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ここでは本来、産声が聞こえるはずであった。体温は感じられる、水の音は聞こえる、しかしそれだけだ、立ち会っている男、産んだ女、周りの人々の顔色は冴えない。
もう一度言おう産声が聞こえないのである。
時は少し遡る。
子が生まれる。それは喜ぶべきもだと私は思っている。ましてや自身の愛しい人...リアとの子ならばそれは言葉では表しきれん。
ルシアンのとき、あの愛らしい笑顔を向けられただけで心はずんだと言うのに今回は耐えられるだろうか?いやどうなってもいいではないか!とアルドリックは心の中で叫ぶ。
するとノックの音がし、アルドリックが許可すると執務室に老人の声が響いた。
「御主人様、奥方様のお体に変化があり、出産が間近と見受けられます」
アルドリックはねぎらいの言葉をかける
労い終わるとすぐに部屋を出た。普段なら貴族らしく優雅に歩く彼も今は速歩きをしている。
部屋につくと産婆が出産の手伝いをしているところだった。アルドリックはベッドに横たわる女に近づき手を握りながら声を掛ける。
「ついに生まれるのだな!」その声は喜色に富んでいた。
女は彼に微笑み、彼も微笑み返した。少しすると、女はうめき声をあげ、産婆が頭が見えてきたと言った。無意識に女が、アルドリックが、握る力を強めていく。
......無事、緒を切ることができた。その場にいる全員が少し安心したのもつかの間、聞こえてくるはずのものが聞こえてこないことに気づく。
そう産声だ。
確かに赤子は水につけられたり、出されたり、パシャパシャという水の音は聞こえる。体温は感じられているらしい。しかし聞こえないのだ。
すると女が叫ぶ
「セイラス! 声を聞かせて! いきをして!」
先程までの疲れていたが笑顔が見えていた顔はどこに行ったのか必死に叫ぶ。顔色が良くないこともあり、近くで静かに立っていた従女が「イザベラ様」と心配そうに駆け寄る。
産婆は焦る。自身が担当した赤子、ましてや大貴族に数えられる伯爵家の息子の出産を失敗したとなれば、最悪死刑が待っている。
それを除いたとしても子ども好きである産婆からすれば経験したことがあるとはいえ、悲しい気持ちにもなるし、数十日、数ヶ月、もしくは一生そのことを思い浮かべて苦しむだろう。
アルドリックは祈ることしかできない、そんな無力な自分を攻めていた。愛しのリアが襲いかかる激痛を耐え抜き、愛しい我が子が産まれたというのに、その子が息をできていないところをただ見ることしかできない。
四半刻たった。そこにいた者たちの願いは叶わず、静寂に満ちているこの部屋で不意にアルドリックが声を上げた、異様な点に気づいたからである。
それはもう息をできずに亡くなったと思われた我が子の心臓の音...鼓動が聞こえてきたというものだった。
確認をするために自身の耳を我が子の胸へと当てる.......ドクッドクッとリズムを刻む音が聞こえる。アルドリックはすぐに我が子を妻の、イザベラの耳へと持っていく。イザベラがセイラスの心音を聞くと泣いてしまった。
無理もない、死んだと思っていた子が元気な心音を聞かせてくれたのだから。
静寂が終わりを迎える。ときにすると僅かだったが、直近でアルドリックがここまで長いと感じたのは一つもなかった。今回のことは一生忘れることはないだろう。
いい意味でも、悪い意味でもである。
この日アルドリックは、絶対にこの子を守り通すと心に、家族に誓った。産まれた時から言葉を発せない少年、セイラス。
魔法が存在し、戦場、領地での顔である貴族。見た目が派手で、使えさえすれば脅威になる。そんなものが、使えないのだから。
いや使えはするが酷く効率が悪く他と比べると発生までの時間が圧倒的に遅いから。そんな理由があるものは、優越感を好む貴族にとって、上位の貴族を妬むものにとって標的にされてしまう。
家族を愛する彼はそれが許せなかった、そして彼にとっては運良くセイラスは次男
であった。
魔法に興味を示せば必ず傷を追う、ならばかかわらないその他の道を示してやればいいと考えた。
それからローゼン家では別館の整理や、求人などを始めた。
その館には子どもがいるはずなのに、何の音もしない.....”静寂”
そこに当てられた使用人は元気なものが一人のみ。
だがこの日、沈黙を宿す子――セイラス・ローゼンが誕生した。
その静寂は虚無ではない。小さな心臓の鼓動と、家族の誓いが確かにそこにあった。
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