第68話「栗林中将 異常現象に直面す」
1945年3月15日 午後――
硫黄島・日本陸軍地下壕 司令部作戦区画
地中深くの司令壕内に、暗く湿った空気が充満していた。
わずかに揺れる裸電球の光の下、栗林忠道中将は作戦盤の前に立っていた。
参謀の市川大尉が淡々と報告を続ける。
「閣下、昨晩も第七夜襲斬込隊が突入。敵陣内を一時攪乱し、三名負傷、一名行方不明。」
「……負傷者三名、いずれも銃創・砲弾破片創は認めず。打撲・捻挫のみ。」
栗林は無言で報告書に目を通す。
分厚い紙束はすでに何枚も積み上がっていた。
「敵火力は依然、圧倒的でありましょう?」
「はっ。機関銃網・擲弾砲ともに常時射撃しております。」
「……されど、命中せぬのです。」
栗林の眉間が僅かに動いた。
「奇跡が続いておるな。」
「僥倖とも言えますが――現象として理解は困難であります。」
福田少佐が慎重に進言する。
「……閣下、今朝捕縛した米軍兵士がおります。尋問可能であります。」
「……直接様子をご覧になられますか?」
栗林は静かにうなずいた。
「よかろう。行こう。」
同時刻――
捕虜収容区画。
数日前の夜襲攪乱中、身動き取れぬまま取り残された米兵マクリーン伍長が治療台に座らされていた。
白衣の軍医が応急手当を続ける。
軽い擦過傷と右肘打撲以外は健康体――銃撃による創傷は一切ない。
栗林中将一行が静かに収容室に入ると、その場は緊張に包まれた。
米兵は明らかに怯えた眼で一瞬彼らを見上げた後、目を伏せた。
「軍医。」
「はっ。命に別状なし、健康状態良好であります。」
「ふむ……」
栗林はアメリカ駐在経験がある、ゆっくり米兵の正面へ歩を進め英語で話しかける。
「名を申せ。」
米兵は栗林の顔を睨みつけると、目線をそらし短く答えた。
「……マクリーン伍長。」
「閣下、階級以上の情報開示は拒否。軍人として規律に従っております。」
「結構。」
栗林は淡々と返した。
だが次の瞬間だった――
マクリーン伍長が突然、白衣の下に隠していた小型拳銃を抜き放った。
パン! パン!
至近距離から二発の閃光が弾ける――!
弾丸は正確に栗林中将の胸部中央と左肩に命中した。
随員の兵が反射的に動き、米兵を制圧、拳銃を弾き飛ばした。
「閣下――!」
「きさまー」
副官が絶叫し軍刀を引き抜いた。しかし、栗林は微動だにせず手でそれを制した。静かに胸元を見下ろし不思議な光景を見ている。
――栗林中将の目線を追うように誰もが足元に目を移した。
彼の足元に、小さな金平糖が二粒、ころころと転がっていたのだ。
「……金平糖だと?」
栗林は驚愕よりも先に、抑えた声でその名を呟いた。
慎重に一粒を拾い上げる。
淡い虹色の光がわずかに揺れている。
「なぜ……ここに……?」
幕僚たちは呆然と立ち尽くしていた。
栗林は振り返り、鋭く命じる。
「今すぐ拳銃を持て。」
押収されたのは米軍コルトM1911。
市川大尉が報告する。
「弾倉には……通常弾薬が全数装填されています。」
「しかし発射済みの薬室――」
栗林は無言で覗き込んだ。
薬室内部には、砕けた虹色の物質が僅かに付着していた。
通常の鉛弾とは全く異質な、不明の結晶化物だった。
「……銃弾そのものが……砂糖で出来ているのか…なぜそのような物で戦っている…」
栗林は静かに息を整えた。
戦場の異常は、いよいよ物理法則の域を超え始めていた。
「この捕虜は引き続き治療せよ。命は奪わん。」
「我々には、理解せねばならぬ。」
栗林は静かに背を向け、収容室を去っていった。
彼の胸中で、現実離れした不穏な仮説が静かに膨らみ始めていた――。




