凌ぐほどの腕を得る。誰もが剣を修めるのは、ただ護身のためではない。
剣の冴えはそのまま家の威信に繋がり、社交の場での評価を左右する。
ゆえに、多くの貴族の子弟は自家に仕える騎士を師とするか、あるいは名の知れた剣豪に稽古を願い出る。
特に次男や三男は、家を継がぬ分、剣の道で身を立てるために懸命に励む。
結果、貴族全体の剣術水準は高く、腕前を誇ることは一種の“ステータス”として扱われていた。
ローゼン家当主アルドリックも、次男セイラスに剣術を学ばせたいと考えていた。
魔道具に関心を示したことは喜ばしい。しかし道はひとつである必要はない。
むしろ複数の武器を持つことこそ、この混沌の時代を生き抜く術だと彼は信じていた。
――魔道具の学びを妨げると思われるのは避けたい。だが、我が子が傷つくことはもっと嫌だ。
そう考えながら、アルドリックはセイラスにふさわしい師を探していた。
兄ルシアンに付けている騎士は通常業務が忙しく不可能。他の騎士の経歴書に目を通し、誰に任せるか逡巡していたときだった。
「私がセイラス様の稽古相手になりましょうか?」
不意に声をかけてきたのは、老執事デザフであった。
「……お前は剣士なのか?」
「ええ。一時期、王室近衛におりました」
アルドリックは思わず目を見開いた。王室近衛――それは王を護る精鋭中の精鋭。
縁故で入ることは許されず、実力のみで選ばれる、剣士たちの頂点。宮廷魔導士と並び称される存在だ。
「お前が剣を握る姿を、私は一度も見たことがないぞ」
「私の現役時代は、あなたのお父上――エルンスト様が当主であられた頃のことですから」
思えば、父エルンストの親友として屋敷に仕え続けてきた男。誠実な働きぶりは長年目にしてきた。疑う理由はない。
「……それならよろしく頼む。ただし、通常業務をおろそかにせぬようにな。
それと、セイラスの基礎がある程度進んだら、ルシアンとともに稽古をさせてやってくれぬか?
兄弟で高め会える関係というものはとても大切だ」
「心得ておりますとも」
デザフは口元をわずかに吊り上げた。その笑みに、老獪さと余裕がにじむ。
後日、セイラスは執務室に呼び出された。
扉を叩き、静かに入室すると、すぐに父とデザフが現れる。
「呼び出して悪いな」
アルドリックの言葉に、セイラスは声の代わりに深く一礼した。
世間話を少し交わした後、父は本題を切り出す。
――貴族にとって“ステータス”は何より大事だ。その中でも剣術は手っ取り早く、確かなものだ。
いずれ剣を学ぶよう言われていたため、セイラスは驚かなかった。だが師匠の名を聞いた瞬間、思わず目を見開く。
「お前の師は、このデザフだ」
まず頭に浮かんだのは、「この人が剣を?」という驚き。次に、普段は背中を丸めた御老体に似つかわしくない、分厚い筋肉の存在に気づく。
セイラスは礼をし、筆談で’’よろしくお願いします‘‘と伝えた。
父は続ける。
「こいつは元王室近衛騎士だ。私の父――つまりお前の祖父の旧友でな。実力は保証しよう。もっとも、私自身はこいつが剣を握るところを見たことはないが」
王室近衛がどれほどの存在か、セイラスには詳しくわからない。
けれど、目の前の老人から漂う“魔力の濃さ”は感じ取れた。まるで雨に濡れた土が放つ匂いのように、重く深い気配が。
こうして師弟関係は始まった。
◇
訓練場に立ち、木剣を握る。だが、その前にまず座学。剣の歴史、構えの意味、そして心得。
「剣術を教える前に、二つ覚えていただきたいことがございます」
デザフの声は低く、響いた。
「まず――剣術とは人を傷つけるものです。人を守るため、助けるためと言う者もおりますが、私はそうは思いません。剣は危険であると、決して忘れないでください」
セイラスは瞬きを忘れ、真剣に耳を傾けた。
「次に――剣を交えたなら、立ち合いであっても油断は禁物」
「実戦ならばなおさらです。迷わず無力化しなさい。必要のないものは……殺してください。人も魔物も、死にかけの時が一番恐ろしいのです」
老執事の瞳は氷のように冷たい光を帯びていた。普段の温厚な笑みからは想像もできない表情に、セイラスの背筋が粟立つ。
その後、基礎体力づくり、剣の握り方、素振りへと移る。
木剣を握った瞬間、手のひらが引き裂かれるように痛む。腕はすぐに重くなり、膝が震える。だが、デザフは容赦なく声を飛ばす。
「あと十回だ! 膝を伸ばすな!」
汗が滝のように流れ、視界がぼやける。いつもは好々爺にしか見えない師の眼差しは、まるで戦場に立つ鬼神のようだ。
日が沈む頃、ようやく稽古は終わった。ぐったりと館に戻り、シャワーを浴びる。熱い湯が筋肉を焼くように沁みて、思わず息が漏れた。
机に向かい、今日の気づきを震える手でメモする。明日への期待と恐怖を混ぜ込みながら。
だが、気づけば眠気が容赦なく襲い、ベッドに倒れ込む。レナの食事が待っているのはわかっていたが、まぶたはどうしても持ち上がらなかった。仕方ないよね。
しばらくして、食堂に来ない主を心配したミレーユが部屋を訪れた。
「……まあ」
そこには小さな寝息を立てるセイラスの姿があった。頬はほんのり赤く、髪はまだ湯気を含んでいる。
「お体が冷えてしまいますよ」
そっと布団をかけ直し、乱れた髪を撫でる。ランプの光に照らされたその横顔を見つめながら、ミレーユは安堵の微笑みを浮かべた。
翌朝、セイラスは全身の筋肉が悲鳴をあげていることに気づいた。腕を上げるだけで痛みが走り、階段を下りるたびに足が笑う。
それでも、昨日の訓練の中に感じた楽しさは心に残っていた。
――辛い。でも、もう一度やりたい。
そう思える不思議な感覚。
セイラスは魔法陣をいじりながら、次の稽古の時間を指折り数えて待つのだった。