第21話 メンターとその弟子
女性兵士のネイルや口紅は、いち早く二十一世紀に解禁されている。
今では任務に支障がない範囲で自由に髪型を選べる時代になったが、パイロットという任務柄、ビアンカはいつも伝統的なシニヨンにまとめていた。
フィストフェス決勝戦の数時間前、駅の化粧室に入ったビアンカは、自走プログラムを起動したロボティック・マウスを、換気口の中に納めてカバーを元に戻した。
シニヨンを解いて髪を整え、スーツケースから取り出したビジネススーツに着替え、黒っぽい地味なホログラスを展開した。
スーツケースの内側を探って何やら操作すると、プシューと空気が噴き出した。見る見るうちにサイズダウンする。
中に納めた私服もコンパクトに圧縮される仕組みだ。
旅行用手提げカバンに早変わりしたスーツケースをぶら下げ、化粧室の出入り口からそっと外を窺がった。
何やら騒騒しい叫び声が聞こえてきたのである。
「こらァ~ッ!人の足踏んで、なんやー?すんまへんのひと言もないんか~、このガキゃ~!」
こっそり覗くと、さきほどの少女が、地元のチンピラとにらみ合っている。
チンピラ特有の舌を丸めた発声で凄みを効かせ口汚く罵る男が、堅気の人間ではないと悟った通行人たちは、見て見ぬふりを決めこんで遠回しに通り過ぎて行く。
ところが、少女は負けてはいなかった。
フードの陰から黒目がちな目でチンピラをにらんで罵り返した。アクセントからして地元の人間ではない。
「ちょっとぶつかっただけじゃん!大声出してウザいんだよ、おっさんッ!」
地元のラガマフィンは、おっさん呼ばわりにいたく傷ついた。小太りの体型のせいで老けて見える、と密かに悩んでいたのである。
ムッとして喚き散らした。
「お、おっさんってなんやねんッ!兄ちゃんて呼ばんかい!まだ、二十三やで~、わい・・・そ、そないなことはどうでもええッ!ひとこと謝らんかいッ!」
「わかった・・・じゃあ、謝る」
意外にも少女はふてくされて言うなり、つかつかと男に歩み寄った。
と、思いきや、いきなり男の腕を握って金切声で叫び出した。
「キャア―、なにすんのよ~ッ!みなさんッ、このひと、痴漢で~す!痴漢ですよ~ッ!」
チンピラは泡を食った。
事なかれ主義の通行人たちもチラチラと視線を送ってくる。ホログラスでひそかに撮影している者もいるはずだ。
警備ロボットも騒ぎを察知して、エコー音を発しながら近づいて来るではないか。
「こ、このくそアマっ、覚えとれよッ!」
捨て台詞を吐いて、脱兎のごとく逃げ出した。と言っても、日頃から不摂生を決めこんだ運動不足のチンピラは、小太りの身体を揺すって懸命に走る。
あかん!逃げるが勝ちや・・・
痴漢となると、切った張ったの喧嘩沙汰とはまるで勝手が違う。
とてつもなく、バツが悪いのである。濡れ衣とわかっていても、仲間からさんざんからかわれるに決まっていた。
「待て~、この痴漢ヤロ~ッ!」
少女はよく通る声で叫びながら、チンピラの後を追って駆け出し、二人の姿はたちまち駅の雑踏に紛れて消えた。
「あーあ、わたしの尾行をおっぽり出して、後で大目玉を食うわ、あのラガマフィン」
一部始終を見届けたビアンカはクスっと笑って、旅行カバンを下げて化粧室を出た。
メガロポリスの中心街とスラム街の境にある広い公園で、ビアンカは少女と落ち会った。
日はとっぶりと暮れ、街灯の灯りが所在無げに冷え冷えとした公園のほころびかけた梅の花を照らしている。
「どこからどう見ても、高校の英語教師に見えるわ」
ビアンカと向き合って座る少女が、流暢な英語で切り出した。
そう言う少女はフード付きのロングコートを脱いで、この寒空に長袖の制服姿で平然としている。
「あなたも真面目な女子高生そのものね。あの魔術師みたいなコートの下が、ピンクの セーラー服とはね~。イメージ狂っちゃう!」
ちょっと見は、日本の田舎の「ガール・ネクストドア」で、どこにでもいそうな純朴そのものの女子高生だ。
しかし、ビアンカはこの少女の異能力を、いまだに計りかねている。
「あのデバイス、助かったわ!最新型でしょう?さすがね、大企業の最高責任者だから当然だけど」
「暗号メールを見てすぐ手配したの。ところで、タクシー会社のドライバーじゃないと、どうやって見抜いたの?」
先ほどまでのふてくされた態度と打って変わり、少女は黒目勝ちの目でビアンカを見つめて尋ねた。
見る者が見れば、この純和風の顔立ちをした純朴そうな少女が秘めた、底知れぬ知恵と知性を感じ取れるはずだ。
ビアンカが闊達に答えた。
「この三年、休暇で日本に来るといつもイワクニ基地でしょう?これまでのドライバーは皆、黒いビジネスシューズを履いていた。今日の男は作業靴だったもの。きっとサイズが合わなかったのね・・・でも、あのデバイスをこの街のギャングに渡してもいいの?」
少女が忍ばせたメモの指示に従ったが、最新機器をむざむざ裏組織にくれてやるのは惜しい、と思うのだった。