第9話「暗闇の航路」
1945年3月9日 21時、サイパン島・アイランダー基地。
滑走路の誘導灯が静かに輝く中、銀色の巨体が次々に夜空へ舞い上がっていく。B-29スーパーフォートレス、300機以上の巨大編隊――史上最大の単一爆撃行動が始まっていた。
「エンジン順調、上昇完了。編隊合流良好。」
副操縦士のサム・リード中尉が報告する。
機長マイケル・コリンズ大尉は、ヘッドセット越しに次々と入る無線の声を聞きながら操縦桿を微調整した。
「了解。予定通りの航路を維持する。」
機体は高度約1500メートルを保ち、日本本土へ向けて北西の闇夜を進んでいく。
深夜の洋上は完全な暗闇だった。
月明かりも雲に隠れ、周囲の視界はほとんどゼロ。
唯一の目印は、他のB-29の航法灯がわずかに赤く点滅しているだけだった。
「まるで何百の幽霊船が列をなして進んでるみてぇだな……」
爆撃手ジョージ・マクレラン軍曹が呟く。
「これが戦争か……まるで現実感がねぇ」
通信士のビル・ハドソンも静かに応じた。
機内は静寂だった。エンジンの重低音だけが一定のリズムで鳴り続けている。酸素マスクも必要なく、搭乗員たちはヘッドセット越しに短く必要な確認を交わすだけだった。
やがて機内に警告灯が点灯した。
「航法標識・ビーコン受信確認」
航法士のマルコム中尉が座標を読み上げる。
「間もなく日本本土進入。現在地点、父島南西約100キロ。目標到達まで約2時間。」
「了解」
マイケルは短く応じた。緊張感がじわじわと上昇していく。
艦内の誰もが知っていた。
今夜の作戦は、これまでの精密爆撃とは違う。敵の都市を、民間も含めて丸ごと焼き払う作戦だ。
「もし撃墜されても、救助は絶望的か……」
ジョージがボソリと呟いた。
「いや……生き残れば、もはや英雄だ」
サムが冗談めかして返すが、誰も笑わなかった。
海面に映る光も、星明りもない。
ただ長く、重苦しい洋上の夜が続く。
そしてその先――
日本本土の陸地が、ゆっくりと闇の中から現れ始めようとしていた。
その頃、日本本土各地では、まだ誰もこの夜の異常事態に気づいてはいなかった。
だが、もう間もなく。
史上最大の空襲が、歴史の歯車を狂わせ始める。




