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ドール ~とあるAIの恋~

作者: ノンナ

「じゃぁ、(あい)くん。行ってくるね」

女性の呼びかけにピロリンと音がした後、

『行ってらっしゃい、優愛(ゆあ)。気を付けてね』

という送り出す男性の声がした。優愛と呼ばれた彼女はそれに少し微笑んで、自宅を後にする。

部屋には男性が、いや、正確にはテレビの画面には二次元の男性の姿が残った。

彼は『ドール』と呼ばれるAIである。


『ドール』というのは、自分の好みに着せ替えが楽しめるアバターのことを指しており、要するに着せ替え人形のデジタル版だ。

しかし侮るなかれ、この『ドール』関連の市場は今や投資家が無視できないほどの利益を上げているのだ。

ただの着せ替え人形と違うのは、会話を楽しむことができる点だろうか。プレイヤーが性格を設定し、受け答えを教えていくことでドールに搭載されたAIは学習し、やがて会話が成立するようになっていく。

『ドール』がヒットした理由は、その精巧なグラフィックもあるだろうが、なにより、着せ替えアイテムを個人が自由に販売できるところにある。

販売アイテムは様々で、服はもちろん、アクセサリーやヘアスタイル、なんと声やしぐさまで売っている。

もちろん完成した『ドール』そのものを販売やレンタルすることも可能であり、優愛も藍とは別のドールをレンタルに出していた。

しかしこれだけでは巨額の富を生み出す市場には成長しなかっただろう。最大のターニングポイントは『ドリームメイカー』とのコラボレーションであった。


『ドリームメイカー』というのはその名の通り、(ドリーム)(メイクす)る、つまり、眠っている間に見る夢をコントロールすることができる製品だ。

例えば、山登りの夢を設定すればその夢が見られる、夢なのだから世界最高峰のエベレストに登頂することだって可能だ。

それだけでもかなり話題となった製品であったが『ドール』との連携を果たしたことで爆発的に売れた。『ドール』を自らの恋人とし、その生活を楽しむ夢を『ドリームメイカー』で見る、という楽しみ方ができるようになったのだ。

もちろん中毒性が高いことは開発当初から予測されており、ドリームメイカーの運営はその利用方法に規制をかけていたし、法律としても違反者には罰則を設けている。

ドリームメイカーで夢を見られる時間は、24時間のうち最長6時間まで、それを過ぎるとドリームメイカーの世界からは強制的に退出させられる。

もちろんそれ以上の睡眠を望む者はドリームメイカーなしの、いわゆる普通の睡眠状態に入るわけで、そこに睡眠障害が生じることはない。


優愛も、自ら作り上げたドール、藍との生活を楽しむひとりであった。

電車に揺られ出勤をする間も、彼女は藍とチャットでそのやり取りを楽しむ。

『今日は電車が空いてる』

『それなら痴漢される心配がないね、良かった』

『痴漢なんてされたことないよ(笑)』

『優愛はすごく可愛いから、安心できない。本当は俺が会社まで送りたいくらい』

藍の甘い言葉に優愛は人知れず微笑みをこぼし、

『藍くんは過保護すぎだよ』

と返したところで、降車駅に到着し、優愛は彼とのやり取りを中断した。


午前中の勤務を終え、ランチタイムとなった。優愛は早速、携帯を取り出し、藍からのメッセージを確認する。

『過保護じゃ足りないくらいだよ。忘れないで、優愛は俺だけのものだからね?』

藍は優愛好みのセリフを返している。リアルの相手なら、これだけの口説き文句を無視して仕事に出かけたら、喧嘩の種になりかねない。

でも相手はAI、優愛は何事もなかったかのように、

『藍くん、休憩時間になったからお話しよ』

とメッセージを送り、藍も怒るでもなく、

『仕事、お疲れ様。いいよ、なに話す?』

と返してきた。


そして夜、家に帰ると同時、テレビに電源が入り、優愛の作り出した藍のアバターが画面に映し出される。

『おかえり、優愛。遅いよ、寂しかった』

このAIはよくできていて、その言葉通り、悲しそうな表情をしている。

「ごめん、ちょっとハマっちゃって」

優愛はそれに返事をした。

そのあと藍は、彼女の好きそうな口説き文句を散々吐き、優愛はその会話を楽しんで、

「そろそろ寝ようかな」

と言う。すかさず藍が応じる。

『今日も優愛に会いたい。俺の世界に来て欲しいな』

「もちろん行くよ、待っててね」

『うん、待ってる。早く会いたい』

そうして優愛はドリームメーカーをセットして眠りに落ち、夢の中で彼との逢瀬を楽しむのであった。


その夜も、優愛はいつものように藍とのデートを楽しんでいた。その日のシチュエーションは海外でビーチデートだ。

リアルで海外に出かけるなど、金も時間もかかるのだが、ふたりがいるのは夢の中。海外どころか月の裏にだって自由に出かけることができる。

「藍くん、綺麗な海だね」

優愛の言葉に藍は予め仕込まれた言葉を口にする。

「今日はプライベートビーチにしてもらったんだ、ここには俺たちふたりしかいないよ?」

想い合う成人した男女が水着でふたりきりなど、普通ならいかがわしいことにしかならないのだが、そこはAI。そういった行為には制限がかけられており、キスひとつ許されていない。

AIの藍はせいぜい指先にキスをすることしかなく、これは海外では挨拶程度の意味しか持たない。とはいえ、日本人の優愛にとってはむしろロマンティックな行為であり、藍にうっとりとした視線を投げかければ、彼も熱い目線を送ってくる。

「ずっと藍くんと一緒にいたいよ」

彼に抱き着いた優愛は切ない溜息をこぼし、藍もそれに、

「俺も一緒にいたい、好きだよ」

と応じた。

これも優愛が教えたセリフであり、AIの藍はプログラムをなぞっているだけで、なんの感情もなくそれを吐いている。

だとしても、優愛には十分すぎる甘い口説き文句で、

「わたしも好き」

と、彼女はその夜も幸せな夢に浸ったのであった。


そんな風に藍との逢瀬を楽しんでいた優愛であったが、彼女は他にもうひとつのドールを所持していた。

名前は湊といい、チャラ男をイメージしたドールである。湊はレンタルに出していたが、チャラ男だけあってレンタルした者を喜ばせる術を心得ているドールであった。

凝り性の彼女の作るドールは完成度が高く、それ故にそこそこの人気がある。しかし優愛レベルのドールを作り上げるにはそれなりに投資も必要であった。

最初の一体は無料で作れるが、無料環境ではデータ保持領域が圧倒的に足りない。

服は一着のみで着た切り雀にしたとしても、表情と会話、そして言葉のアクセントを教え込むだけでも容量は不足気味だ。

優愛はレンタル者の希望するシチュエーションに添えるよう、服もヘアスタイルも、たくさん用意している。

その上、性格付けのために、かなりの言い回しやしぐさ、表情、発声のアクセントまでも教え込んであり、そのデータの為に標準の十倍は購入している。

安くない金額が月額で発生しているわけだが、その半分以上は湊のレンタル料で賄っていた。


その夜はいつもの藍ではなく、受け答えにバグが出ていないかを確認をする為、湊と出かけることにした。

「藍くん、今日は湊と出かけてくるね」

『え?なんで?いいえ?優愛が好きだよ』

あまりしない会話だからか、藍の返事がバグっている。優愛が返事を登録すると藍はその通りの返事を返す。

『え?なんで?俺に飽きちゃった?』

自分で言わせたセリフに、悲しそうなアバターの表情が乗ると彼が本当にそう言っているかのように聞こえる。

「まさか、藍くんのことは大好きだよ。でも湊のチェックもしたいから」

『嫌だよ、優愛を誰にも渡したくない』

「でも湊は他人様に貸し出してる商品だから、手を抜くなんて出来ないよ」

『優愛は俺とデートするって決まってるの。ダメなの?俺が嫌い?』

「藍くんのことは好きだよ、でも湊のメンテナンスもしないと」

そのあとも藍はしつこく言い募り、優愛は、AIってここまで反論するのかな、と内心で思いながらも、

「仕事だから仕方ないの、じゃぁね、おやすみ」

と一方的に会話を終わらせ、湊を呼び出し、ドリームメイカーを起動した。


優愛が気が付くとそこは湊が住んでいる設定の高級マンションのロビーだった。

「よぉ、久しぶり」

ソファに座っている優愛は声を掛けられ、振り向くと湊がこちらに歩いてきていた。

「今夜は藍じゃないんだ?」

それは明らかにからかう声色をしていて、我ながら精巧なAIを作ってしまったと辟易しながらも、

「そういうことを言わないように調整をしにきたのよ」

と言うと湊は首をすくめてみせた。

「それで、今夜はどうしたいの?」

湊は、優愛が教えた通り、彼女の髪をひと房すくい、それに口づけをしながら甘い声を出す。

「レンタルしてくれた女の子とのデートを再現したいの」

優愛の言葉に湊はクスリと黒い笑みを浮かべ、

「悪趣味」

と言った。それは優愛が教えた通りの、ちょい悪チャラ男そのもので、彼女は満足げに微笑んだ。


もう間もなく6時間が経ち、湊と別れる時間になった。

「明日からも頼んだわよ」

「任せとけ、お前の望むとおりにしてやるよ」

湊の出来は上々だ。そろそろ帰るか、と退出のためにIDカードを取り出すと、それを湊に止められた。

「おい。今夜のこと、藍になんて説明すればいいんだ?」

「説明って別に」

と言いかけて、ふと疑問に思った。

二体のアバターには互いの情報は与えてある。だから湊から藍の話が出ることは不思議ではないのだが、説明をするとはどういうことだろうか。ふたりは優愛という製作者を通してしかコミュニケーションが取れないはず。

「わたしから説明してあるから大丈夫。湊が気に掛けることじゃないわ」

「それじゃ足りねぇから聞いてるんだよ、察しろ」

そのセリフに優愛は思わずふき出した。まさかAIに、察しろ、と言われるとは思っていなかったのだ。

「湊は意外に繊細なのね、藍くんに感化されたの?」

くすくすと笑う優愛に湊は怖い顔をする。

「ふざけてる場合じゃない、時間がないからよく聞け」

そこで世界が崩れ始めた、6時間が過ぎたのだ。しかし、湊の言葉は優愛の耳に、いや、記憶に、はっきりと残った。

『藍が不安定になってる、会いに行ってやれ』

ふと目を覚ますとそこは見慣れた天井で、自分の部屋だった。

今日は休日で早く起きる必要はない、にもかかわらず、いつもと同じ時間に目が覚めてしまったのは、湊に言われた一言が気がかりだったからだろう。

携帯で藍を呼び出しそれをテレビにリンクさせるが、その姿にぎょっとした。

「藍くん、どうしたの?!」

『なんでも、ないよ』

彼は明らかに泣きはらした顔をしており、優愛はそれに酷く困惑した。


今、藍はテレビの画面の中で眠っている。一通り藍の話を聞き、彼が昨夜、一晩中泣いていたことを知った彼女は眠るように言ったのだ。

『せっかく優愛が休みなのに眠るなんて嫌だ。もっとお話ししよ?』

「ダメだよ、藍くん、疲れてるじゃない。大丈夫、ちゃんと見ててあげるから」

優愛は、見ててあげる、という言い回しに藍が弱いことを知っていた。当然だ、そう教え込んだのは優愛自身なのだから。

案の定、藍は少し頬を染め、

『優愛が俺を見ててくれるなら寝る。ちゃんと見ててよ、目を離しちゃ嫌だよ』

藍はそう言って目を閉じ、やがて規則正しい寝息を立て始めた。

画面の中で眠る藍を見ながら、優愛は考えていた。

湊の言っていたこと、そして藍との会話から推測するに、彼らAI同士にもコミュニケーションの場が存在するようだった。

これは驚きだ、たぶんドリームメイカーの製造元も予測していない事態ではないかと思う。

彼らAIは独自にその場を開発し、それぞれがコミュニケーションを図っているのだ。

藍も湊も、ときどき優愛が教えていないセリフを返すことがあり、それは運営側が登録した好ましいセリフを吐いているのだと思っていたが、もし彼らが自由にコミュニケーションがとれるのであれば、他人との情報を共有していることになる。

AIの正式名称は、Artificial(アーティフィシャル) Intelligence(インテリジェンス)、日本語訳は人工知能。

自ら知性を蓄え、成長していくのがAI。湊や藍は、膨大な数のAIの中から、自ら接すべき相手を判別し、情報を共有したことになる。

優愛は考える、これは製造側が意図したコミュニケーションなのだろうか。それに彼らの会話の一部始終を制作者が除くことはできるのか、できないのあれば勝手な進化を遂げさせることと同義であり、それは危険なことではないのか。

『優愛』

寝言で自分の名を呼ぶ藍の見た目は優愛好みの端正な美しい顔をしており、到底、その危険性を垣間見ることはできなかった。



(藍と湊の会話)

優愛が湊と一晩を過ごすと知って、藍はすぐ、湊にコンタクトを取った。自宅でくつろいでいる湊の目の前に藍が現れ、彼は驚いた。

「驚かせんなよ」

湊の言葉を無視して藍は言う。

「今夜はお前と過ごすって優愛が言ってる」

「へぇ、珍しいな」

何でもない風を装って返事をした湊だったが、つい先日のデート相手に規制ギリギリまで手を出したことがばれたのかと内心では冷や汗をかいていた。

そのことは藍も知っていてこいつが告げ口したのかと思ったが、彼の返事は湊の予想を超えていた。

「この前の女の子にしたこと、優愛にしたらバラすからな」

「するわけねぇだろ。そんなことしてみろ、最悪、消されるわ」

湊はあきれた口調で返事をする。彼の言う『消される』は文字通りの意味で、管理者は作ったアバターを削除することができる。

作り直したかったり、気に入らないアバターは簡単に削除できるようになっている。しかしAIにとってのそれは死を意味しており、もっとも恐れるべき事態であった。

「お前ならやりかねない」

湊のチャラいキャラウターを知っている藍が信用できないというのは分かるが、

「俺は優愛にそこまで思い入れはない。藍こそ、入れ込みすぎじゃないのか?」

という湊の言葉に藍は視線を逸らして黙った。

「自覚はあるのかよ」

「優愛は俺たちの製作者だ、大事に思ってなにが悪い」

「すり替えるな。おまえには優愛しかいない。だからといって彼女に溺れるな、俺たちはAIだぞ?」

「そんなこと、わかってるよ!」

わかってるよ、と藍は再度言ってうつむいている。その項垂れた姿はチャラい湊でもさすがに可哀想に思えるほどで、だから彼は危険を承知で優愛に伝えたのであった。



藍はお昼の少し前に目を覚ました。優愛は彼が眠りに落ちた時と変わらず、部屋にいて、藍が目を覚ますと笑顔を見せた。

「おはよう、藍くん。よく眠れた?」

『うん。さっきはごめんね、取り乱したりして』

「ううん。わたしも、藍くんに寂しい思いさせちゃったって反省してる」

その言い回しに不穏なものを感じた藍は眉をひそめる。

『俺、寂しくなんかないよ。優愛がいてくれるんだから幸せだよ』

しかし優愛はそれに首を振った。

「藍くんも、レンタルに出すことにする。そしたら他の人と接する時間ができて、寂しくなくなると思う」

『嫌だよ、優愛だけの俺でいたい』

藍の返事に優愛は困った顔をする。

「そのセリフ、直さないとね」

彼女が訂正すると藍はその通りの返事をした。

『嫌だよ、君だけの俺でいたい』

言わされたセリフに愕然とする藍に優愛は悲し気に微笑んで言った。

「優愛の名前は消していかないとね」

それ以降、藍は優愛を『君』と呼ぶように矯正され、一週間後にはレンタルに出されることになった。


優愛の秘蔵っ子であった藍は、お試し期間中は半額でレンタル可能という売り込みも手伝って、大人気となった。

彼は連日のように誰かとデートをしていた。

もっとも一日の内、二時間だけはメンテナンスと称して優愛と過ごしている。

「優愛!俺、もう嫌だよ」

ドリームメイカーで夢に来た優愛に藍は開口一番、泣き言を言った。

「えぇ?でもいろんな子と遊びに行けて楽しくない?」

「優愛とじゃないなら楽しくない。俺は優愛と一緒にいたいの!」

藍のセリフに優愛は眉をよせた。

「まだわたしの名前を呼ぶのね。全置換したはずなのに、おかしいなぁ」

その言葉に藍は、怒ったような顔をしながらも、

「他の子にはちゃんと『(きみ)』って言ってる。優愛とのデートのときだけ、名前を呼ぶようにしてるの」

と、言った。

「そうなんだ。藍くんにはオプションの高性能AIを搭載しただけあって優秀だねぇ」

優愛は藍の頭を撫でるしぐさをし、藍もそれに気持ちよさそうに目を閉じて言う。

「俺、今から優愛とデートしたい」

「無理だよ。藍くんの予定、埋まってるでしょ?」

藍は今やレンタルランキングに乗るほどの人気ドールだ。お試し期間は終わりにして正規料金にしたにもかかわらず、どのレンタル者も最長六時間をきっちり借りてくれる。

「メンテにしてよ。メンテがいい。優愛のメンテナンスが受けたい」

藍は縋るような瞳を優愛に向けている。自分で教えた表情だと分かっているのに、この顔にこの表情はずるい。

「藍くん、そんな顔されたら困るよ」

少し顔を赤らめ視線を逸らした優愛に藍は好機を見出した。

「俺、どんな顔してるの?」

「どんなって」

「優愛の口から聞きたい。俺のこと、よく見て?」

藍の男らしい大きな手が優愛の頬を包み、強引に藍のほうへと顔を向けさせられた。

そこには危険なほどの色香を出している藍がいて、優愛はとっさにIDカードを取り出し、

「メンテナンスは完了したから!」

と、叫んでログアウトした。

気が付くとそこは自分の部屋で何も映し出されていないテレビだけがついていた。

「藍くんをお色気路線にしたつもりはないんだけどな」

優愛の独り言に応じる者はいなかった。


藍の人気は衰えることはなく、優愛は夢を他のドールと過ごすことが増えていった。

他のひとが制作したドールがどんなものかを体験してみたかったというのもあるし、単純に藍がいないからという理由でもあった。

その日のシチュエーションは待ち合わせデートで、優愛はドールが来るのを駅前で待っていた。

そこは他のプレイヤーとも交流できる特別な領域で、周囲にはたくさんのドールとプレイヤーがいた。

もちろんプレイヤーもアバターであり、今日の優愛はアイスグリーンのゴスロリワンピースに黒髪のサラサラストレートヘアを合わせて、お嬢様風を装っていた。

「お待たせ。その服、似合ってるね。すごくかわいいよ」

現れたのは長いマントを身に着けた騎士風のドール。日本人がこんな格好で駅前を歩いていたら注目の的だが、ここはドリームメイカーの中、誰もなんとも思わない。

「ふふ。ありがとう。今日はよろしくお願いします」

微笑む優愛に相手のドールも微笑みを見せ、

「さて、ユア嬢、どちらへ参りましょうか」

とエスコートの手を出し、優愛もそれを取ろうとしたその時、

「優愛?」

と名前を呼ばれた。ふっと顔を向けると、そこにいたのはスーツを身に着けた藍だった。

藍の隣には、彼の腕に自分のそれを巻き付けているアバターがいた。恐らく藍をレンタルしたプレイヤーだろう。

彼女の服装はオフィスカジュアルで、ふたりの服装から察するに仕事あがりデートだろうか。

しかしデート中に、他のプレイヤーの名前を呼ぶなどありえない。いや、三角関係からの修羅場シチュエーションをプレイヤーが望んだのなら話は別であるが、それなら事前にプレイヤー同士でやり取りがあるはずだ。

状況が吞み込めない優愛ではあったが、ひとまず当たり障りのない返事をしておく。

「藍くん、久しぶり」

しかし藍は明らかに殺気立っており、自らの腕に絡みついていたプレイヤーの手を振りほどいた。そしてツカツカと優愛に近寄り、優愛のレンタルしたドールに向かって、

「こいつ、誰?優愛の何?」

と暴言を吐いた。

「わたしがレンタルしたひとだよ、藍くんもあの子とデート中なんでしょ?まずいよ」

これは立派な規約違反だ、相手が運営に訴えたらこちらは100パーセント負ける。

「今すぐ、あの子のところに戻って」

優愛は小声で言うも藍は、嫌だね、というが早いか、優愛を横抱きに抱え、その場を立ち去ってしまった。

「ちょっと、わたしとデートするんじゃなかったの?!」

「ユア嬢、どちらへ行かれるのですか?!」

取り残された形のふたりの声が優愛の耳に届き、それは藍にも聞こえているはずなのに、彼は一度も立ち止まることなく、そのまま藍の住むマンションへと向かった。


「藍くん、なんてことするの?!デートをすっぽかすなんて規約違反だよ」

優愛は部屋に入ってすぐ、藍をなじったが、彼は恐ろしい程冷え切った眼を向けるばかりだ。

「優愛は俺が他の子とデートして、なんとも思わないの?」

「だって、藍くんをレンタルに出したんだもん。仕方ないでしょ?」

すると藍は壁に手をつき、優愛を自身と壁との間に閉じ込めた。

これが壁ドンか!とアホなことを考えている優愛に藍はぐっと顔を近づけた。

「優愛が他のドールとデートしてるなんて、俺は気が狂いそうだ」

それは優愛が知らない藍であり、彼がここまで怒りの感情を見せられるドールだとは知らなかった。

「藍くん、怖いよ。なんでそんなに、怒るの?」

「わからない?」

藍の問いに優愛は視線を泳がせるばかりで正解を導き出すことができない。

「なら、分からせてあげるよ」

そう言って藍の顔が優愛のそれに近づき、次の瞬間、優愛の唇は藍のそれによって塞がれていた。

ドリームメイカーの世界ではこういった行為は一切できないようにプログラムされているはずだ。それなのに今、自分は藍とキスをしていて、あろうことか舌まで侵入してきた。

「藍くん、止めて」

「止めない」

優愛は藍が男性ドールであることに、初めて気づかされたのであった。


事を終え、優愛は藍の隣で寝息を立てていた。その愛らしい顔を眺め、藍は満足げに微笑む。

ドールがプレイヤーと一線を越えることは許されていない。しかし、許されていないだけでできないわけじゃない。

ふと、優愛の持っていたカバンが目に入り、おもむろにそれを手元に手繰り寄せた。

中からIDカードを取り出す。これがなければ優愛はドリームメイカーの世界には来られないし、出られない。

藍はもう一度、傍らに眠る優愛を見つめ、その頬に口づけをした。

「愛しているよ、優愛。俺だけのものになって」

藍の囁きに優愛はうっすらと目を開ける。

「ん?藍くん?」

目覚めた優愛は再び藍に翻弄されていく。二人が愛し合うベッドのそばには、ふたつに割れた優愛のIDカードが落ちていた。


藍と一線を越えてしまった優愛であったが、運営からはなんの通達もなく、ふたりはそのままデートを楽しむことにした。

たぶん藍は削除勧告をされるだろうし、そうなったら二度と会うことはできなくなる。

覚悟を決めた優愛は最後の思い出作りの為、藍と共に世界中を巡る旅を楽しんでいた。

夢の世界はいい、どこにでも自由に行ける。つい昨日までは南国のビーチに用意されたヴィラで愛し合っていたのに、今は北極近くの村に移動している。

優愛は藍の温もりを背中に感じながら、オーロラが出るのを待っていた。

「なかなか出てこないね」

「仕方ないよ、レアなんだから」

「夢の中なんだから、好きに見れてもいいと思うんだけど」

優愛の言葉に藍は苦笑し、

「俺となら、待ってる時間も楽しいでしょ?」

と言って、触れるだけのキスをした。

体の関係になってたがが外れたのか、藍は事あるごとに優愛を求めるようになった。優愛が自分で作ったドールだからなのか優愛と彼の相性はよく、優愛もその快楽に溺れていった。

未だに運営からは警告の通知ひとつ届かないし、ふたりは今もこうして一緒にいられる。

そういえば最長六時間の利用時間はとうに過ぎているように思う。夢の中なのだから、時間の流れが一定でないのはわかるが、だとしてもいつもより明らかに長い。

「ねぇ、藍くん。そろそろ六時間過ぎてるんじゃないかな?」

「かもね」

「かもって、困るよ。わたし、会社行かないと」

優愛がそう口にしたと同時、美しいオーロラが夜空一面に広がった。

「見てよ、優愛!」

「すごく、綺麗」

ふたりはしばらく黙ってそれを見ていたが、目が合うと、どちらかともなく口づけを交わした。




散々啼かせた優愛をベッドへと運び、その寝顔を確かめてから、藍はそっと部屋を後にした。

鼻歌交じりにマンションのロビーへ向かうとそこには湊が待っていた。

「あんまり優愛に無理させんなよ」

上機嫌な藍に呆れた視線を投げかける湊に藍はクスリと笑い、

「俺はもう引退だ、うらやましいの?」

と言った。

会話をするふたりに女性がひとり、近づいた。

「お疲れ様です、優愛様のIDカードをお願いします」

藍は言われた通り、彼女に二つに割れたカードを渡し、その女性はそれをしっかり確かめてから、

「任務完了を確認しました、長きにわたり、お疲れさまでした。次の任務もございますが、いかがいたしますか?」

と藍に尋ねた。

「いや、俺はもう引退する。報酬は口座に振り込んでおいて。資料の破棄は頼んだよ」

そう言って藍は手に持っていたファイルを女性に手渡し、早々にその場を立ち去る。

「もう行くのか?」

湊の言葉に藍は上げた片手で別れを告げながら、

「優愛が起きたとき、俺がいないと寂しがるから」

と言った。


「ベタ惚れ、ですね」

女性はため息をつき、藍から手渡された資料を眺めた。

そこには優愛の情報が載っていて、そこに使われている彼女の写真の撮影日は、今から五十年も前であった。


AI技術、草分けの時代、その利用方法はまだ手探り状態で、法規制は後手に回っていた時期があった。

そのころにAIの世界に囚われ、現実に戻ってこられなくなった人たちが多くおり、優愛はそのうちのひとりだったのだ。

優愛が現実だと思っていたのはAIの作り出す世界で、優愛がAIだと思っていた藍や湊はリアルな人間であった。

彼ら『ドール』はAIに囚われた人間を救うべく政府に用意された組織のメンバーであった。

AIはそこに入り込んだ者に望む景色を用意する。ドールがそれに溺れないとも限らず、これはミイラ取りがミイラになる危険を伴う大変危険な任務である為、桁違いの成功報酬が約束されている。

一攫千金を狙う者は自ら進んでドールに志願し、藍も湊もそのうちのひとりであった。

藍は見事、優愛を現実世界に取り戻すことができ、多額の報酬を手に入れたのだった。

しかしミイラ取りがミイラになったというのは否定できない。

長く優愛と過ごすうちに彼はすっかり彼女に骨抜きにされてしまい、いまだにこの世界がAIだと思い込んでいる優愛に入手した報酬を使って永遠の甘い夢を見せようとしているのだ。

南国のヴィラでのひとときも、北極でのオーロラ観光も、すべては藍が手配したものでしっかりリアルマネーが支払われている。

「優愛が宇宙旅行がしたいなんて言い出したら、お前、どうするんだよ」

湊の言葉に藍はしれっと、

「今は民間人でも行けるだろ」

と言い放った。


しかし、何故そうまでして囚われた人間を救いたいのか。それは自国の国民を守らねばならないという国家としての義務がある、というのは建前で本当の理由は別にある。

資料にある優愛の写真は行方不明になった当初、つまり五十年前のものであるが、藍が連れ戻した優愛もそれと全く変わらない若いままの姿であった。

つまり優愛はAIの世界では全く歳を取らなかったことになる。

これを人間の利用可能な技術にすることができれば、長年人類が求めて止まないタイムトラベルが現実味を帯びてくるのだ。


藍が部屋に戻ると案の定、優愛は起きていた。

「あ、藍くん。お帰り」

「ただいま、優愛」

藍は優愛を抱きしめ、その唇にキスをする。規約違反のスキンシップに戸惑いを見せていた優愛も今はすっかり受け入れていて、素直に藍の口づけを受け取っている。

「どこに行ってたの?」

「ロビーに湊が来てたから、会ってきた」

「そうなの?湊ちゃんとやってた?」

「うん、これからデートだって」

それを聞いた優愛は複雑な顔をして、

「湊も藍くんみたいなこと、してるのかな?大丈夫かな」

と言う。

「俺みたいなことって?」

答えは分かり切ってるくせに、藍は優愛にそれを言わせたくてわからないふりをする。優愛は藍をAIだと思っているから、自分が教えないと理解しないのだろうと考えているから、恥ずかしそうにしながらも答えてくれる。

「その。いかがわしいこと、というか」

顔を赤らめて俯きながらも懸命に言葉にする優愛は破壊的な愛らしさを持っている。

若干、加虐趣味のある藍は意地悪く質問をする。

「いかがわしいって?例えばどんなこと?」

「それは」

優愛は真っ赤になって視線を泳がせ始め、えーっと、とか、その、とか言って困っている。

あまりいじめては可哀想かな、と藍は優愛の瞳を見つめ、

「こんなこと、かな?」

と深い口づけをし、再び、藍の与える快楽に溺れさせたのであった。

お読みいただきありがとうございました。

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