第76話「投弾成功」
1945年3月22日 ドイツ上空・ハノーファー南方・第8空軍所属B-24編隊
B-24「リバティ・ベル」機内に、エンジン音が重く響き渡っていた。
上空22,000フィート──曇りがちな春の空を貫き、爆撃編隊が東へと進路を取る。
「目標前方、ハノーファー操車場確認!」
爆撃手のリード軍曹が双眼鏡をのぞきながら叫んだ。
操車場の広大なヤードには、貨物列車が数編成停車していた。
兵站壊滅を狙った今日の攻撃目標だ。
「対空砲火……来ます!」
副操縦士オルセン少尉が低く告げる。
爆撃航路の左右に、黒い綿のような破裂痕──88ミリ高射砲の曳光弾がゆるやかに散らばり始める。
だが、その密度は以前より明らかに薄かった。
「……ずいぶん散発的だな」
リードが眉をひそめた。
「もはや奴らも、まともに撃てる砲弾が足りなくなってきたんだろう」
機長のサム・マクリー大尉が淡々と答えた。
「左舷、弾幕間欠!」
砲手のマニング伍長が報告を上げる。
爆撃高度を維持しながら、編隊は寸分の狂いもなく直進を続けた。
以前なら迎撃に出ていたメッサーシュミットやフォッケウルフの姿も、もうほとんど見当たらない。
「爆撃開始カウント──スタンドバイ!」
リードが息を飲む。
五秒、四秒──
「投弾!」
機体腹部の爆弾倉が開き、鈍重な鉄の塊が一斉に空中へ吸い込まれていった。
500ポンド爆弾群は、点のような姿となって落下を続ける。
わずか数秒後、遥か下方の大地で火柱が上がった。
操車場の中央部で連続爆発が走り、線路が捲れ、貨車が吹き飛ばされていく。
「戦果確認、中央命中!」
リードの声が弾んだ。
編隊は旋回を開始し、爆煙の立ち昇る市街地を左手に捉えた。
「よし──破壊良好だ」
サムが静かに頷く。
「ドイツも、いよいよ終わりに近いな……」
オルセンが安堵の息を吐く。
「しかし奇妙ですよ」
サムがわずか振り向く。
「……ああ、こちらでは爆弾は爆弾だ。太平洋は……噂だが、妙な話も流れてるらしい」
その瞬間、後部銃座から無線が入った。
《こちら後部。敵戦闘機影なし。退避航路クリア》
(完全制空権だ……)
爆撃任務は順調そのものだった。
だが、その順調さが却って不安を呼び込むのは、兵士の常だった。
リードが、ぽつりと呟いた。
「大尉……最近、太平洋が妙だって噂、本当ですか?」
「太平洋?」
「ええ。日本本土で、爆弾が効かなくなってるとか──訳のわからん話が出てるらしいですよ。太平洋戦線が膠着し始めたって」
オルセンが軽く笑った。
「どうせまた与太話さ。今はドイツだ。こっちを片付けりゃ、ようやく家に帰れる──」
だが次の瞬間、言葉を噛み潰したように止めた。
「……いや、違うか。ドイツが片付いたら、今度は俺たちが太平洋送りってやつかもしれんな」
機内が一瞬、重たい沈黙に包まれた。
サムは前方の雲を見据え、静かに言った。
「……頼むから、そうならないでくれよ」
眼下には、まだ煙を上げ続けるハノーファーの廃墟が広がっていた。




