第7話「出撃前整備」
1945年3月9日 午前、サイパン島・アイランダー基地。
まだ朝日が昇りきらぬ滑走路に、銀色の巨体がずらりと並んでいた。B-29スーパーフォートレス。総勢300機を超える史上最大級の爆撃編隊が、今まさに準備を整えていた。
整備兵のジョセフ・ランバート軍曹は、汗ばむ額を手の甲で拭った。
「くそ……今日は規模が違いすぎる……」
ナパームを充填したM-69焼夷弾が、次々と大型貨物車で運び込まれてくる。整備員たちは無駄口も叩かず、黙々と弾薬搭載作業を続けていた。
「注意しろよ、流し込む時にこぼすな!」
班長が叫ぶ。
ナパームは高粘性の液体だった。ドロリとした赤褐色のそれは、まるで濃厚なシロップのように重く流れ込んでいく。
その重量も桁違いだった。
一機につき約7トン分の焼夷弾が搭載される。搭載作業だけで何時間も要する。
「今日は燃料も満タンだ。片道2,500キロ、帰還を見越せ」
補給班の中尉が叫ぶ。
給油ホースからは航空ガソリンが勢いよく流れ込んでいた。爆撃機の腹はどんどん膨れ上がっていく。
「この量のナパーム、全部落としたら……どうなるんだろうな」
隣の新兵がぽつりと呟く。
ジョセフは工具を置き、ほんの少し空を仰いだ。
遠くには、別のB-29群がエンジン始動試験を行っている。あの音が、今日だけはいつもと違って聞こえた。
「……日本の都市が火の海になるんだよ」
低く呟いた彼の声に、新兵は黙り込んだ。
格納庫脇では、航空弾薬統括のハロルド・ハインズ少佐が、最終搭載リストを確認していた。
「全機積載完了状況を報告しろ。」
副官が即答する。
「第73、第313、第314爆撃団、搭載率98%完了。出撃予定時刻に遅れなしです」
「よし……遅れるなよ。今日の作戦は時間がすべてだ。」
正午を回る頃、全機体の準備が整った。
滑走路の先には、銀翼の要塞が果てしなく並ぶ。
見上げた空には、もう春の陽射しが眩しく降り注いでいた。
風は穏やかだった。作戦日和としか言いようがない天候だった。
ジョセフは静かに作業を終えると、そっと機体の側面を叩いた。
「頼むぜ、ベイビー。無事に帰ってこいよ……」
だが、その胸の奥にはどこか説明できぬ不安が渦巻いていた。
今日は、何かがいつもと違う気がしてならなかった。
その頃、司令部ではルメイ少将が淡々と命令書にサインを入れていた。
『Operation Meetinghouse 発令』
そして、誰もまだ知らない。
明日、この戦争が常識を超えて"おかしな"姿へと変わり始めることを――。




