第62話「大阪市内・くじらのような機体の前で」
1945年3月14日 午後――
大阪市・天王寺南部 空き地
爆撃直後の市街地には、奇妙な沈黙が漂っていた。
焼け跡もなく、黒煙も立たぬ――ただ静かな春の空気。
その中で、町内会の消火隊は手持ち無沙汰に呟いていた。
「……まったく、火の手ひとつ上がらんとは。」
「これが爆撃いうんか?」
だが、静かな市街の一角に、人だかりが次第に膨れ上がっていた。
「おい、あれ見てみい!」
「……あんなん、ほんまに飛んでたんかいな……」
そこには不時着した巨大なB-29が、片翼を折り、黒煙を上げながら横たわっていた。
銀色の胴体は町の家々を圧倒する異物だった。
「まるで……くじらやな。」
老年の男がぽつりと呟いた。
「海におる大きな鯨みたいや……空の鯨や。」
周囲に集まった住民たちは、好奇心と恐怖、怒りが入り混じった表情で巨大な機体を見つめていた。
その傍ら――
建物の影では、負傷したアメリカ兵搭乗員が地元の町医者の応急手当を受けていた。
腕に包帯を巻き付けながら、白衣の老人が呟く。
「……骨は折れてへん。出血止めれば命に別状はない。」
米兵は沈黙したまま視線を伏せている。
そこへ、町の中年男が一人歩み寄ってきた。
掌には、拾った飴玉がいくつか握られている。
「……あんたな。」
男は米兵を見下ろして静かに、口を開き片言の英語で話しかけた。
「ほんまは、この町を焼きに来たんとちゃうんか?」
「ワシら……ここで暮らしてんねんで。」
米兵は目を伏せたまま応えない。
男は苦笑交じりに飴玉を差し出した。
「せやけど――降ってきたんはこれや。」
「なんや、よう分からん戦やな……」
一瞬だけ、米兵の顔が困惑に揺れた。
差し出された飴玉を見つめたまま、ただ小さく息を吐く。
その場に漂う空気は、怒りとも憎しみともつかぬ、重く奇妙な沈黙だった。
遠くで憲兵隊が急行車両のサイレンを鳴らし始めていた。




