第1話 ある夜のできごと
アラビア湾に護衛船団と共に停泊する米空母リチャード・ローズは、アメリカ中央統合軍の司令塔である。
この夜、広々としたラウンジでは、欧米連合軍のパイロットと空母乗員たちがつるんで陽気な祝勝パーティが続いていた。
アキラ・ミヤザキ海軍大尉はパーティを早めに切り上げ、士官用の個室でベッドにあお向けになり、頭の後ろに両手を組んで天井を見つめていた。
整った怜悧な顔立ちは、一見したところ冷静沈着な戦闘機パイロットにふさわしい。しかし、この日本人初のトップガン・パイロットは、かの国特有の控えめな性格と繊細な感受性に加えて、ある種の霊感の持ち主である。
憂い顔で眉をしかめじっと宙を睨みながら、アキラは物思いに耽った。
今日の「ブラック・イーグル作戦」は、見事に圧倒的な戦果をあげた。味方には死傷者さえ出なかった。
北米連邦軍にとっても歴史的な快挙だったが、アキラにはどうしても腑に落ちないのである。
「あの作戦は、成功するはずがなかった・・・」
試験飛行の段階から、あの戦闘機に搭乗してきた数少ないパイロットの一人である。電撃攻撃に使用した最新鋭偵察機と同型の戦闘機を知り尽くしている。
連合チームの誰もが気づかなかった事実を胸に秘め、勝利に酔いしれる仲間たちを残して、独り密かに抜け出して来たのは、頭を整理したかったからだった。
支援部隊としてミッションに参加した欧米連合軍の戦闘機部隊のチームリーダー、クーガーから作戦の概要を聞いた時、愕然として危うく叫びかけたが、懸命に抑えたのを思い起こす。
「いくらブラックスワンが天才でも、あのレーザー砲を手動でかわすのは不可能だ!」
なぜなら、クーガーはスワン機が自動操縦で妨害電磁波の圏内に突入すると勘違いしていたからである。
世界最高峰の人工知能プライムの回避プログラムを使って・・・
クーガーだけではない。中央軍司令官で空母の艦長でもあるジャーディアン海軍中将をはじめとする中央軍司令部の上層部も、慌ただしく空母に着艦した政府や諜報機関の高官たちも、全員がそう思いこんでいたはずだ。
ミヤザキ大尉の父親は量子コンピュータの専門家で、世界最高峰の人工知能プライムの設計に携わっている。アキラ自身、運命の気まぐれでトップガン訓練生に抜擢されるまではエンジニア志望だった。
それ故、ミッションの関係者たちが見落としたプライムのシミュレーションの決定的なミスに気づいたのである。
「でも、あのプライムがそんなミスを犯すはずはない!」
それは確かだ。だから腑に落ちない・・・
考えを巡らせていると、誰かが部屋のドアをノックした。
アキラはベッドの脇のホログラムで訪問者を確認すると、素早く起き上がってドアを開けた。
ぽつねんと立っていたのは、アキラと同じ士官用のカーキを身に纏った若い女性だった。
「グース、ちょっといい?」
「スワン、どうしたんだ?君がパーティの主役なのに・・・」
アキラは言葉をのんだ。
ビアンカの顔が不意に苦悩に歪み、褐色の目から涙がこぼれ落ちたのである。
と、突然わっと泣き伏すように大尉の肩にすがりつた。
アキラはひどく驚いたが、無言で彼女を抱きとめて部屋の中に戻った。ドアが自動的にスライドして閉じた。
日本人特有の繊細な感性に加えて、母親譲りのHSPで感受性が高い。人の心の機微が手に取るようにわかる。
ミッション後のスワンの様子がどこかおかしいのにも、とっくに気づいていた。
栗色の髪をシニヨンにまとめた頭を撫でながら、泣きじゃくるに任せているうちに、ビアンカはアキラの肩に顔をうずめ嗚咽をもらしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。
「わ、わたし、民間人を殺してしまった・・・いったい何人殺したの?」
「バンカーバスター。あんなもの使うなんて知らなかったの・・・許して!」
「しかたがなかったの・・・だって、だってあの諜報員は・・・」
そこで、ビアンカは我に返ったようにハッと言葉を呑み、再びわっと泣き伏した。
落ち着くまで、話は出来そうにない。
アキラはビアンカを抱きとめたまま、気持ちが静まるのを待った。
気が済むまで泣くのに任せていると、しばらくして泣き止んだビアンカは、何ごとか決意したように涙に濡れた顔をあげた。
「アキラ・・・お願い」
アキラはビアンカの瞳をじっと見つめて、無言でうなずいた。そっと屈んで両膝に手を廻した。身を任せたビアンカを軽々と抱き上げて、ベッドまで運んだ。
けれども、この日本人パイロットには、役得という想いは微塵もなかった。
彼女を苦しめている激しい罪悪感を、一時でも和らげてやりたい。その一心だった。
このままでは彼女は壊れてしまう・・・
それが何より怖かったのである。
この夜、気丈で無鉄砲で陽気なビアンカは、人のように乱れに乱れた。
泣きじゃくりながら何度もオーガズムに達しては「許してッ!」「ごめんなさい!」と泣き叫ぶ。
非業の死を遂げた民間人に許しを求める、血を吐くような叫びに聞こえた。
そして、全身で必死でアキラにしがみついて「サマエル、サマエル!」と叫んだ・・・
その瞬間、アキラはビアンカに対する秘めた想いはかなえられないとはっきり悟った。
それでも、ビアンカの苦悩を少しでも癒せたら、とやるせなく切ない想いを振り払い、ひたすら慰謝を求める彼女に応じたのだった。
真夜中を過ぎ、泣き叫び疲れて死んだように眠るビアンカを抱きしめて、しばし唇を噛んで自らの心の痛みを堪えているうちに、アキラもいつしか深い眠りに落ちて行った。