第18話「静寂の戦果報告」
1945年3月10日 午前2時――
サイパン島・アイランダー基地 第21爆撃軍司令部 無線通信室。
重厚な無線機が何十台も並ぶ中、管制通信士たちが次々に入電を記録していた。
今夜は作戦史上最大の空襲。誰もがこの瞬間を期待と緊張で迎えていた。
ヘッドホンを付けた通信主任のベネット軍曹は、受信機の針を睨みながら耳を傾けていた。
『こちら第1波先行編隊、全爆弾投下完了。離脱中。』
『こちら第3群、爆撃完了、帰還コース移行開始。被害報告、現在まで軽微。』
「よし、順調だ……」
隣の副官が小声で呟く。
『第4群、Sky King撃墜報告。以後、目立った損害報告なし。』
作戦開始から1時間――米軍側としては破格の低損害率だった。
だが、違和感はその後に現れ始めた。
『目下、戦果確認不能……火災旋風、未確認……』
ベネットは眉をひそめた。
「火災旋風未確認……?」
『市街地全域、目立った火柱発生せず。戦果規模、限定的――』
その報告は、複数編隊から立て続けに繰り返された。
『爆弾は全投下完了、照準誤差なし――しかし、燃え上がる兆候確認できず。』
『煙柱形成確認できず。』
『目標市街、依然として闇のまま。』
「……おい、何だこれは……?」
隣の副官が青ざめた顔で立ち上がった。
「焼夷弾の投下だぞ!? こんなはずが――」
ベネットも無線機のダイヤルを手早く切り替え、他の編隊波長に耳を傾けた。
だが、返ってくるのはどの無線も同じだった。
『投弾完了、戦果確認不能――』
『爆発せず、火災広がらず――』
『焼失範囲判定、ゼロ――』
報告を受けた作戦幕僚が慌ただしく司令室へ走り込んでいった。
司令部の奥――カーチス・ルメイ少将は、既に作戦戦果第一報を受け取っていた。
幕僚長カトラー大佐が動揺を隠せぬまま報告する。
「閣下……現地部隊より、戦果確認不能との報が相次いでおります。」
ルメイは短く眉をしかめ、手元の状況図から目を離さず言った。
「……火災旋風が起きていない? ナパームをあれだけ投下して……?」
「はい、閣下。現時点、目視確認で焼失面積の報告ゼロであります。」
静寂が流れる。
副官が震える声で補足した。
「司令部宛最終電:『東京市街、依然として――漆黒の闇』……」
ルメイの顔が一瞬で紅潮した。
「ふざけるなッ!!」
手元の戦果図を思いきり机に叩きつける。
報告書がバラバラと床に散らばった。
「ナパーム弾を何トン投下したと思っている!? この結果が……ゼロだと!?」
幕僚たちは顔を伏せ、誰一人言葉を発せなかった。
部屋の空気は、まるで凍りついたかのように静まり返る。
「風向きも天候も完璧だったはずだ!照準誤差も修正済み!なぜだ……なぜ燃えん!!」
ルメイは拳を握りしめ、額の汗を滲ませた。
「……あり得ん……」
彼の叫びが、サイパン島の静かな夜を震わせていた――




