第11話 高みを目指して
予言された森の出口へと舞い降り、バレッタとふたり身を潜めた。
ただ、しばらくすると――
『ディジエたん:ロスタル、ハイトリンは既に森を抜けています』
『ロスタル:早すぎないか!?』
『ディジエたん:森林渡りだけでなく、森林飛びを使ったようです』
『ロスタル:森の主に頼んで別の主の森まで飛んだのか。双方説き伏せるとは流石ハイトリン』
『ディジエたん:感心している場合ではありません。近くの町で、複数の男性と合流します!』
『ロスタル:なんだって!?』
『ディジエたん:郷士の屋敷ですが、ならず者の集団を抱えていて近隣から娘を攫って売っているようです』
『ロスタル:わかった。誘導してくれ』
オレとバレッタはディジエの神託に導かれ、町の一角にある広い庭を持つ屋敷へと降り立った。
「何者か! 無断で立ち――」
バタン――と胸当てと兜を身に着けた男は倒れる。オレの放った昏倒の魔法をまともに食らったのだ。
「そんなのでいちいち眠らせる気?」
「仕方が無いだろう。魔術はどれだけ効果の範囲が広くともせいぜい20尺までだ。壊さずに屋敷全体をどうにかはできない」
「あなたは力を得てから、何でも自分で解決しようとするようになったわ。悪い癖よ。少しはあたしたちに頼りなさい」
「いやしかし、君は妊婦なんだ。安静にしていてくれ」
「妊婦舐めないでよね! 地母神様の祝福が二人力なんだから」
「しかし……」
バレッタはオーバーコートを脱ぎ捨てると、螺旋の舞を踏み始めた。それは生命を寿ぎ、地脈から竜の力を引き出す舞だった。バレッタの足元からは渦巻き状に草や木が芽吹き、地脈からの力をなぞるように成長していった。
「麻痺の霧よ!」
カツリ――とバレッタが踵を打ち合わせると、一瞬で敷地も含め、屋敷全体を覆うように霧が立ち込めた。建物の中にまで。霧はしばらくの間そこに居座り、やがて消えていった。
「――行きましょうか」
そう言って先へと促すバレッタにオーバーコートを羽織らせ、オレたちは屋敷の中へと踏み入った。
◇◇◇◇◇
「何かと思ったらバレッタだったの?」
広い部屋には男たちの体液を浴びた、いくらかバレッタに似た裸の女が立ち尽くしていた。
周囲には下半身を出した男が十人は横たわっている。
「ハイトリン、君と話をしにきた」
「あなたと話すことはもうないわ」
ハイトリンは擬態を解き元の姿へ戻ると、抑揚のない冷たい声でそう言った。
以前の鈴のような楽しげな、あの同一人物とはとても思えないような声で。
「いや、オレは話したい。君が何を求めていたのかを知りたい。君が求婚を受けてくれた時の笑顔の理由を知りたい。そして…………オレのことを愛しているのかを知りたい」
「あなたのことはもう愛していないわ、ロスタル」
「昔はそうじゃなかったろ?」
「そうね、昔はそうじゃなかった。何もかもが楽しくて、あなたのことを大好きだった気がする」
「いつからだ? いつから変わってしまった?」
「たぶん…………あなたが力を得た時から」
「あのとき君は寂しそうな顔をしていた。けれど理由は教えてくれなかった」
「ええ、あなたを困らせたくなかったから。――――だけどもうどうでもいい。教えてあげる。それはあなたが私の何もかもを軽く超えてしまったからよ」
「それが理由か…………」
「何年もかけて高みを目指したものが、急に詰まらなくなってしまったの。わかる?」
「ああ。オレも勇者の力を軽く超える君に似た思いを覚えたよ」
「あなたのは祝福でしょう。私のは自分で得た力よ」
「そうだな。だから君を倣ってオレも頑張った」
「ええ、あの頃は最高に楽しかった――――そう思ったことだけ覚えてる」
「求婚のとき、あれだけ喜んでくれたのにどうして」
「バレッタよ」
「あたし?」
「そう、バレッタ。あなたに教えて貰ってロスタルに勝とうと思ったの。無敵のロスタルでもベッドの上ではバレッタに負けるわ。だからその上に立ちたかったの。だけど私にはバレッタの気持ちもロスタルの気持ちも全く理解できなかったし、教えて貰おうにもバレッタはロスタルへの興味を失っていったわ」
「ハイトリン……」
「ハイトリン、すまない。オレは頑張ろうとしたんだ……」
「そのうちロスタルも私に興味を失っていった」
「それは違う! オレもバレッタに相談しようと――」
だが、バレッタが離れていったのはオレが行動で示さなかったのが原因だ。
つまりはオレがそもそもの原因……。
「私は代わりに教えてくれる相手を探したの。最初はたぶん、ロスタルに勝ちたかったはず。だけど不思議なの。どの男もすぐに飽きがきて、どんどん新しい刺激を求めるようになったわ。だからロスタル、今はあなたの事なんかどうでもいいの」
「ハイトリン…………」
「ハイトリン、あなた間違ってるわ」
言葉を失くしたオレに変わって、バレッタが語気を強めて言った。
「何が間違ってるって言うの?」
「あなたのやり方よ、間違ってる。――じゃあ聞くけど、あなたの目指すのはどこ? 高みに立てたの?」
「ううん。技術を身につけ、追及していくほどに高みはどんどん遠のいていくの」
「当たり前でしょ。高みなんて無いもの。あるとしたらそれはふたりで見つけるものなのよ。ふたりで大事に育てていくものなの」
「だってバレッタは……」
「あたしのはお役目。あなたのこれとは違うわ。……あたしは最初の男のときに祝福が顕現したわ。だから昨日……ロスタルとしたのが本当の初めてになるの。これからふたりで育んでいくのよ。だからハイトリンもロスタルと――」
大きく頭を振りながらハイトリンは叫ぶ。
「私はロスタルにはもう何も感じないの! あとはもう男を貪り続けるしかないの!」
「ハイトリン……」
オレがハイトリンに近づこうとすると彼女は一歩下がる。
逃げられる――そう考えたオレは、戦時のように踏み込んだ!
ただ、ハイトリンがオレの踏み込みの勢いの激しさでバランスを崩す。それを受け止め、抱きしめた。
「その力、ずるい」
「ああ、でもおかげで逃げる君を抱きしめられた。皆で手に入れた力は、家族を守ることにこそ使いたい」
汚れた顔を拭ってやると、いくらか表情の緩んだ彼女が居た。
「ロスタル……もし過去をやり直せるとしたらやり直したい?」
「ハイトリン、オレにだって後悔はある。だがもしそんなことができるとしても、オレは今の君を大切にしてあげたい」
「ありがとう。自分で積み重ねてきたモノが無意味だったら悲しいものね」
「そうだな」
「じゃあ私を導いてね。あと、私の鍵は腰骨と脚の付け根と腋だから、覚えておいてね」
「どういう……意味だ?」
「元に戻すんだよ。願いの魔術の触媒と帰る場所はもう用意してある」
「ハイトリン!?」
「そんなことはしなくていい、今のままでいいんだハイトリン」
「私がそうしたいの。お願い、今を超える私に育ててね。お願いだよ」
あの頃のような、鈴の音のような声でそうハイトリンは言った。
「わかった」
「ロスタル!?」
バレッタが悲鳴にも似た声でオレの名を呼んだ。だが――
「わかったよ、ハイトリン。今以上の君に、ふたりで……いや、四人で頑張ろう」
「うん、ありがとうねロスタル」
ハイトリンは光に包まれていた。同時に、オレの聖剣も輝きを放ち始めた。既に何らかの魔術を起動したのだろう。この世には合言葉で起動するような魔術の掛け方があった。ハイトリンは天才だ。そのくらい、造作もない事だろう。
光になったハイトリンはその瞬間、ふっ――と軽くなってオレの腕をすり抜けた。
光は聖剣へと吸い込まれるようにして消えた。
「ロスタル、これって……」
「わからない。だが屋敷に戻ろう。家族の帰る場所だ」