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聖女候補であった親友のレイチェルが聖女に選ばれた。
「おめでとうレイチェル」
同じく聖女候補であった私は内心の悲しみや嫉妬を抑えて祝福の言葉を述べる。
きっと、神様はこんな醜い心を持つから私を聖女に選ばずにレイチェルを選んだのだろう。だって、レイチェルは。
「ありがとう。でも、わたくしはカティアが聖女だと思っていたわ。だって、朝早くから教会の掃除を最初に行って、怪我人の治療も……」
「……ッ」
気付いてくれていた。一人でずっと朝早くから行っていた掃除を。自己満足と思いつつも神様が見ていてくれて聖女に選んでくれたらいいのにと打算で行っていた行為を。
きっとこんな浅ましい気持ちは神様にはお見通しだったのだろう。だから、ずっとそれを見ていて気付いてくれていたレイチェルを選んだのだ。
だからこそ神様は傲慢な私から聖女候補になったきっかけの治癒魔法を弱めてしまった。
優しいレイチェルが聖女に選ばれるように。
いや、レイチェルしかありえなかったのだろう。
聖女に相応しいのはレイチェルしかいない。
………神様に選ばれて、聖女になれば愛されると思った浅ましい自分と違って。
「本格的な聖女のお務めが始まるんだよね。がんばって」
でも、レイチェルなら大丈夫だろうなと思いつつ応援すると。
「ありがとう!! あっ、そうだ」
思い出したようにかちゃりと手首をあげて、不思議な模様が描かれている腕輪を見せる。
「親友の証の腕輪!! カティアも嵌めてくれてるよね」
「もちろんよ」
同じように腕をあげて、服の下に隠れていた腕輪を見せる。
レイチェルの腕輪とそっくりなそれは聖女候補になった時にライバルだけど友達になろうよとレイチェルがくれた宝物だ。
「よかった!! 離れ離れになるけど親友の証として大事に持っていてね」
もちろんわたくしも持っているから。
聖女になっても気さくな態度で両手を握ってくるレイチェルに、ああ、聖女候補になって彼女と親友になれたのは僥倖だったなと思っている。
聖女候補としての日々は大変だったし、聖女になれなかったのは悔しくて悲しいけど、レイチェルと友達になれたし、いい思い出もたくさんある。
『君ならきっと聖女になれるよ』
そう頭を撫でてくれた兵士さんは今元気だろうか。まだ治癒魔法が弱まる前だったからすっかり回復してると思うけど、応援してくれていたから聖女になれなかったとどこかで知ったら残念がるだろうか。
多分、兵士さんはそんな聖女候補の事を忘れているだろうし、レイチェルも聖女として忙しくなったら私の事忘れてしまうだろう。
でも、私は聖女候補だった日々を忘れないだろう。
この思い出があれば何があっても大丈夫だろう。たとえ、
「お前にはヘルマン辺境伯に嫁いでもらう」
数年ぶりに戻った実家で冷たい一瞥と共に命じられても。
私の実家はレイヴン伯爵家という貴族籍を持つ家である。と言っても、幼い頃に治癒魔法が使えるのが判明してから実家から離れて教会で暮らす事になっていた。
『貴女なら多くの人を助けられる素晴らしい聖女になれるわ』
死の床に居たお母様の遺言を聞いて、迷っていたし不安だった心が聖女になる決意を与えた。
そう決心して教会で頑張ったが、その治癒魔法は教会に入ってしばらくしてから弱まっていった。お母様の願いが、私の決心が無価値なものになってしまうと不安になって、せめて出来る事をと必死に考えて、朝早く掃除を行い、神に祈り、せめて治癒魔法が無くても治療できるようにと薬草園の世話を進んで行った。
だが、聖女にはもっと相応しいレイチェルが選ばれて、実家に戻った。
「今戻りました。お父様。失礼ですが、そちらの方々は?」
お父様の後ろには煌びやかな格好をしたご婦人と私と同じくらいの少女がいる。
「酷いわっ!! 異母姉とはいえ、お母様とわたしを知らない人扱いするなんて!!」
お父様が答える前に後ろに居た少女が涙を流してハンカチで目を抑える。
義理?
何の事でしょう。聖女候補として教会に暮らしてきたので、家族ともまともに連絡が出来なかった。お母さまの葬儀が最後に会ったお父様の姿だったが。
「メリンダ。ああ、泣かなくていい。カティア!!」
よしよしとメリンダと呼んだ少女を慰めるとこちらに向かって怒鳴るお父様。
「仕方ありません。再婚してから会いに行かなかった母など他人のような物ですから」
扇で口元を隠して悲しげに目を伏せるご婦人。
「アナンダ。すまない。カレンの教育が悪かったようで、カティアがお前たちに酷い事を言うとは思わなかった」
と三人で慰め合って、こちらを責めてくる。
いったいどういう事だろうかと思って辺りを見渡すと、メイドも従者も執事も教会に入る前に仕えていた人は一人も見当たらない。
これは一体どういう事だろうかと首を傾げていると。
「お前にはヘルマン辺境伯に嫁いでもらう」
と言う命令だった。
辺境伯は治癒魔法が使える奥方を欲していたそうだ。
治癒魔法は以前ほどではなくなったが、一応使えるので話を持ち掛けられたそうだ。
………ヘルマン辺境伯の領地は数年前に隣国の襲撃に遭い戦火の真只中になり、多くの犠牲者が出た。
聖女候補だった私はそこで多くの怪我人の治癒を行った。
幼い子供だった私は戦場の空気も運ばれていく重傷患者にも怯んで、怯えていた。
治癒しなくちゃいけないのに身体がすくんでいた。
『辛いなら無理するな』
怪我をして苦しいのにそう頭を撫でてくれた一人の若い兵士さん。
『ここは子供には酷だろう』
治癒できる者が欲しいとはいえ、教会はこんな子供まで送り込むのかと怒って気を遣ってくれた兵士さんのおかげで不安で怖かった気持ちが落ち着いた。
この人を治してあげたいという気持ちの方が膨らんで竦んでいた自分を無理やり叱りつけて魔法を行った。
そして、彼を含む大勢の人々を治していき、それでもまだまだ多くの怪我人が居る中。
『これ以上やったら君が倒れてしまう』
と止めてくれたのも彼だった。
まだたくさんの人がいると告げた私に、無理しなくていいと告げて。
『君の気持ちは伝わったから』
と周りを見るように促した。そこには怪我をして苦しいのにそれでも気遣ってくれる多くの兵士の目。自分達の方が苦しいのに労わってくれる優しい眼差しに申し訳なさに涙が流れた。
あの時治癒できなかった人々がいまだ苦しんでいるのだろうか。
あの兵士さんは今どうなっているんだろうか。
(会いたいな………)
辺境伯はどんな方か覚えていないが、あの時の兵士さん達に会えるのなら、まだ治癒が必要ならいくらでも向かおう。
でも、あのころに比べ治癒魔法が弱まった自分が役に立てるか不安だ。
「辺境伯と言えば、悪魔とか鬼と言われる方ですよね。そんな方に嫁がれるなんてお姉さま可哀そうに」
と言う割に嬉しそうに笑っているメリンダに、
「お前は優しいな」
と微笑み、頭を撫でるお父様の姿。
彼女達が一体何者かと結局教えてもらえずに、後でメイドに尋ねたら私が教会に行った後すぐに愛人を迎え入れ再婚したと教えてもらえた。
つまり、お父様は仕事仕事で、病に倒れて苦しんでいるお母様がそれでも寂しい想いを我慢していた間ずっと不倫していて、知らない間に妹も出来ていたんですね。
で、私が聖女候補として教会に向かうとこれ幸いにと再婚をして、それに苦言を呈した者達を次々と首にしていったと。
私と言う娘がいるのを知らない使用人が多くて、辛うじて庭師のイワンが教えてくれた。
イワンも私が聖女になるか嫁ぐ迄と我慢して仕えていたようで、私の顔を見てすぐに年齢が年齢だったから保留にしていた息子の家に同居する事にしたと言われた。
…………お父様は婿養子であるから継承権は私になるのだが、この家はメリンダが継ぐのが決定しているとも教えられた。
「一応、仮にも聖女候補だったからな。従者もメイドもいらないだろう。
自分の事は自分でやると言うのが教会の暮らしだっただろうしな」
お父様はにやりと笑いながらそんな事を言い出して。
「先方が欲しがっているんだから態々こっちが金を出す必要もないだろう。一人でさっさと行くといい」
と常識外れな事を言い出している。
「…………」
確かに自分の事は自分ですべきと言う教会の教えでずっと暮らしてきたが、貴族としてすべき事も必要な見栄も理解している。
だが、それを蔑ろにして、あらぬ噂……いや、事実を広められたら困るのはお父様であるのにと言おうとしたが聞く耳も持たないだろうと言うのは理解できた。
つまり私は、ヘルマン辺境伯の元に持参金もメイド一人も連れて行けずに馬車など移動手段も用意されないで放り捨てられる事になったのだった。