第27話「陸軍病院・混乱の収容現場」
1945年3月10日 正午――
東京陸軍第一衛戍病院 特別検査区画
隔離搬送された市民たちが次々と到着し、病院の特別病棟は異様な空気に包まれていた。
子供から老人まで、甘味を口にした者たちが怯えながら次々とベッドに収容されていく。
「お母ちゃん、苦しくないよ……僕、大丈夫だよ……」
小さな声で訴える少年の隣で、母親は涙ながらに軍医にすがった。
「お願いです先生!この子は……死んでしまうのですか!?」
白衣姿の黒木軍医中佐は静かに首を振った。
「現時点では特段の異常所見は認められておりません。発熱、痙攣、呼吸困難も皆無。血液検査も安定しております」
「でも……毒なんでしょう?毒なんでしょう!?」
「……まだ断定はできません。分析班が成分解析を進めております。焦燥は禁物にございます」
母親は嗚咽しながら頭を下げた。
廊下では、憲兵が誘導して搬送されてきた男性が、蒼白な顔で叫んでいた。
「俺は死ぬのか!?毒なんだろう!?頼む……吐き出せば助かるのか!?」
黒木中佐は静かに制止した。
「落ち着かれよ。既に数時間経過しておりますが、現時点で摂取者に発症例は認められておりません。むやみに動揺してはかえって身体に障ります。」
「……本当に、助かるのか?」
「現状では――その可能性が高いとだけ申し上げます」
男性は力なく床に座り込み、嗚咽した。
消毒液と緊張感が漂う病棟内――
軍医たちもまた、未知の事態に困惑を隠せずにいた。
黒木中佐は内務省衛生局の官吏に耳打ちした。
「このまま何も起きなければよいが……万一遅効性の毒物であれば……」
官吏は低く唸った。
「敵は神経毒や細菌兵器の研究に手を染めているとの情報もあります……予断はできませぬ」
こうして収容検査は続行されたが、同日正午時点――
口にした者は、誰一人として異常を呈していなかった。
それでも誰もが、油断などできるはずがなかった。




