56 ライバルからリードする為に
「えっと、それって……つまり、そーいう好きという事で……」
もしかしてと想像していた答えが的中すると、それはそれで困惑するもので。
イメージの中でふわふわしていた物が、急に形作られて目の前に現実となると上手く反応出来なかった。
「そうよ、貴女に恋をしているという……意味ね」
言葉を言い換えて、その意味を強調する。
強く言い切る千冬さんも、その瞳の奥は揺れていた。
千冬さんの意志が揺らがずとも、その先の未来はあたしの気持ち一つで形を変えてしまう。
そんな曖昧で簡単に他者の介入を許してしまう事への不安を感じているのだと思う。
己の力で目標を達成してきた彼女だからこそ、相手の意思なしではどうにも出来ない現実の歯がゆさが、きっとある。
「……あ、あたしは」
その想いに、あたしはどう応えればいいのだろう。
千冬さんを選べば、少なくとも羽金先輩を傷つける事になってしまう。
可能性で言えば、他の皆もそうかもしれない。
誰かを選べば、誰かを傷つける。
そんな結末をあたしは望んでいない。
「分かっているわ、貴女の想いがまだ形になっていない事は」
それすらも見透かしたように千冬さんは、あたしの答えを急がない。
彼女が最も知りたいであろう答えを、彼女自ら求めないでくれている。
それはどんなに胸が苦しくなるような痛みだろう。
「……ご、ごめんなさい」
そんな安易な言葉しか吐けない自分。
「そう簡単に謝られるのも癪に障るわね」
「……え、えと」
だからと言って、謝らないのもまた違うというか。
どうあってもあたしは千冬さんを苛立たせてしまうのかもしれない。
「謝って誠実さをアピールしないのなら、私の質問に答えて欲しいものね。羽金麗とは何があったの?」
千冬さんの右手が、壁を力強く押し付けているのが分かる。
思わず力んでしまうほどの想いがあたしに向けられているんだ。
彼女の心を打ち明けてもらったのに、あたしだけが隠そうなんて。
そんなの不誠実だ。
「……えっと、正直に言うとそういう展開にはなりそうだったんだけど」
――ゴリゴリ!
と、耳元に異音が響いた。
まずいまずい、千冬さんをこれ以上怒らせると壁に穴が開くかもしれない。
「でも、それ以上の事にはならなかったから! あたしがほっぺにちゅーする事を妥協点として認めてもらったから!」
改めて振り返ってみても一体何が妥協点なのかはよく分からないけど。
とにかくこれで許してもらったのだから、効果はあったはずだ。
「へえ……でもそれって羽金麗との繋がりを断った訳ではないようにも聞こえるけど?」
「え」
「妥協点という事は明確な拒否では無いのでしょう? その証明が“頬へのキス”よね、本当に嫌なのなら拒絶するはずだもの」
「……あ、まあ、それはぁ」
確かに明確なお断りはしていない。
あたしはこうしてお茶を濁すばかり。
自分の意思がはっきりと決まれば、自ずと拒絶も出来るのだろうけど。
あたしは有耶無耶にする以外の選択肢しか持っていなかった。
「本当にはっきりしない女ね、自分が今どれだけ残酷な事を強いているのか理解出来て?」
「……はい、すいません」
受け入れる事はせず、かと言って拒絶もしない。
そんな半端な態度が一番相手の気持ちを宙ぶらりんにしてしまう。
「口で謝るのは簡単なのよ、謝罪は態度で示すべきと教わらなかったのかしら?」
「……あ、や、でも、これ以上どうしたらいいか」
気持ちは定まらない。
定まりきらないから返事は出来ない。
あたしに出来る事は自分の罪を自覚する事くらいだった。
「羽金麗の頬にキスをしたのなら、私にもそれ相応の対価が必要ね」
「あたしが払える対価なんて、何もないと思うんだけど……」
学院トップクラスの千冬さんに対して、あたしが何が出来ると仰るのか。
「簡単な事よ」
「……え」
千冬さんの壁を押し付けていた腕の力がふと抜けていた。
支点を失った彼女との距離が縮まる。
瞬きの間に、唇を重ねていた。
早朝の教室の隅、朝陽が差し込む空間で。
あたしはヒロインとキスをしてしまっていた。
そして唇が離れるのもまた一瞬だった。
「……文句があるのなら、一応聞くけど」
そっぽを向きながらそう呟く千冬さんの頬は赤く染まっている。
きっとそれは今のあたしも同じだろうけれど。
「あ、いえ、その……」
あたしもあたしで口ごもる事しか出来ていない。
あまりに突然で、それも千冬さんがそんな行動に出るだなんて思っていなくて。
体中の血液が沸騰するようだった。
「何よ、言いたい事があるなら言いなさい。言っておくけど貴女にだって断るチャンスはあったんだから被害者ぶるのだけは許さないわよ」
いや、そんな余裕は微塵も感じなかったのだけれど……。
「……何よ、黙って。そ、そんなに、嫌だった……?」
あたしが言葉を発しない事を別の意味に捉えてしまったのか。
千冬さんは焦ったように反応を伺ってくる。
「嫌じゃないよ、ないんだけど……」
ここまでしてくれているのに、あたしは千冬さんとの関係を発展させない選択肢を取る事が出来るだろうか?
彼女を無視するような未来を描いていいのかと、迷いだけが積もっていく。
「……そう、なら良かったと言うか。答えは急がないけれど、羽金麗に全てを奪われるのは我慢ならなかっただけ」
あたしと羽金先輩とのリアンに対する焦りが、ここまで千冬さんを大胆にさせたのだろうか。
彼女にとって羽金先輩は最大のライバルだ、それが恋敵として現れたのであれば気が気でなくなって仕方ないのかもしれない。
その奪い合っている中心人物があたしなのだから、自分でも意味が分からない状況なんだけど……。
「……わ、分かったよ」
「……わ、分かればいいのよ」
人は本能的な行為をした後には会話の内容はシンプルになってしまうのだろうか。
それくらい語彙力を失っていた。
「……」
「……」
そして、気まずい空気が流れ始めていた。
いや、決して嫌な空気ではない、ないのだが、お互いに初めての状況にどう取り繕えばいいのか分からなくなっているんだと思う。
しかも、早朝の教室で二人きりという特にやる事もない状況が変な空気に拍車をかける。
間を埋めるような言い訳の行動が何も出来ないのだ。
……こ、このままこんな居たたまれない時間が流れるのだろうか。
――ガラガラ
と、あたしを救ってくれる扉が開く音。
やった、空気を変える出来事が起きてくれた。
「ごきげんようですっ! わわっ、お二人とも一緒に登校されているなんて珍しいですねっ」
朝から元気よく登校して来たのは明璃ちゃんだった。
渡りに船、これで雰囲気はきっと和らぐだろう。
それとなく明璃ちゃんと世間話を始めて……。
「ごきげんよう、小日向」
「おはよう、明璃ちゃん」
「……え」
しかし、なぜか挨拶を返しただけなのに明璃ちゃんは首を傾げていた。
「……なぜでしょう、お二人からいけない空気を感じるのですが?」
前言撤回。
主人公の嗅覚はイベントを見逃さないようにデザインされているらしい。




