第47話「名古屋空襲翌朝:墜落現場の混乱」
1945年3月12日 午前6時――
名古屋市 南区・工場地帯
夜明けと共に、巨大な鉄塊が朝陽を浴びていた。
墜落したB-29の胴体は、まるで戦艦が工場街に突っ込んだようだった。
片翼は道路を塞ぎ、破断した主脚は住宅地をえぐり、あたり一面に甘味様の物体が散乱していた。
現場では消防団、陸軍憲兵、警防団が混乱の中で必死に市民を制止していた。
「危険だ! これ以上近寄るな!」
憲兵伍長が竹棒を振り回しながら叫ぶ。
だが子供たちは瓦礫の隙間から飴玉やキャラメルを拾い、袋に詰め込み続けていた。
「母さん、飴だよ! いっぱい落ちてるよ!」
母親が慌てて子を抱き寄せた。
「だめだっ、戻ってきな憲兵だよ!」
周囲の大人が誰問わずに声を発する。
そこへ現場を統率する陸軍憲兵中尉が走り寄る。
「貴様らッ! 何度言わせるのだ!素手で触るな!死ぬぞ!」
兵士たちも続々と防疫用手袋を着用し、慎重に甘味状の異物を回収し始めた。
副官が現場を見回しながら苦々しく報告する。
「中尉殿……情報の通りでした。町中にこの甘味物が溢れております。」
「……まったく信じ難い……」
憲兵中尉は大きく溜め息をついた。
「毒物か、何かの心理攪乱か……敵の意図は測り難い。」
付近の瓦礫の影では、墜落機から救出された米兵捕虜が既に拘束され、護送車に積み込まれていた。
「こいつらから事情を聞ければよいが……」
副官は小声で呟いた。
その頭上を、陸軍航空偵察機が旋回を始める。
銀色の胴体が朝日に鈍く光っていた。
名古屋の街は、またも異様な沈黙と甘い香りに包まれながら、ゆっくりと奇妙な朝を迎えていた。