第56話「都市防空戦」
1945年3月14日 午前10時30分――
大阪上空・第10飛行師団迎撃戦闘空域
吉村中尉の飛燕は、音もなく高度8,500メートルの空を滑空していた。
酸素マスク越しの呼吸音が、自らの鼓動と重なり続ける。
機外は沈黙の世界――音はほとんど伝わってこない。
眼下には雲層を割り、大阪の市街が微かに広がる。
そして正面には、銀色の長大なB-29編隊が現れ始めていた。
巨大な空中要塞群。まるで空が鉄板で塞がれたかのようだ。
編隊長機がゆっくり左へバンクを取った。
僚機たちも一斉に同調する。――攻撃突入の合図。
吉村も右拳を軽く振り上げ、主翼越しに僚機へ突撃準備を示す。
言葉は不要だった。
「……やるぞ……!」
スロットルを全開。プロペラの回転が唸りを上げる。
飛燕はわずかに機首を下げ、一気に加速しながら急降下を始めた。
敵機との相対速度は凄まじい。
銀色のB-29がみるみる眼前へ膨れ上がる。
「……でかい……」
照準器がじわじわ胴体中心に捕らえてゆく。
ほんの数秒間の命運――引き金を引いた。
ドドドド――ッ!!
20mm機関砲と12.7mm機銃が同時発射。
炸裂弾が主翼付け根を撃ち抜き、白煙が尾を引いた。
だが敵機は、僅かに横滑りしたのみ――墜ちぬ。
直後、B-29尾部の防御火器が火を噴いた。
カンッカンッカン――ッ!!
曳光弾の網が空間を覆う。
赤い閃光がまっすぐ吉村機へ殺到した。
数発がキャノピー正面に突き刺さるように炸裂する。
火花と破片が跳ね、機体全体が小刻みに揺れる。
「やられた――!!」
思わず目を閉じ、息を止める。
だが――痛みが来ない。
恐る恐る目を開くと、キャノピーは割れておらず、胴体も無傷だった。
計器もすべて正常。
燃料漏れも、操舵不良もない。
「な、何だ……?」
曳光弾の流れはなおも自機を貫いている。
振動は続くのに、破壊は起こらない。
「どうして、まだ飛んでいられる……!?」
だが考える余裕はなかった。
編隊は大阪市街上空へ進撃を続けている。
吉村は迷いを振り切るように操縦桿を引き直す。
左翼を煽り、僚機へバンクして再攻撃の意志を送る。
僚機も応え、再び隊形を整え始めた。
「まだだ……まだ、終わっていない!」
薄青色の高空を、再び飛燕隊が弧を描いて突入していった。




