第75話「奇妙な甘味物資」
1945年3月20日 中国大陸・上海郊外・陸軍支那派遣軍補給司令部
上海郊外の補給集積所に、内地からの大型輸送船団が到着していた。
第2軍補給廠に所属する輸送将校・柘植大尉は、慌ただしく書類をめくりながら積み荷の内容を確認していた。
「……次は甘味物資だと?」
倉庫内では、兵士たちが次々と木箱を積み下ろしていた。
焼印には「内地経由・特別輸送」と押されている。中を開けると──
「これは……砂糖菓子か?」
整然と並んだ金平糖、キャラメル、ゼリー状の塊、粉状の砂糖片。
色も形もまばらで、市販品とは微妙に異なる。
「大尉殿、どういう物資でしょう? こんな大量の甘味、南方でも受け取ったことがありません」
副官の田村中尉が怪訝な顔を向けてくる。
「……内地からの急送品だ。詳細な説明はついていない」
柘植は積荷伝票を睨んだ。
そこには小さくこう記されていた。
『内地空襲地域より回収せる甘味物資、危険検査済、配給転用許可済』
田村中尉が声を潜める。
「空襲地域から? アメリカ軍は本土に、甘味を撒いているのですか……」
「どうやらそうらしい」
柘植は唇を噛んだ。
「既に本土では、この異様な甘味が大量に降っているという報告を聞いた。夜間に昼間だ、今までにないくらいの大規模な空襲があったらしい、しかし…落ちてきたのは大量の飴玉や砂糖玉だったと……」
「何の目的です?」
「分からん。敵の心理作戦だろう、試されているんだよ、我々にはこんなに食料があると見せつけているんだよ。まさに食糧供給を攪乱する新兵器か何かだな……。あるいは何らかの毒物混入も疑われていたが、今のところ危険性は確認されていないらしい」
田村は苦笑した。
「敵は甘味で降伏を促そうとでも?」
「最終国防圏内まで攻めとられ…なめられたものだな──」
別の倉庫では、既に配給試験を受けた兵士たちが小箱を開けていた。
甘味の香りが漂い、飢えた兵士たちは歓声を上げている。
「すげえ……こんな甘い飴、いつ以来だ……」
「このゼリー、内地でも食ったことがねえぞ」
「貴様ら! 配給許可前に口に入れるな!」
憲兵が怒鳴ったが、満たされぬ前線の空腹はそれすら抑えきれなかった。
軍医たちは隣室で淡々と分析を続けていた。
糖分、成分は純度の高い砂糖系統──特に異常物質の混入は発見できない。
検査結果が報告書に並ぶたび、却って疑念は膨らんでいった。
(本当に、爆弾の代わりに甘味を撒いているのか?──いや、何か意図があるはずだ)
柘植は静かに呟いた。
「……常識では測れぬ戦争になりつつある。敵の狙いが、我々にも分からなくなってきた」
「何か変わりますか…」
田村もまた、半ば冗談のように、だがどこか不気味さを帯びた声で言った。
遠くで、荷役兵たちが笑いながら砂糖玉を頬張っている。
不気味な「甘味戦線」の影は、静かに大陸戦線にまで浸透し始めていた。




