02 嵐の前
「だから、教えてください。この世界がどんなところなのかを」
「……お前、干支って分かるか?」
「子・牛・寅の……?」
「そうだ。この世界には10の国がある。お前が統治するのは申の国。担うのは、この国を繁栄に導く果実を育てる責務だ。女王がいない今、執政のダンネルがこの国のトップなわけだが……。どうやらアイツ、責務を果たしていないらしい」
グーシュが大きなため息を吐いて、太陽が沈んでいく方向を指さす。
その先には、いくつもの塔がそびえたつ、とても大きな白いお城が見えた。
「そのせいで食物が育たず、申の国は酷い飢餓と魔物に襲われている。何人も死んでんだ」
「待って。魔物……? 魔物がいるの?」
鏡に映る私の顔は、明らかに怯えていた。
そんな私の顔を見て、ルヴィンが白い歯を見せて笑う。
「ご安心を。私は申国の剣です。何があっても、全力でお守り致します」
「……おいルヴィン」
「なんだグーシュ」
「笑顔で濁すのはやめろ。やっぱりこのガキ、元の世界に返してやろう。確かに俺たちには王が必要だが、コイツにも今までの人生ってのがあるだろう。王女は見つからなかったことにして、クーデターでも起こそうぜ」
「お前、本気で言っているのか?」
ギラリ、とルヴィンの目が鋭くなる。
いつの間にか、ルヴィンの右手には鈍色の長剣が握られていた。
と。
『ワォオオーーン……ッ!』
「ひっ!?」
オオカミの遠吠えのような声が、後方から聞こえた。
驚いて振り返れば、深そうな森から数匹の鳥が飛んでいくのが見える。
「おいガキ、こっち見ろ。んで元の世界に帰りたいと言え。お前が考えているより、申の国は危険だ。元の世界じゃ魔物もいねえんだろ? その世界の寿命で死ね」
そう言ったグーシュの目つきこそ怖かったが、怒っている様子はなかった。
いっそ心配してくれているような顔だ。
だけど私は、首を横に振った。
「帰りません。私は変わりたいんです。何もない自分から、かっこいい私になりたいんです」
私の言葉を聞いたグーシュの顔に影が差し、その黄金の瞳に、軽蔑の色が宿る。
「変わるだけなら、元の世界でもできるだろ。自分を変えるのに必要なのは、己の意思だけだからな。やっぱりお前、王になるな。器じゃねえ。自分の願望にヒトの生活や生死をまきこむな」
言われ、言葉に詰まる。
グーシュの言い分は正しい。
自分を変えられるのは己だけ。
だけど変えられないまま、私は今までを生きてきた。
「そう厳しいことを言うな。王女様はやっと見つけた私たちの希望だ。彼女を失えば、お前が先頭に立たずとも反乱が起こり、沢山の血が流れるだろう。それは避けたい」
「お前に言ってんじゃねえ。俺は、このガキに言ってんだ。無能でお飾りの王ならいねえ方がマシだ。おい、平穏な世界で幸せに暮らすか、荒れ果てた申の国で民のために一生を捧げるか、いまここで選べ」
グーシュの力強い目が、まっすぐに私を見てきた。
その迫力に、思わず目を背けて下を見る。
すると鏡に映る、自分じゃないみたいな顔の自分と、目が合った。
外見はこんなにも美しくて奇麗なのに、浮かべる表情は情けなく、まるで変わらず自分のままだ。
当然だ。見た目が変わっただけで、中身まですぐに変われるものじゃない。
ああ、やっぱり変わりたい。
本当の自分はこんなもんじゃないんだと、証明したい。
顔をあげて、グーシュの瞳に負けないよう、拳をぎゅっと握りしめて見つめ返す。
「ここに、残ります」
「………………くそったれが」
グーシュの瞳から、光がなくなった気がした。
それからくるりと私たちに背を向けて、あばら家の中へと入っていく。
数分して出てきたグーシュは、両手に大きな盾を持ち、腰には剣を携えていた。
よくよく見れば、両の足元にも短剣が2本括りつけられている。
「……完全武装じゃないか。戦争にでも行くつもりか?」
「何かあってもそのガキを守れるように、用心したいだけだ。さあ、夜がくる。……早く行こう」
言って、私たちはお城に向かって歩き出す。
先頭を行くルヴィンの手には、いつの間にか剣がない。
不思議なことに、鞘すらない。
一体どこに剣をしまったんだろう。
なんて考えていると、私の後ろを歩くグーシュがそっと耳打ちしてきた。
「気をつけろ。アイツは国に忠誠を誓っている。アイツが守りたいのはお前じゃなく、この国だ」
「……それは、どういう……?」
私の質問に、グーシュは答えない。
なんだかどうやら、私は嫌われているらしい。
「なあルヴィン。お前の魔法で、城には飛べねえのか?」
「飛べないこともないが、私の移動魔法の練度は低い。3人を移動させるとなるとその後に倒れてしまうが……お前が俺をおぶってくれるのか?」
「バカ言うな。歩いていこう」
それ以降、会話らしい会話もなく。
私はルヴィンの歩くスピードについていけず、ほとんど小走りになって後を追う。
やがて、日がほとんど落ちる頃。
私たちは、大きな城がそびえる城下町にたどり着いた。
申の国は、なるほど。
確かに裕福ではなさそうだった。
城に続く坂道の石畳を歩きながら、左右にある家を眺める。
ここはきっと、首都だろう。
だというのに、村人が着ている服は少し汚れているし、太っている人もいない。
みんな標準体型だ。
食物が育たなくて飢餓だと言っていたし、きっとそれが影響しているんだろう。
「……これは夢か? あのお顔、もしや――」
なんて声が、そこかしこから聞こえてくる。
期待されるような強い眼差しに耐え切れず、私は下を向いて歩く。
1人の声がざわめきを呼び、ざわめきが複数の人を呼び、私たちの進路を塞ぐことのないように人々が道脇に跪く。
この光景は、本当に異様だった。
城に続く坂道は、さながらパレードのようで。
堂々と歩くルヴィンとグーシュとは違い、私は気恥ずかしさで背中を丸めて歩くことしかできなかった。
「止まれ。何用か?」
やがて坂道の頂上に着くと、大きな白い城の城壁の入口を守る2人の衛兵に、私たちは止められた。
傷1つない、銀色でピカピカの全身鎧を着用している。
兜も付けているから、2人の衛兵の表情は分からない。
だが帯刀している剣の柄に手を添えており、剣呑な雰囲気だ。
「新人か? 私の顔すら知らないとはな」
その態度に豹変したのは、今まで私に優しい顔しか見せてこなかったルヴィンだった。
発した声色は固く、その眼光は鋭い。
2人の衛兵を睨みながら、吐き捨てるように続ける。
「私は申国特殊部隊リーダーのルヴィン・モーガット。任務より帰還し、王女殿下をお連れした! さあ、道を開けろ!」
そして右手に握られた、鈍色に光るペンダントを突き付ける。
多分、その特殊部隊所属とやらを証拠づけるペンダントなのだろう。
衛兵は明らかに動揺し、慌てて姿勢を正して門を開け、直立不動になる。
「しっ、失礼致しましたッ!」
微動だにしない衛兵の横を通りすぎ、アーチ型の入口をくぐる。
見えてきたのは、高い城壁に囲まれた、広々とした前庭だった。
青く短い芝生に、巨大な噴水。
至るところに低木が生えており、素人目から見ても手入れされている前庭は、まるで飢餓も危険さも感じられない。
まるでおとぎ話の世界のようなメルヘンチックな光景で、歩いて見てきた草原や町とのギャップがすごい。
「……素敵なところ……」
「そうでしょう? 前庭だけでなく、そびえる見張り台からの眺めも絶景ですとも。何事もなければ、今日からここが王女様の新たな家となります。それはきっと大変ながらも充実した、素敵な毎日になることでしょう」
背中まで伸びた薄墨色のウェーブがかったルヴィンの髪が、柔らかな風でなびく。
灰色の石レンガの地面を歩いてお城に向かっていると、私の後ろを行くグーシュが声をかけてきた。
「気ぃ抜くなよ。魔物が出ない昼間に、なぜ俺が武装して着いてきたか。その理由を考えろ。思考を止めるな」
「……え?」
「今ちゃんと聞いてたか? ルヴィンのヤツは”何事もなければ”と言ったんだ」
眉をひそめ、ルヴィンの言葉を待つ。
「…………」
だが、ルヴィンはだんまりだった。
つまり、何かが起こるかもしれないってわけ?
ルヴィンは『充実した素敵な毎日になる』と言った。
それが覆されるとすれば、私の身に危険があるかもしれないという意味になる。
加えて、グーシュのあの言葉。
『何かあってもそのガキを守れるように、用心したいだけだ』。
それは申の国には魔物がいて、オオカミもいて、それらから私を守ってくれるという意味だと思っていた。
でも、2人の言葉から察するに。
1番危険なのは、ここ……?
ガチャガチャと金属がぶつかる音が遠くから聞こえてくる。
音がした方向を向けば、何人もの金属鎧の衛兵が慌ただしく動いているのが見えた。
大声で何かを叫んでおり、足並みそろえて城の中へと走っていく。
「……何かあれば、私は動けない。頼むぞ。グーシュ」
「お前に言われるまでもねえ。ただのガキに危険があるってんなら、それから守るのが俺の使命だ」