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01 本当の私

 将来の夢はお姫様だった。

 5歳だった私は女子高生はもう大人で、そのころには自動的に素敵なお姉さんになっているものだとばかり思っていた。


 だけど結局、私は私でしかなかった。

やりたいことも叶えたい夢もなく、この16年をただ通り過ぎてきた。

 周囲には明るく振る舞うが中身は空っぽ。

 それが私、今野(こんの) (ゆい)だ。

 

 今は高校2年の秋。

 数少ない友人はなりたい職業から逆算して、すでに希望大学への勉強を本格化している。

 なんだか私だけが取り残されているようで焦りはするが、だけどどうすれば良いのか分からない。


 このままじゃいけない。それは分かってる。

 だけど、どうすればいいのか。その頑張り方が、分からない。



「んー。ここが解んないんだよなぁ……」


 なんて、学校への近道のスクランブル交差点で、私と同じように青信号を待つ女学生が参考書を片手に難しそうな顔をしている。

 きっとこの子も、成りたい自分になろうと努力しているんだろう。

 それに比べて……はぁ。


「小さい頃は、こうじゃなかったのにな」


 黄色い点字ブロックの内側で青信号を待ちながら、1人呟く。

 交通量の多い道路では沢山の車が猛スピードで通り過ぎ、歩道には長い信号の待ち時間で、私の周囲にも反対側の歩道にも、沢山の人が立っている。


 私と同じ学生服を着た人も、スーツを着ている人も、ラフな格好をしている人も、一体いつの間に、どうやって自分の人生を決めたんだろう。

 勉強に励んでみても、部活の陸上に打ち込んでも、ついぞ私には成りたい自分なんてものは見えてこなかった。



「なんかこう、人生を変えるようなこと、起きないかな」


 代り映えしない毎日。

 変わらないといけないのに、変われない自分。


 だから、そう呟いた。

 自分で自分を変えられないのなら、せめて他の誰かに変えてほしいと願って。

 それが、良くなかったのかもしれない。


 歩行者の信号色が青に代わり、人々が交差点に向かって歩き出す。

 一足遅れて、私も点字ブロックに足を進めた。

 機械的な鳩の音に交じって、多様な靴がアスファルトに打ち並べられる中。

 カツンと、やけに響く音が聞こえた。


 カツン、カツンと連続して、段々に大きくなっていく音。

 これが革靴の音だと気づいたときには、その主は交差点の真ん中で、私の前に立っていた。

 足元から目を上に向けると、その主は190はあろうかという長身で、黒いタキシードを着ている西洋風の男だった。

 髪は黒に近い薄墨色で、ウェーブがかった長髪が背中まで伸びている。


「あ。の……?」


 思わず口を開く。

 けれども男はだんまりで、ただ私の前に突っ立ち、40センチほど上から見下ろしてくるだけ。

 一体、なぜ?

 っていうか、少しは避ける素振りを見せなさいよ、とか。

 無言で見下ろしてくるの、怖いんだけど、とか。

 何かされる前に逃げないと、とか。

 いろいろなことを思った。


 だけど私は、動けなかった。

 青っぽいグレーに黄色いヘーゼル色が混ざったような男の瞳が、私を捉えて、離さなかった。


「ようやく見つけました」


 ぞっとするほど優しい声色。

 面長な顔についた整った眉、優しそうなたれ目、眉根から伸びる高い鼻。

 幅の広い奇麗な唇が、滑らかに声を出す。

 男は膝を曲げてしゃがみ、唐突に膝をついて、私に頭を垂れる。


「お迎えにあがりました。今こそ、本来の貴女様に戻るべき時です」


 恭しく、という表現が似合うだろう。男は顔を伏せたまま、私に向かってそう言った。

 その光景に、行き交う人々のざわめきが大きくなる。


「何あれ、ホストの営業?」

「映画かドラマの撮影じゃね」


「……にしては、女優のレベル低すぎなぁい?」

「確かになあ! アレじゃあ男の視聴者はつかねえなあ」


 そんな会話が、色んなところから聞こえてくる。

 朝の交通量が多い交差点のど真ん中で、見目麗しい男が平凡な女子高生に膝をついているだなんて非現実的な光景、誰だって好奇心をぶつけるに決まっている。


 だけど当事者からすれば、たまったもんじゃない。

 全方位から向けられる奇異なモノを見る目。め。メ。目。

 交差点中の視線が、現状を理解できない私に降り注ぐ。


「さあ、この手をお取りください」


 ただ1人、私に目を向けない元凶を除いて。

 男は顔を上げずに、私に向かって大きな右手の平を差し出してくる。


「っ、やめてください。迷惑です」


 逃げ出したい一心で、恐怖を隠してきっぱりと言い放つ。

 顔をあげて野次馬の奥にある信号機を見れば、歩行者信号は点滅していた。


 いま走れば、間に合うかもしれない。

 そう思って走り出した私の右手が、がっしりと掴まれる。



「申し訳ありませんが、逃がすわけにはいきません」


 カチリと、何か硬い物がハマった音がした。

 ぐにゃりと視界が揺れ、曲がり、真っ暗になる。


 はっと気が付けば、交差点のど真ん中に立っていたはずの私は青空の下、そよ風が吹く草原の上に立っていた。


「…………は?」


 辺りを見渡せば、瑞々しい草花が生い茂った草原だ。

 青い草が一帯を支配し、ところどころに白い花が咲いている。

 踝を隠す靴下よりも背の高い雑草が、風にさらりと凪いで私のひざ下をくすぐってきた。


「何? どこよ、ここ……」


「お答えいたしましょう」


 ぞっとするほど優しく、甘い声色。

 その言葉にびくりと身を震わせて、目の前でいまだに跪く男に気が付いた。

 私の2倍はあろうかという男の手から、慌てて自身の右手を振りほどく。

 男は跪いたまま、ゆっくりと私を見上げた。


「先ほどの無礼をお許しください。ここは(さる)の国。貴女様は、この国の王女であらせられる」


「王女……? 私が?」


「左様でございます。私は申国の剣。名をルヴィンと申します」


 なんの冗談よ、と思った。

 だけど冗談にしては、ルヴィンと名乗った男の表情は固すぎる。

 それに私は、さっきまで交差点にいたはずだ。


「あの世界でのお姿は、偽りの身分でございます。宜しければ、この手鏡を」


 ルヴィンが立ち上がり、胸元から手鏡を取り出した。

 意図が読めないまま手鏡を受け取って鏡に映る自分を見ると、私は驚愕した。

 私は、どこにでもいるような女子高生だったはずだ。

 目も髪も黒く、いわゆる平凡な――。


 だけど鏡に映る私は、まるで西洋の令嬢だった。

 透明感のある白い陶器肌。きらきらと輝くブラウン色の大きな瞳。

 高い鼻は境目がくっきりとしていて、彫が深い顔立ちが鏡の中に映っている。


「……これが、本当の私……?」


 アイボリー色の長い髪の毛が、柔らかな風でそよぐ。

 思わず髪の毛に指を這わせると、スルリと何のひっかかりもなく、毛先まで一直線に指先が通った。

 服は相変わらずセーラー服のままだったけど、陸上部に入って焼けた肌色とは違って腕は白いし、ベージュ色の髪は柔らかい。


 夢の中にいる感覚はないし、この容姿に、ルヴィンの真面目な表情。

 もしかして、本当に……。


「ここは、異世界なの……?」


「はい。もっとも私からすれば、貴方様が15年を生きてきたあの世界こそが異世界ですが……。貴女様は、この国で生まれた王女様です」


 …………。

 仮に。

 仮に、私が王族だったとして。

 王族ならば当然、国を治める義務があるだろう。

 私は、その辺にいる平凡な女子高生だ。


 いや、平凡以下の女子高生だ。

 そんな私に、そのような大役が務まるとは思えなかった。

 だから私は、小さい声で口ごもる。


「私に、国の統治だなんて……」


「ご安心ください。統治については、専属の教師が付けられることでしょう。それに条件もありますが、申の国と彼の国を繋げる手段もあります。だからこそ私は、貴方様をお迎えに上がれたのです。お望みなら、15年間お世話になった方々にも――」



「いいえ」


 ルヴィンの優しい声色を遮って、今度は強い口調で否定する。


 私は、本当の両親を知らない。

 育った家はあるし、育ててくれた両親にも良くしてもらったが、本当の両親ではない。

 そのことを知ってしまったのは、中学1年生のとき。


 物価高と収入減の影響で、2人の本当の子供である弟と、私2人を大学に入れるための費用がないと嘆いていたのを聞いてしまったのだ。

 私は高校を卒業したら就職して、家を出て、恩返しに仕送りをしようと思ったのだが、それは強く否定された。


『たった1度の人生だ。悩んでも良い。間違えても良い。だけど本当に望んだ道じゃないのなら、誰かのために諦めるな』


 そう言う父の背中は大きくて、私に笑いかける母の顔は優しくて、眩しくて。

 本当に、感謝してもしきれないくらい、私にとって大きな存在だ。

 だからせめて、私は成りたい自分になろう。

 幸せになって、3人の家族に報いよう。


 そう決意したのも、中学1年生のとき。

 そのまま成りたい自分も見つけられず、無償の奨学金が貰えるほどの学力も得られず、私は焦燥感と自分の無能さに打ちのめされながら生きてきた。


 唯一最大の親孝行が自身の幸せなのに、己の幸せが何なのか分からない。

 その幸せが分かったとして、何をどう頑張れば幸せに至れるのか、それも分からない。

 私はこんなにも恵まれているのに、当の私本人が絶望的だった。


『普通の幸せを得られればそれで良い』という両親の優しさでさえ、凡人以下の私にはハードルが高すぎたのだ。




 だけど、それを、変えられるのなら。

 本当の私を知らないこの環境で、新しい自分なら、王女である私なら――。

 変われるかもしれない。


 私がそんな考えに至るのを待っていたかのように、跪いたままのルヴィンがニコリと笑い、立ち上がる。


「もし帰りたくなれば、言ってください。時間はかかりますが、善処いたします。……さあ! 城は遠いです。先を急ぎましょう。何しろ、この国には王が必要ですので。前王亡きいま、貴方様にしかこの国は救えない。貴方様は、この国の唯一無二な光なのですから――」


「よおルヴィン。お前が帰ってきたってことは、これが新しい王女様か? 可哀そうになあ」


 よく通る声が後ろから聞こえた。

 ルヴィンの整った顔が、少し曇る。


 振り返ると、木で作られたあばら家を背後に、傷だらけの鎧を纏った男が近づいてくるのが見えた。

 金属鎧の男は私の3m前まで来ると、重そうな兜を両手で外して、脇に抱える。


「王女様をコレ呼ばわりするなグーシュ。それに、余計なことも言うな」


「はっ。さては何の説明もなしに連れてきたな? だが俺はお前と違って、国じゃなく先代女王に忠誠を誓ったんだ。いいか――」


 グーシュと呼ばれた男が、大股で私に近づいてくる。

 褐色の肌に、消炭色の短髪な男。

 黄金色に近い瞳は、吊り上がった目と相まって力強さを増している。

 そんな目が、息がかかるほど近くで私を真上から見下ろしていた。


「俺はお前を、王女だと認めねえ。今すぐ帰れ」

「下がれ。無礼にもほどがあるぞ」


 ルヴィンが私とグーシュの間に割って入る。

 タキシードの背中の向こう側から、グーシュの声が聞こえた。


「だってこのガキ、この世界のことを何も知らねえんだろ? 確かに先代女王の面影はあるが、それだけだ」


 確かに私は、この世界のことを何も知らない。

 そもそも、別の世界があることも知らなかったんだ。


「この世界のことは、これから知ります」


 言った私にルヴィンが振り向いて、グーシュと並んで私を見る。

 ずっと、思っていたことだ。

 もっとちゃんとした人物になりたいと。もっと特別な人間になりたいと。


 これはチャンスだ。それもおそらく、これ以上ないほどの。

 ここで変われなかったら私はきっと、一生を夢や目標がないままで終わるだろう。

 そんなのは、いやだった。


「だから、教えてください。この世界がどんなところなのかを」


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