一 形見の剣
――世界は、パンから滅んだ。
かつて人類が最先端の科学を誇っていた時代。
巨大企業が開発した小型加速器で行われた極秘実験は、「人類文明を象徴する物質」を対象に選んだ。
数千年にわたり人々を養ってきた糧――パン。
だが、その粒子を極限まで加速させたとき、観測不能の現象が生まれる。
未知の素粒子は崩壊し、やがて重力の塊――ブラックホールへと変貌した。
それは瞬く間に膨張し、都市を、大陸を、文明そのものを呑み込んだ。
数百年の時が流れた。
辛うじて生き延びた人類は、荒廃した世界を耕し直し、石を積み、火を灯し、再び文明を築いた。
やがてブラックホールから生成された未知の物質――「マナ」と呼ばれるエネルギーを発見し、それを操る術を磨き上げた。
こうして剣と魔法が支配する時代が幕を開けたのだ。
その均衡を守る存在として、人々は七つの特別な武器を仰ぎ見た。
“七賢武者”。
七つの賢武器を操る者たちによって、かろうじて世界は保たれていた。
だが、そんな伝承めいた話も、辺境の村に住む少年アルトにとっては遠い出来事に過ぎなかった。
夏の終わり、澄んだ青空の下。
村を囲む畑では小麦が黄金に輝き、風にそよいで波を打っている。
アルトはいつもなら、その景色を眺めながら師匠と剣の稽古に汗を流しているはずだった。
だが、その日――彼は走っていた。
胸に突き刺さるような報せを聞き、頭が真っ白になったまま。
――師匠が、死んだ。
それは信じ難い言葉だった。
カイエン。村で最も強く、最も頼りがいのある剣士。
幼いころから剣を教えてくれた恩師であり、憧れそのもの。
あの逞しい背中が、もう二度と見られないのか――。
息を切らして駆け抜けた道の先、村の外れにある屋敷の庭には黒衣の人々が集まっていた。
重苦しい空気が流れ、低く抑えたすすり泣きが耳を打つ。
空はいつしか灰色の雲に覆われ、今にも雨が落ちてきそうだった。
アルトは足を止め、喉の奥がひりつくのを感じた。
それでも震える足を前に進め、葬列の中に身を置いた。
棺の前に立つと、胸が締めつけられた。
そこに眠るのは、かつて笑いながら剣を振るっていた師の顔。
だが今は静かに瞼を閉じ、永遠の眠りについている。
アルトは手を合わせ、必死に言葉を探した。
「……ありがとうございました、師匠」
それだけ言うのが精一杯だった。
「アルトくん」
背後から声をかけられ、振り返る。
そこにいたのは師匠の妻、セラだった。目は泣き腫らし、声も掠れている。
それでも彼女は無理に笑みを作り、アルトに小さな包みを差し出した。
「これを……彼から託されています」
差し出されたのは、一通の封書と、布に包まれた細長いもの。
ずしりと重みが手に伝わる。剣だ、とすぐに分かった。
「師匠から……俺に?」
「ええ。あなたに渡してほしいと。……どうか、大切に」
アルトは言葉を失ったまま、震える手でそれを受け取った。
師匠がなぜ自分に剣を残したのか、その理由は分からない。
ただ胸の奥で、何かが軋むように痛んだ。
葬儀が終わり、夜。
アルトは自室の灯りの下で、師匠の手紙を開いた。
『アルトへ。
もしこれを読んでいるなら、私はもうこの世にいないのだろう。
お前に残すのは一振りの剣だ。ただの鉄ではない。その声を、必ず聞くことになる。
その時、お前は選ばれるだろう。恐れるな。歩め。
――カイエン』
読み終えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
ただの剣ではない? 声を聞く?
意味を測りかねたまま、布を解き、剣を取り出す。
それは鈍い銀色に輝く、片刃の長剣だった。
柄には古びた紋章が刻まれ、刃には淡い光が脈打つように走っている。
アルトは思わず呟いた。
「……すげぇ。これが師匠の形見……」
その時だった。
『おい、小僧。勝手に触るな』
はっきりとした声が、部屋に響いた。
アルトは反射的に辺りを見回したが、誰もいない。
ただ、手の中の剣だけがある。
『そうだ。ここだ。お前の手の中だ』
「……う、うそだろ。剣が、喋った……!?」
目を見開くアルトに、剣は低く笑った。
『カイエンの弟子か。あの頑固者も、ようやく私を託す気になったか……。
いいか、坊主。これからお前には、知るべきことが山ほどある』
剣の声は不気味なほど落ち着いていた。
アルトの鼓動は早鐘のように鳴り、全身に汗が滲む。
「な、何なんだよ、お前……!」
『名を問うか。ならば教えてやろう。私は“賢武器”の一振り――』
その瞬間、窓の外で雷鳴が轟いた。
稲光が部屋を照らし、剣の刃が妖しく輝いた。
『そしてお前は、この声を聞いた瞬間から……抗えぬ運命の渦に足を踏み入れたのだ』
アルトは息を呑んだ。
理解も納得もできない。ただ確かに、剣の言葉は真実を告げているように思えた。
師匠が残した剣。
その声が語る“運命”。
アルトの物語は、今ここから始まる――。