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福まんじゅう

作者: ウォーカー

 反抗期だから、というわけではないけれど、

その男の子は、両親と喧嘩をすることが多かった。

生活態度を正せだの、学校の成績が悪いだの、

何かにつけて両親はその男の子を叱り正座をさせる。

最初は黙って聞いていたその男の子も、

近頃は反抗して口論に発展することもしばしば。

「どうせ母さんは僕のことが嫌いなんでしょ?

 こんな家、もう出ていってやる!」

「親に向かってなんてことを言うの!待ちなさい!」

今日もその男の子は、

通っている中学校から早くに家に帰ると、

母親と顔を合わせるや否や口論になってしまった。

勢いに任せて家を飛び出て外を駆ける。

息が上がるまで走ってから、その男の子は言葉をこぼした。

「なんだよ、母さんの奴。

 いつも僕に小言を言ってばかりで。

 きっと父さんも母さんも、僕のことが嫌いなんだ。

 今日は簡単には家に帰らないぞ。」

青空の昼下がり。

その男の子は家出も同然に家を飛び出して、

あてもなく彷徨うことになった。


 その男の子は家を飛び出して、近所の商店街を彷徨っていた。

本屋で雑誌を立ち読みをしたり、公園のベンチに座ってぼーっとしたり。

最初こそ、母親への怒りで我を忘れていたが、

落ち着いてくると、人間らしい感覚が戻ってくる。

青空を見上げるその男の子の腹が情けない鳴き声をあげた。

「・・・お腹空いたな。

 そういえば、昼ごはんを食べ損ねてたっけ。」

ふと、公園のベンチから周囲を見ると、向かいに店屋らしき建物が目についた。

喫茶店だろうか。

年季の入った瓦屋根と木造の建物に、看板が掲げられていた。

「あれ、喫茶店かな。

 あの看板、なんて読むんだろう。

 ふく、まん、さつ?難しくて読めないや。」

看板に書かれた店名らしきものは、古い字で書かれているようで、

まだ中学生であるその男の子には読むことができなかった。

読み仮名が振ってあるようなので、そちらを確認してみる。

「これって、ふりがなだよな。

 ふくまんじゆう・・・、福まんじゅうって読むのかな。

 まんじゅう屋か、美味しそうだ。」

泣く子と空腹には勝てぬ。

その男の子は空きっ腹を抱えて、その店屋の暖簾を潜った。


 その店屋の暖簾の先には、小綺麗な空間が広がっていた。

入口付近にあるのは、年季の入った木のカウンター、古めかしいレジスター。

それを越えて奥を覗くと、畳敷きのお座敷があって、

数人の人たちが談笑していた。

視線をカウンターの方に戻すと、お盆が置いてあって、

そこに饅頭まんじゅうだの羊羹ようかんだのといった和菓子が並べられている。

忙しいのか、店員の姿は見当たらない。

和菓子を見つめるその男の子が、ごくりと喉を鳴らした。

「店名には福まんじゅうってあったし、ここは和菓子の喫茶店みたいだな。

 それにしても、このまんじゅうは美味しそうだ。

 一つ食べてみよう。」

財布を取り出そうとして、その男の子は気がつく。

着の身着のままで家を飛び出したので、財布も何も持ち合わせていなかった。

「しまった。財布を持ってきてなかった。

 これじゃ何も買えないぞ。どうしよう。」

財布を取りに家に帰れば、母親と顔を合わせることになる。

大見得を切って家を飛び出したのに、すぐに家に帰りたくはない。

しかし、金が無ければ食べ物にはありつけない。

ぐるぐると思考が回って、余計に腹が減ってくる。

空腹で頭を悩ませていると、

その男の子の頭の中に、よこしまな考えが沸き起こる。

饅頭を買う金が無いのなら、黙って取ってしまえばいい。

幸いにも、今、カウンターに店員の姿はない。

奥のお座敷を見ると、エプロン姿の老婆が客らしき人たちと談笑している。

きっとあれがこの店の店員なのだろう。

楽しそうに話をしていて、こちらに気がつく様子はない。

今、この店にいる人たちは、誰もこちらを見ていない。

大人しくしていれば、きっと誰にも気がつかれることもないだろう。

思えば、全て母親が悪いのだ。

顔を合わせれば小言ばかりで、子供に食事も取らせないなんて。

少しばかり悪さをして心配させても、罰は当たるまい。

そうして、その男の子は、そっと饅頭に手を伸ばした。

誰にも見られないように、こっそりと、静かに。

まるで禁断の果実をぐように、その手が饅頭を掴んだ。

饅頭は掴むと妙に手応えがなく、

代わりに自分の臓物を掴まれたような気がした。

獲物を手に入れた達成感などはなく、

空腹と罪悪感が混ざりあって、胸の中で膨らんでいく。

耐えきれず、その男の子は饅頭を掴んだまま、外へと駆け出した。

「あ、ちょっと!?」

呼ぶ声に立ち止まることなく背後を見ると、

店の中の誰もが、自分のことを白い目で見ているような気がした。

そうして、その男の子は、生まれて初めての盗みをした。


 その男の子は饅頭を盗んで駆け出した。

店を出て、商店街を駆け抜けて、町外れへ。

周囲に人の姿がなくなって、その男の子はやっと立ち止まった。

汗を拭い、息が整うと、途端に自分がしたことの重大さに気がつく。

「僕は、なんてことをしてしまったんだ。

 売り物のまんじゅうを黙って持って出てくるなんて、

 これじゃあ泥棒と変わらないじゃないか。どうしよう。」

手にした饅頭をオロオロと見つめて、すぐに思い直す。

「・・・いや違う。悪いのは母さんだ。

 僕が家を飛び出したのも、お腹を空かせているのも、

 全部母さんのせいなんだ。

 だから、この饅頭を食べても、僕は悪くない。」

自分自身に言い聞かせるようにして、その男の子は盗んだ饅頭を口に入れた。

お腹が空いていたはずなのに、食欲はどこかに失せていて、

饅頭の味はひとつもわからなかった。

それから、その男の子は、何をするでもなく時間を潰して、

夕飯の時間になる頃に家へ帰った。

家ではお冠の母親が、それでも心配そうに出迎えてくれた。

「あんた、こんなに遅くまでどこに行っていたの。

 とにかく夕飯にするから、早く手を洗ってきなさい。」

「・・・いらない。外で済ませてきたから。」

「え?何を言っているの、この子は。

 どこで何を食べたの?ちゃんと答えなさい!」

母親の問いかけには答えず、その男の子は自室に入って鍵をかけた。

盗んだ饅頭にでもあたったのか、

その男の子はすっかり食欲をなくし、

その日は早々に布団に潜ってしまったのだった。


 翌朝、その男の子は寝汗に塗れて目を覚ました。

何か悪夢にうなされていた気がするが、内容は覚えていなかった。

昨日は夕飯も取らずに布団に入ったが、腹は減っていない。

時間を確認すると、目覚まし時計が鳴る直前だった。

ふらふらと起き上がり、顔も洗わずに制服に袖を通す。

居間へ向かうと必然的に、

朝食の準備をしている母親と顔を合わせることになった。

「あら、おはよう。

 今朝は自分で起きられたのね。

 昨日はずいぶんと早くに寝たみたいだけれど、どこか具合でも悪いの?」

「なんでもないよ。」

母親と目も合わせず、朝食も取らず、その男の子は家を出た。

それは反抗期のせいではなく、昨日盗んだ饅頭の罪悪感のせい。

自分が昨日、饅頭を盗んだことは、もう公になっているかもしれない。

今にも警察が家に押しかけてくるかもしれない。

そう考えると、居ても立っても居られなくなる。

学校にも行きたくないが、休めば余計に騒ぎになる。

それからその男の子は、しかたがなく学校に登校したが、

人と目を合わせることができず、ぼーっと上の空で過ごすことになった。

やっと授業が終わって放課後。

誰もいなくなるまで教室に残って、ぽつりと呟く。

「・・・やっぱり、謝りに行こう。

 食べてしまったまんじゅうはもう返せないけど、

 このまま泥棒として逃げ続けるのは嫌だ。」

元々が小心者のその男の子は、逃亡生活に耐えられず、

学校が終わった途端に、昨日の店屋に謝りに向かうことになった。


 学校を出て、商店街へ。

その男の子の目の前に、昨日饅頭を盗んだ店屋が見えてきた。

思わず物陰に身を隠して、様子を伺う。

てっきり、警察が来て大騒ぎになっているかと思ったのだが、

しかし見たところ、そういった様子は見られない。

昨日と同じく、何事もなくその店屋は営業しているようだ。

「おかしいな。

 僕がまんじゅうを盗んだことに気がつかなかったのか?

 いや、そんなことはないはず。

 だって、僕が逃げる時に、店員のお婆さんが声をかけてきたんだから。」

いずれにせよ騒ぎになることは防げて、ほっと一息。

しかし今度は別の疑問が頭の中を支配する。

何故、饅頭を盗んだのに、騒ぎになっていないのだろう?

誰にも見つからなかった、ということはありえない。

昨日、逃げる時に、喫茶店の店員が声をあげた。

その際に振り返って見て、

店の中の人たちが自分を見ていたのは確認しているのだから。

もしかして、何かの罠なのでは。

犯人は犯行現場に戻るとも聞く。

警察は、この店屋の中に今も潜んでいて、

犯人たる自分が来るのを待ち構えているのでは。

やっぱり謝りに行くのは止めて、ここから逃げ出したい。

でも、逃げたらこれから一生、泥棒として過ごすことになる。

それは嫌だ。

罪の意識に背中を押されて、その男の子はその店屋の暖簾を潜った。


 その店屋の暖簾の先には、昨日と同じ光景が広がっていた。

警察が待ち構えているかもというのは杞憂だったようだ。

年季の入った木のカウンター、古めかしいレジスター、奥のお座敷。

今日はカウンターにいたエプロン姿の老婆が、

その男の子が店屋の中に入ってきたのに気がついて、

腰に手を当てて口を開いた。

「おや、あんたは昨日きた子だね。」

そう言われた途端に、その男の子はもう頭を下げていた。

「昨日はごめんなさい!

 つい魔が差して、おまんじゅうを盗んでしまいました。

 警察に突き出すのだけは勘弁してください!」

母親のように怒鳴り散らされる、

そう思ったのに、しかしエプロン姿の老婆は穏やかに応えた。

「叱られる前に謝るなんて、感心な子じゃないか。

 安心しなさい。あんたを警察に突き出したりはしないよ。

 ここをどこだと思ってるんだ。

 人間、誰だって間違うことはあるからね。

 あんたが反省して、自分から謝りに来るのを待っていたんだよ。」

「ほ、本当ですか。」

「もちろん。ただし、罪は償ってもらう。

 何をすればいいのかは、わかってるね?」

エプロン姿の老婆に言われて、その男の子は考える。

警察に行かずに泥棒の罪を償う方法とは何だろう。

新たな難題に、その男の子は頭を悩まされることになった。


 その男の子は、店屋から饅頭を盗んだ。

しかし、店屋の老婆はそれを警察に届けることなく、

その男の子が反省して自ら謝りに来るのを待っていた。

そして、罪を償うために、しなければならないことがあるという。

その男の子は考える。

警察に行くことなく、饅頭を盗んだ罪を償う方法とは何だろう。

すると、エプロン姿の老婆が助け舟を出した。

「何をすればいいのか、わからないのかい?

 ここがどこだかを考えればわかることだよ。」

「ここって、喫茶店じゃないんですか?」

「ああ、こっちは喫茶店だよ。

 副業でね、和菓子を作って喫茶店も経営してるんだ。

 でも、本業は違う。

 店の名前を見ればわかるだろう?」

店の名前と言われて、その男の子は思い出す。

看板に何やら文字が書かれていたが、古い字だったので、

ふくまんじゆう、という読み仮名しか読めなかったのだった。

「店の名前って、福まんじゅうですよね?」

「・・・福まんじゅう?」

頭に疑問符を浮かべたのは、エプロン姿の老婆の方だった。

疑問符をいくつも浮かべて、それから大笑い。

ひとしきり笑って、涙を拭いながら言うのだった。

「あっはっはっは。

 そうか、あんたみたいな若い子には、あの字は難しかったかねぇ。

 あれは、ふくまんじゅうじゃなくて、ふくまんじゆう。

 福滿刹(有)って書いてあるんだよ。

 今の字では、福満寺。うちはお寺なの。

 お寺の名前をそのまま使って、和菓子と喫茶店の会社にしたんだ。

 だから、福満寺有限会社。

 それを福まんじゅうなんて、

 ずいぶんとおめでたい読み間違いをしてくれたものだね。」

なんと、福まんじゅうだと思っていた店名は、その男の子の勘違い。

本当の店名は、福滿刹ふくまんじ。福満寺という寺だった。

寺は、人が修行をして煩悩を捨てる場所。

罪を背負った人が来るのは当たり前で、それを追い返すようなことはしない。

だから、その男の子が饅頭を盗んでも、

警察に突き出すようなことはしなかったのだった。

「なぁんだ、ここはお寺だったのか。

 そうと知っていたら、もっと早く謝りに来るんだった。」

安心するも、その男の子の顔に冷や汗が落ちる。

お寺で反省のためにすることと言えば決まっている。

それは、その男の子が苦手とするものだった。

エプロン姿の老婆は、そんな事情を知っているはずもないのに、

その男の子を見下ろしていやらしくニヤリと笑った。

「では、反省として、あんたには座禅を組んでもらうよ。

 もう悪さをすることがないように、みっちりとね。」

そうしてその男の子は、奥にある寺へと連れて行かれた。

そこで座禅を組まされて、

暗くなるまでお坊さんにみっちりとお説教をされ、

やっと解放された頃には、

その男の子は、自分の足で立つこともできず、

地面を這って家へ帰ることになった。



 そんなことがあった後。

福満寺が営む喫茶店の饅頭は、福まんじゅうとして有名になり、

盗まれた饅頭一つ分の損など比べものにならないほどに、

大儲けすることになったという。



終わり。


 店名の読み間違いからくる勘違いを元にした話でした。


福満寺の人たちは、

饅頭を盗んだ男の子を警察に突き出すようなことはせず、

男の子が自分から反省して謝りに来るのを待ってくれました。

それだけでは、お寺の人たちが罪を一身に背負うようなので、

代わりに、男の子の読み間違いが元で報われる結果を考えました。


お読み頂きありがとうございました。


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