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母に厳しい教育をされて心身共にボロボロになり愛する人の命を目の前で奪われてしまった、自分を母の操り人形と自称する伯爵令嬢が、モフモフなオオカミと生活して救われる話

 私は生まれた時からお母様の操り人形だ。


 伯爵の爵位を持つレズリー家に生まれた――いえ、生まれてしまった私は、家長であるお母様の厳しいしつけを受けて育ってきましたわ。


 毎日座学や習い事、社交界での振る舞い方や魔法の勉強をし、たまに社交界に出る日々。食事と睡眠の時間をほぼ削り、自由時間を与えてもらった事は、ただの一度もございません。


 全てはレズリー家の令嬢として恥をかかないようにするため。そして、私と王太子様の婚約を解消されないために。


 この婚約は、私の意思など度外視で、お母様が王家の方と決めた事……それだけではありません。私のやらされる事は全て、お母様が決められた事。だから……私はお母様の操り人形なのです。


 そんな私は、少しでも休んだり勉強がおろそかになると、お母様に叱られ、時には厳しい罰を与えられる事もありますの。


 食事が抜きになるならまだ優しい方で、ドレスで見えない所を重点的に叩かれてアザだらけにされたり、真っ暗な部屋に閉じ込められたりもしましたわ。


 酷いと思われますか? 確かに酷いかもしれませんが、これは全て私が未熟ゆえに引き起こした事。なので仕方がないのです。ないのですが……物心がついた時からこの生活を続けてきた影響で、積み重なった心労が、時々顔を出してこう言うんです。



 もう疲れた。何も楽しくない。どうして私がこんなつらい目に合わないといけないの? 早く楽になりたい――



 そんな日々を送っている私、オリビア・レズリーが十歳になった日。この日からしばらくの間、私は屋敷を離れる約束になっておりました。


 どういう事かというと、お母様に、俗世を離れた静かな場所で、勉学に集中するために行くようにと言いつけられたからです。


 行き先は、ここから馬車で半日以上はかかる辺境の地と伺っております。そんなところで生活できるのか……不安で仕方がありません。


 そんな不安を抱いたまま、辺境の地の森の中にある小さな屋敷に連れて来られた私は、そこでさらに厳しい日々を送る事になりました。


 それぞれの分野に家庭教師をつけさせられ、勉強に明け暮れました。お母様が指示をされていらっしゃるのか、お母様程ではないにしろ、皆さんは私が少しでも成績が下がったり失敗をすると、罰を与えてきました。


 新天地でもそんな日々を送ってきたある日の早朝——私はお付きのメイドに、疲労で疲れ切った顔を、お化粧である程度見られるようにし、艶の少なくなった真っ白な髪を編み込んでもらってから、自室を後にしました。


 こんな辺境の森では、レズリー家に関係する人以外に会う方はおりませんが、身だしなみをしっかりしていないと、お母様に叱られてしまうのです。


 ちなみにお母様は家長としてのお仕事が忙しいため、この屋敷には滞在しておられませんが、たまに私の様子を見に来られるそうですが。


「オリビア様、朝食でございます」

「ありがとう」


 メイドと一緒に小さな食堂に移動した私は、用意されたパンやスープといった料理を素早く食べきった。急いで食べる事を主軸に置いてしまっているから、味を楽しむような事はいたしませんわ。


「本日は、午前に魔法の座学がございます」

「わかりましたわ」


 スケジュールの管理もしてくれているメイドと共に、家庭教師が待つ部屋へと移動する。この部屋には様々な本がぎっしりと詰められた本棚が並ぶ部屋。小さいながら、図書室と読んで差支えがない部屋ですわ。


「オリビア様。おはようございます」

「おはようございます」

「では前回の続きから始めましょう」


 先に来ていた、魔法の座学を担当する、少しお歳を召した男性に教わるために、席について分厚い本を開く。


 こんなボリュームの本を、後何冊勉強する必要があるのかしら……考えただけでつらくなってきますわ……。


「ここは――であるからして――」

「…………」

「オリビア様、聞いてらっしゃいますか?」

「え……あ、はい。聞いてますわ」


 や、やってしまいましたわ……つい日頃の疲れでボーっとして……この方の罰はあまりつらくないからといって、油断してしまいましたわ……。


「随分とお疲れの様ですね」

「そ、そんな事はありません! レズリー家の令嬢として、一秒たりとも疲れている暇などありません」

「そのようなお顔と態度で仰っても、説得力がありませんよ。今日は気分転換をされてきてはいかがですか?」


 え、気分転換……そんな事がお母様にバレたら叱られてしまいますわ!


「私の担当分野の成績は、とても良好ですので、少しくらい羽を伸ばしてもバチは当たらないでしょう」

「で、ですが……お母様にバレたら叱られてしまいます……」

「バレたら私もオリビア様も叱られますが、バレなければ良いのです。あなたもいいですよね?」

「そうですね。私もオリビア様の疲労が気にかかっておりました。ですが、ただの一メイドが、家長にそのような意見をする訳にも参りません」


 いつも私の傍で身の回りの事からスケジュール管理まで、何でもしてくれるメイドに視線を向けると、彼女は静かにうなずきながら答えました。


「私が、自由に過ごしても良いと?」

「そう申しております。今日はいい天気ですし、その辺をお一人で散歩でもされてきたらいかがですか?」

「ひ、一人で?」

「監視がいるよりも、一人の方が羽を伸ばせるでしょう。ささっ、どうぞいってらっしゃいませ。一時間後には帰ってくるのですぞ」


 そう言いながら、家庭教師に背中を押された私は、窓から外へと追い出されてしまいました。


「申し訳ございませんが、念のために、オリビア様の後を追ってもらえますかな?」

「もちろん、そのつもりですわ」


 なにかお二人が窓の向こうで話している声が聞こえますけど、何を言っているかわかりませんわね……それよりも、困りましたわ。自由時間なんて、生まれて初めてですから、何をしたらいいかわかりません。散歩でもって言われたけど……散歩もどこに行けばいいかわかりません。


「とりあえず……向こうに行ってみましょう」


 あてもなく屋敷を出発し、森の中を歩く私を、森は暖かく出迎えてくれた。小鳥のさえずりや、木漏れ日がとても心地よくて、歩いているだけなのに、とても気持ちが良い。


「こんな自由に出歩けるなんて、生まれて初めてだわ」


 物心がついた頃には、勉強漬けの毎日だった私は、どこかに遊びに行った事はもちろん、屋敷の庭を散歩した事もない。外というのは、社交界に出るために通るだけの場所であり、窓から見える景色でしかなかった。


 それに、外に出たとしてもすぐに馬車に乗っていたから、こうやって土を踏む感触というのも初めての経験ですのよ。


「……あら?」


 森の散歩を堪能していると、どこからか、カンッ――カンッ――と、何かを叩くような……いえ、割っているかのような音が聞こえてきました。


 あちらから聞こえてくるようですわ……何かしら、ちょっと気になりますわね。見に行ってみましょう。


「まあ、可愛らしい小屋だわ」


 音のした方へと行くと、そこには少し古びた木製の小屋が建てられておりました。こんな小さな建物に住めるのかは疑問ですが、小さくて可愛らしくて、個人的には好感が持てますわ。


「ん? あんた誰だ?」


 建物をまじまじと観察していると、建物の横から、一人の男性が出てきました。私よりはいくつか年上と思われる彼の髪は闇夜のように黒く、少し吊り上がった目は、澄み渡る青空のような色をしていますわ。手には使い込まれた斧を持っておられます。


「私はオリビア・レズリーと申します。ここからさほど離れていない屋敷から参りました」

「…………」


 ……? どうかされたのでしょうか……何故か頬をほんのりと赤く染めながら、私の顔をじっと見つめてきて……。


「あ、あの……どうかされましたか? 私の顔に何かついてますか……? あ、もしかしてお身体の具合が悪いとか!?」

「お、おう! なにもついてないし、身体はピンピンしてる! えっと、ご丁寧にどーも……俺はリュード。この小屋に住んでる」

「よろしくお願いいたします、リュード様。お元気そうでなによりですわ」


 私はスカートの裾を持って深々とお辞儀すると、リュード様は何故か焦ったようなご様子で、声を荒げました。


「りゅ、リュードさまぁ!? そんな背中がむずがゆくなるような呼び方をしないでくれ」

「ではなんとお呼びすれば……」

「リュードでいいから」

「そういうわけにはまいりませんわ。うーん……では妥協に妥協を重ねて、リュード様で……」

「いや、それ変わっていないからな? リュードさんでいいよ」

「では……リュードさん」


 もう私ったら……リュードさま……コホンっ、リュードさんを不快に思わせてしまいましたわ……。


「屋敷の事は知ってる。いつもほとんど人の出入りが無かったから、誰か住んでるって知らなかったけどさ」

「ここ最近住み始めたんですの。私、初めてこの森を……というより、初めて散歩をしているのですが、どこかお勧めの場所ってご存じですか?」


 この森に住んでおられるなら、きっとこの森で一番素晴らしい場所を知っていてもおかしくありません。そう思って伺ったのですが、何故か目を丸くされてしまいました。


 私、何かおかしい事を言ってしまったかしら……?


「さ、散歩が初めてって……まあいいか。事情は人それぞれだしな。それならいい場所がある。案内してやるよ」

「まあ! お優しい方ですね!」

「べ、別に! 丁度薪割りが終わって暇になったからってだけだ!」


 何故かお怒りになってしまったリュードさんは、斧を小屋の壁に立てかけてから、何処かへと向けて歩き出されました。


 不思議です。怒ってるはずなのに全然怖くありません。むしろ可愛いなぁと微笑ましく思ってしまいました……お母様に叱られてる時は、恐怖しか感じないのに……。


「それで、どこに連れていっていただけるのかしら」

「すぐにつく。足元に気をつけろよ」

「はい……きゃっ!」

「っと」


 言われた傍から木の根っこに躓き、前のめりに倒れそうになったところを、リュードさんが前から私を抱きしめるように支えてくださいました。


 私ったら、言われた傍から転びかけてリュードさんにご迷惑をおかけするなんて、本当にドジで嫌になっちゃう……。


「ありがとうございます」

「っ……!? さ、さっさと行くぞ! 俺の手を取れ!」

「リュードさんって、お優しい方なのですね」

「~~~~っ!?」


 微笑みながらお礼を言っただけなのに、何故かリュードさんは顔を真っ赤にしてお怒りになりながら、私の手を強く握って歩きだしてしまいました。


 うぅ……私がドジをしたせいで、リュードさんを怒らせてしまいました……もしかしたら、私の発言がお気に召さなかった可能性もありますわね……歳の近い男性と話すのなんて、ほとんど経験が無いので、勝手がわかりませんわ……。


「ほら、ついたぞ」

「うわぁ……!」


 それから特に会話もせずに歩く事数分。森を抜け、開けた場所に出てきた私達の前には、綺麗な青い花畑が広がっていました。その光景はあまりにも美しく、私は感動で目頭が熱くなってしまいましたわ。


「この丘から、この花畑が一望できるんだ」

「…………」

「お、おい。急に泣き出してどうした!? 腹でも痛いか? それとも気に入らなかったか?」

「いえ……あまりにも綺麗で……感動しちゃって……こんな綺麗な景色……見た事が無かったので……」

「そ、そうなのか。気に入ったのなら何よりだぜ」


 突然泣き出した私の事を怒ったりも馬鹿にしたりもしないリュードさんは、私と一緒に腰を下ろしてから、少し汚れたハンカチを渡してくれました。


 ……やっぱりお優しい方なんですね。


「落ち着いたか?」

「はい。はぁ……本当に綺麗な所ですね。思わずため息が漏れ出てしまいますわ。日頃の疲れが癒されそうです」

「……あんた、あの屋敷から来たって言ってたよな?」

「はい」

「さっき聞きそびれちまったんだが……あんた、何者なんだ?」


 そういえば私の事をちゃんとお伝えするのを忘れておりました。知り合った方にちゃんと自己紹介をしないなんて、失礼にも程がありますわ。


「私は伯爵の爵位を持つ、レズリー家の一人娘です」

「は、伯爵!?」

「あ、かしこまる必要はありませんわ。私はあくまでレズリー家に生まれただけの人間。凄いのは家長のお母様やご先祖様ですわ」


 よほど驚かれたのでしょうか。リュードさんは、お魚さんみたいに口をパクパクとさせておられます。


「私はしばらくの間、俗世から離れたこの場所で、様々な事を勉強するためにやって来たのです」

「勉強?」

「はい。座学、習い事、魔法、社交界でのマナー……色んな事です。その勉強に人生のほとんどを費やしているので、こんな綺麗な景色を見る機会がありませんでしたの。そもそも、自由な時間も与えてもらった事がありません」

「……なんか、話の規模が大きくて、イマイチついていけないな……ちなみにあんた、いくつなんだ?」

「歳ですか? 十歳です」

「十歳!? 五つ上の俺よりも大人びてる……」


 まあ、リュードさんは十五歳でしたのね。リュードさんは私の事が大人びてるって仰ってますが、私からしたらリュードさんの方が大人びて見えますわ。


「そんな勉強ばかりで、つらくないのか?」

「つらいです。少しでも成績が落ちたり失敗をしたら叱られますし……でも仕方がありません。私はレズリー家の長女として、家のために頑張らないといけないんですから」

「なんだよそれ。ざっけんなよ。聞いてるだけで腹が立ってくる」

「リュードさん……?」

「生まれた時から勉強の毎日? 自由な時間がない? ちょっとでも失敗したら叱られる? そんなの、ざっけんなって思うのが普通だろ」


 私にとってはつらくても、それが当たり前と思って諦めていました。なので、どうしてリュードさんがお怒りになられているのか……理解が出来ません。出来ませんが、私のために怒ってくれているのだけはわかりました。それが、とても嬉しかったのです。


 ……ところで、ざっけんなってどういう意味なんでしょう? 初めて聞きましたわ。


「あれ、なら今日はどうして自由に散歩をしてたんだ?」

「家庭教師の方が、たまには気晴らしをした方が、勉強の効率が上がるだろうって仰ってくださったのです」

「なるほどな。まともな考えの奴がいて安心だ。なら、また来られるのか?」

「わかりません……でもどうして?」

「あーいや……せっかく知り合ったんだしさ、これでさよならはつまんねーなって思ってよ……か、勘違いすんなよ? 別にあんたと一緒にいたいとか、心配だからとか思ってるわけじゃねーから!」


 仰ってる事の意図はわかりかねますが……リュードさんはお優しい方ですから、きっとなにか私のために考えての発言なのでしょう。


「基本的にあの小屋にいるから、いつでも遊びに来いよ」

「嬉しいです。次はいつになるかわかりませんが、また伺わせてもらいますね」

「っ……あ、ああ!」


 私はリュードさんの申し出に笑顔で頷いて見せると、何故かリュードさんは小さな握り拳を作りながら頷かれました。


 握り拳を作るなんて……よっぽど怒らせてしまったのでしょうか? うぅ……歳の近い男性との会話は難しいですわ。


 その後、私はリュードさんと花畑を眺めながら会話を楽しんだ後、あの花畑にあったお花を一輪貰ってその場を後にしました。


「うふふ……綺麗なお花。しおりにして大切にしましょう」


 リュードさんから頂いた一輪の花を両手で大切に持って屋敷に帰った私は、出ていく時に使った窓から屋敷の中へと戻りました。すると、家庭教師の殿方が、優しく微笑みながら出迎えてくれました。


「お帰りなさいませ、オリビア様。初めての散歩はどうでしたかな? っと……これは愚問でしたな。そのお顔を見ればわかりますぞ」

「とても素晴らしかったわ。おかげさまで、また頑張れそうです。それで、その……またよかったら……」

「もちろん構いませんぞ。ただし、勉強を疎かにするわけには参りませんから、一定の成績を収める必要がありますよ」

「もちろんですわ。レズリー家の長女として、そこは忘れておりません」

「でしたら、たまにこっそり……そしてお母様にはご内密に、ですぞ」

「っ! ええ!」


 やりましたわ! これでまたリュードさんにお会いする事が出来ます! 家も社交界も関係ない、私の初めてのお知り合い……この場合はお友達って言えばいいのかしら……わからないけど、とにかく嬉しいわっ!


「おや、オリビア様。おかえりなさいませ。そんな飛び跳ねて、どうされたんですか?」

「はうっ……」


 部屋に入ってきたお付きのメイドに指摘された私は、恥ずかしさで熱くなる顔を俯かせながら、吐息に近い声を漏らした。


 私ったら、いくら嬉しいからって、人前で飛び跳ねるなんて……はしたない事を……。


 でも、それくらい嬉しかったんですから、仕方ないですわよね?



 ****



 それからしばらくの間、私はお母様に内緒で、リュードさんと交流をするようになりました。頻繁にはお会いする事は出来ませんし、ごく短い時間しか一緒にいられません。


 そんな短い時間の中で、リュードさんは色んなお話をしてくださりましたし、私も言える範囲で自分の事をお話しましたわ。そのおかげで、私はリュードさんの色んな事を知れましたわ。


 リュードさんのご家族は事故で亡くなってしまい、天涯孤独の身になってしまったけど、それでも毎日必死に生きている事。


 この古屋は昔から家族で住んでいて、一人になってもずっと守ってきた、大切なものだという事。


 趣味は釣りだけど泳げないから、川に落ちないように気をつけているという事。


 たまに遊びに来る野生動物と一緒に遊ぶのが、私と出会う前の楽しみだったという事。


 これ以外にも、色んな事が知れましたが……リュードさんは、たまに何故か顔を真っ赤にして「勘違いするな!」とお怒りになる事がございます。これだけはいまだによくわかりませんわ……怒らせるような事はなに一つ言っているつもりは無いのですが……。


 それでも、いつ伺っても嫌な顔ひとつせず、私に接してくれるリュードさんの優しさが嬉しくて……私には、それがかけがえのない時間になっていました。


 お話以外にも、森のいろんなところに連れていってもらいました。別の花畑だったり、広い湖だったり、大きな川だったり……どれも美しい景色で、見ているだけで一日を過ごせそうなくらいでしたわ。


 素敵な所にリュードさんと一緒に行けるのが嬉しくて……連れていってもらった日は、夢に見てしまうくらい嬉しかったわ。


 それに、リュードさんと出会ってからは、以前に感じていた、疲れたって気持ちを感じなくなったんです。


 もちろん寝る前とかは疲れたって思いますが、楽になりたいって意味での疲れたは出なくなりました。それくらい、今の私の心は満たされているのでしょう。


 そんな初めての経験ばかりで、楽しくて夢のような日々を過ごしているうちに、何故か私はリュードさんに会う時に、胸がドキドキするようになっておりました。


 それどころか、身体がソワソワすると言いますか……顔をまともに見られないというか……会う回数を重ねるたびに、この現象が強くなっていくのを感じます。


 この不思議な気持ちを確かめるべく、私は外出してる事を知ってる、お付きのメイドと家庭教師の殿方に打ち明けました。すると、やや困った様に笑った二人の口からは、想定外の言葉が出てきました。


 それは恋だ――と。


「まさか私が恋をしてしまうなんて……」


 自分の気持ちに対して、自分が困ってしまいました。私には既に婚約者がおります。この婚約はレズリー家と王家に交わされた、大切な婚約。私の身勝手な気持ちで、婚約を破棄するわけにはまいりません。


 でも……この気持ちをリュードさんに伝えたい。この初めての恋心を……伝えたい。たとえこれが叶わない恋だとわかっていても……気持ちを抑えることが出来ないわ。


「おはようさん、オリビア」

「お、おはようございます、リュードさん」


 胸のドキドキが最高潮に達したタイミングで小屋にたどり着いてしまった私の顔を、挨拶をしながらじっと見つめてくるリュードさん。


 うぅ……人を好きになると……こんなにドキドキして、目も合わせられなくなってしまうのね……。


「なんか顔が赤いけど、熱でもあるのか?」

「え? 今日はちょっと暑いから……大丈夫です!」


 この恥ずかしさを何処かへと追いやるために、私は少しだけ強い声量で答えながら、握り拳を作ってみせた。


「よし、それなら川で釣りでもするか! 涼しいし、釣れたらその場で焼いて食えるしな!」

「釣りたてのお魚……食べてみたいです!」

「よっしゃ、決まりだな! 俺の釣りの腕を見てビビるなよ?」

「……? はい、わかりました」


 ビビるってなんでしょうか? よくわからないけど、リュードさんが言う事だから、変な意味じゃないと思いますわ。


「今日も一時間だろ? パパっと釣って焼いて食べような!」


 私の事情を理解してくれているリュードさんは、小屋の中に入ると、中から年季の入った釣り竿と小さな箱、そしてバケツを持って出てきました。すると、私の手を取って川のある方へと歩き出します。


 お恥ずかしい話なのですが、未だに森の道に慣れていないせいで、何度も転びかけてしまっているんです。その度にリュードさんが支えてくれるので怪我はしていないんですが……あまりにも転ぶからという事で、移動する時はこうやって手を繋ぐようにしております。


 今までは、大きくて少しごつごつしてる、暖かい手だなってくらいにしか思いませんでしたが……自分の恋心に気づいてから、手を繋ぐだけでドキドキしてしまうし、身体中が熱くて汗が止まりません。あ、汗臭くないですよね……?


「なあ」

「は、はい?」

「さっきからずっと顔が赤いし、手もやたらと熱いけど、やっぱり熱でもあるのか?」

「だ、だだ……大丈夫です!」


 あ、危なかったですわ。まさかリュードさんにドキドキしてるからなんです、なんて言えるわけが……って……あれ? さっきまでドキドキで余裕がなかったから気づかなかったけど、リュードさんのお顔も真っ赤になっていらっしゃるわ。


 もしかして……また何か怒らせるような事をしてしまったのかしら……私の馬鹿……。


「よし、到着っと! 滑るから気をつけろよ」

「は、はい」


 無事に川に到着した私達は、上流に向かって岩場を進んでいく。確かに岩がツルツルしていて、気を抜いたら転んでしまいそうですわ。


「ここ、よく釣れる穴場なんだよ」

「そうなんですか?」

「まあ見てろって!」


 岩が積み重なり、結構な高さになっている場所に来た私達は、腰を下ろして釣りを始める。私はリュードさんがするのを眺めるだけなんですが……穏やかな自然に囲まれて、好きなリュードさんと一緒にいて……幸せです。


「あの、リュードさん……」

「んー?」

「大切なお話があるんです」


 釣り糸を垂らしながらこちらにお顔を向けるリュードさんの事をじっと見つめながら、私はゆっくりと口を開く。


 うぅ……たった一言、好きですって言うだけなのに……こんなに緊張するものなんですね……。


「その……す……すす……」

「オリビア……?」

「オリビア、そこで何をしてるのかしら?」

「え……?」


 聞き覚えのある……そしてとてつもない恐怖心を感じる声に反応するように、私は身体を強張らせながら、声のした背後へと身体を向けると……そこには豪華なドレスに身を包んだ、金髪の女性が……私のお母様がおられました。その隣には、執事が二人立っています。


「そんな……どうしてお母様が……!?」

「あなたが屋敷を出ていくところを目撃した使用人から、連絡を受けたのよ。まさか、こんなところで遊んでいるなんて……」

「あ……ああ……!」


 恐怖で身体が動かない。ブルブルと身体が震える。目からは涙がとめどなく溢れる。このまま帰ったら、また罰を受ける。もう痛いのも苦しいもの嫌……怖い……!


「おいっ!」


 恐怖に震える私を守るように、リュードさんは私とお母様の間に立つと、今まで聞いた事の無いくらいの声量で、お母様に話しかけ始めました。


「あんたがオリビアに酷い教育をしてるって奴か!?」

「まあ、なにこの汚らしくて全く教養がなさそうな小僧は? オリビア、まさかこんな小僧と一緒にいたんじゃないでしょうね?」

「俺の事なんかどうでもいい! あんた、実の娘に酷い教育をして、恥ずかしくないのかよ!」

「いいえ、全く。微塵も。レズリー家の家長として、娘に厳しく教育するのは必要な事」

「このっ……! 絶対に許さねえ!!」


 リュードさんは激昂しながら、お母様に向かって突進していく。


 駄目——お母様は高名な魔法使い。真正面から行っても返り討ちにあうだけ。早く止めないと!


 そう思ったのも束の間。お母様は指をパチンっと鳴らした。すると、リュードさんの身体は宙に浮き、そのまま川へと突き落とされた。


「リュードさん!?」

「ごはっ……ごぼっ……」

「大変……! リュードさんは泳げないのに……! 今行きます!」

「何してるの? さあ、邪魔者は排除したし、帰るわよ」

「放してくださいお母様! 」


 溺れているリュードさんを助けに行こうとしましたが、お母様に腕を掴まれてしまいました。


 このままじゃリュードさんが溺れてしまいます。早く……早く助けに行かないと!


「俺は、いい! はやく! そんな女から! 逃げろ! 生きて! あんたの幸せを掴み取れ!」

「リュード様! 今お助けに参ります!」

「あら、あなた……やっぱりいたのね」

「きゃあああああ!?」


 近くの茂みから、私のお付きのメイドが颯爽と出てきてリュードさんを助けに行こうとした瞬間、またしてもお母様は指をパチンと鳴らしました。すると、メイドに高威力の電撃が襲い掛かり……メイドはその場で倒れてしまいました。


「全く、どいつもこいつも……私に逆らうなんて、何を考えてるのかしら」

「お、りびあ……さま……りゅー、ど……さま…………どうか……ごぶじ……で……」

「あ……ああ……いや……そんな……どうして……」


 最後に私の名前を呼んだきり、メイドはピクリとも動かなくなりました。


 私が物心がついた時からずっと一緒にいてくれて、私の姉のような人で……大好きだった人が……どうしてこんな思いをしなければいけないの……!?


「ごほっ……おり……び……いき……ろ……まけ、るな……」

「リュードさん!! いやぁぁぁぁぁぁ!!」


 川の流れる音にほとんどかき消されてはいましたが、確かに聞こえたリュードさんの言葉。それを最後に……リュードさんの身体は、川の中へと飲み込まれて行きました。


「本当に馬鹿な子だよお前は。お前が身勝手な事をしたからこうなったのよ」

「私……私の……せい……」

「これに懲りたら、二度と私に逆らうんじゃないわよ。さあ、帰って勉強……いえ、その前に今回の件の罰を与えないといけないわね。その女は屋敷に運んでおきなさい。あの小僧はどうせ魚のエサになるだろうから、放っておいて構わないわ」

「かしこまりました」


 その後のことはよく覚えていません。気づいたら私は屋敷に帰ってきていて、お母様から厳しい罰が与えられました。


 それは痛くて、苦しくて……つらくて。でもそれ以上に、私はメイドを傷つけてしまった事……そして、リュードさんを失った事の方がつらくて。悲しくて。悲しくて。悲しくて。


「ごめ、なさ……ごめんなさい……ごめんなさい……ぜん、ぶ……わたしの……ごめんなさい……ごめんなさい……」



 ****



「オリビア様、ご機嫌麗しゅうございます」

「この度はお誕生日、おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 レズリー家の敷地内に建つ、大きな建物の中にある一室。沢山の貴族の方に囲まれて祝福される私は、笑顔で一人ずつお礼を述べていきます。


 ――あれから月日が経ち、私は十五歳になりました。今日は私の誕生日を記念したパーティーが開かれています。


 あの日から、私の環境は少し変わりました。お付きのメイドが変わり、私を散歩に出してくださった家庭教師の殿方と、元々私といてくれたメイドは、勝手な行動をした罪を問われ、屋敷を追い出されてしまいました。


 メイドに至っては、追い出すだけではなく、リュードさんを殺した事を証言されないように、あの時の記憶を消された状態で追い出されました。そのせいで、お母様はなんの罪にも問われませんでした。


 そして、半年ほど向こうの屋敷で過ごした後。お母様の態度と教育が、より一層過激なものになっていき……今や私の身体には、罰によってつけられた火傷や古傷だらけとなってしまいました。魔法で隠しているので、バレる事はありませんが。


 そんなのつらくないのか、ですか……?


 ――もう、私は何もされても、何も思わないようにするようにしましたの。だって私はお母様の操り人形なのですから。人形が痛がったり苦しんだりしたら、おかしいでしょう?


 最近ではそれが板についてきたのか、感情を表に出さなくなりましたわ。


「オリビア様、お誕生日おめでとうございます」

「アルヴィン様。ありがとうございます」


 短く揃えられた金髪をなびかせながらやって来たこの方は、アルヴィン・フォン・テーレ様。この国の王太子様で、私の婚約者です。お忙しい中、わざわざ私のためにパーティーに出席してくれたのです。


 先程までたくさんの方に囲まれていたのですが、アルヴィン様が来られたと同時に離れていかれました。私達の事を気遣ってくれたのでしょうか。


「なにやら気分が優れないようですね」

「そんな事はございませんわ」

「そんな張り詰めた笑顔を浮かべられても、僕は騙されないですよ。少しだけ外の空気を吸ってこられてはいかがでしょう? あなたの母上には、私から上手く言っておきますよ」

「……ありがとうございます」

「いえいえ。大切な婚約者を心配するのは当然の事ですので」


 突然訪れた自由な時間。それはあの日以来の事……ほんの一時とはいえ、今回は許された自由ですし……あんな悲劇につながる事は無いですよね。


「ふう……」


 一人でパーティー会場を出た私は、レズリー家の自慢の一つでもある庭園へとやってきました。ここへやって来たのは初めてです。


 自分の家の敷地内なのにって思われるでしょうか。自由のない操り人形の私には、好きに庭園に来るような機会など、一切無かったものですから。


「…………」


 庭園に置かれたベンチに腰をかけながら、私はぼんやりと庭園を眺めますが、全く心が動かされません。五年前までは憧れの場所だったので、きっと当時の私なら感動したのでしょう。


 でも……今の私には、そんな心はありません。あの日……大切なものを失ってから、何も感じないのですから。


「あら……なにかしら」


 なにやらもぞもぞと動く黒い物体を発見した私は、じっとその物体を観察していると、素早い動きで私の方へと向かってきました。


 本来なら驚いて、そして助けを呼ぶべきなのでしょうが……特にそのような事をする気は起きませんでしたわ。


「止まった……」


 私の足元まで来た黒い物体は、よく見ると、ちゃんと顔や胴体がある、れっきとした生き物でした。黒いし汚れているせいで分かりにくいですが……オオカミの子供かしら……。


 オオカミは真っ黒な毛並みだけど、目だけは青空みたいな色をしていますわ。まるで……あの人みたいに……。


「オオカミさん、どこから迷い込んだの?」

「ガウッ」

「私はオリビア・レズリー。あなたのお名前は?」

「ガウッガウッ」


 当然と言えば当然なのですが、オオカミの言っている事が何一つ理解できません。ですが、私の言葉に反応して小さく吠えているあたり、私の言葉は理解している……ような気がしますわ。


 そんな事を思っていると、オオカミはぴょんと跳ねて私の膝の上に乗ると、小さく丸くなりましたわ。


「あなた、暖かくてふわふわね」

「…………」


 私はオオカミの背中を優しく撫でながら語りかけますが、オオカミは一切抵抗せずに丸くなり続けます。とても可愛らしいですわ。


「あ、あれ……どうして……」


 何故でしょうか……オオカミを撫でていたら、私の意思とは関係なく、涙が零れ落ちました。それにこの胸の奥に感じる不思議な暖かさは何なのでしょうか……さっきまでは何も感じなかったのに……。


「……さあ、そろそろ戻りませんと。あなたもお家におかえり」

「…………」


 オオカミを地面に優しく降ろしてから、パーティー会場に戻ろうとしましたが、オオカミは私の後をぴったりとついてきます。


 どうしてついてくるのかしら……わからないけど、私はオオカミの行動に、何故か嬉しく感じていました。


「……嬉しい??」


 嬉しいなんて気持ち……久しく感じていなかったのに……さっきの涙もそうだったけど、私は一体どうしてしまったのでしょうか。


「ねえ、私と一緒に来ませんか?」

「ガウッ」


 この返事は肯定の意なのでしょうか。わかりませんが、私はこの子を手放したくないと思っていました。こんな気持ち、生まれて初めてかもしれません。久しく何も感じていなかったので、もしかしたら過去に感じたことがあるかもしれませんが……。


「決めたのはいいですけど……パーティー会場に連れていくわけにはいきませんわね……一度自室に戻りましょう。大人しくしていてくださいね」


 私はオオカミをひょいと抱き上げると、小走りで自室へと戻りました。戻る途中に、屋敷の使用人に見つかりそうになりましたが、なんとか見つからずに済みましたわ。


「私、まだパーティーがあるからここで大人しくしていてくださいね」

「ガウガウッ」


 寒くないように、私はベッドの中にオオカミを隠してから、パーティー会場に何食わぬ顔で戻って来ると、アルヴィン様が笑顔で出迎えてくださりました。


「おかえりなさいませ、オリビア様。息抜きは出来ましたか?」

「はい。おかげさまで」

「それならよかった。では、休憩後の運動がてら、僕と踊ってくれませんか?」

「よろこんで」


 ああ、こんな事をしている間にあのオオカミが見つかったらどうしましょう。見つかって私が罰を受けるのはいいですが、あのオオカミが殺されたらと思うと気が気ではありませんわ――



 ****



 あのパーティーから約一ヶ月が経ちました。あのオオカミは今も元気に私の部屋で過ごしています。ちなみにオオカミには、ヴァルという名前を付けてあげました。


 ヴァルは非情に大人しくて賢い子です。部屋にいるとずっと寝ていますし、吠えたり人を襲ったりもしません。それに、私が部屋で本を読んでいると、隣で興味深そうに一緒に本を眺めているんですのよ。一緒に勉強してるつもりなのでしょうか? とても可愛らしいのよ。


 ヴァルは大人しい反面、ややそっけない所も見られます。出会った日は触らせてもらいましたが、それ以降は中々触らせてもらえません。特にお風呂は嫌いなのか、一緒に入ろうとした時は、大暴れして拒絶されてしまいました。


 汚れていたから洗いたかっただけなんですけど……仕方なく一緒に入るのは諦めましたが、洗わない訳にはいきませんので、試しに大きい桶にお湯を汲んでそれに入れてみたところ、全然暴れませんでした。


 お風呂は嫌がり、桶はいいというのはよくわかりませんが、そういう所も可愛らしくて憎めないですわ。


 あと、凄く優しい子なんです。私が勉強で失敗して罰を受けた日、身体が痛くてベッドの上で苦しんでいると、すぐに枕元に来て寄り添ってくれるんですの。それどころか、頬を舐めて励ましてくれますの。


 それが凄く嬉しくて……こんな気持ちを感じれる日がまた来るなんて、夢のようですわ。その勢いで抱っこして寝ようとすると、いつも逃げられてしまいますが。悲しいですわ。


 そんな大人しくて優しい子なので、上手く隠せると思っていたのですが……お付きのメイドには、拾ってすぐにヴァルの事がバレてしまい、すぐに逃がせと言われました。しかし、ヴァルの大人しさと必死の説得のうえ、なんとか見逃してもらうのに成功しましたわ。


「さて……今日も勉強してきますわ。お留守番、よろしくお願いしますね」

「ガウッ」

「オリビア」

「っ!?」


 いつものように、朝から勉強をする為に部屋を出ていこうとした瞬間、ノックもせずに部屋に入ってきたお母様は、当然のようにヴァルに視線が向きます。


 お母様は今までは私の私生活には無頓着でしたわ。だから、部屋に来ることなんてなかったため、今までは何とか隠せていたのに……まさか、なんの前触れもなく私の部屋に来るなんて思っても無かったですわ。


 お母様の事だから、私にヴァルなど不要として追い出してしまうでしょう。いえ、もしかしたら。この場で殺してしまうかもしれません。


 ……そんなの嫌です……もう大切なものは失いたくないです……。


「オリビア。その犬? いや、オオカミかしら。最近そいつにかまけているって聞いたわよ。さっさとそんなの殺して、勉強に集中なさい」

「お許しくださいお母様! ヴァルは私の大切な家族なんです!」

「私に逆らうつもり? 随分と偉くなったものね。そんなに罰を与えられたいの?」

「私はどうなっても構いません! でもこの子だけは!」

「駄目。私の教育に邪魔なものは排除するわ」

「グルルルル……」


 ヴァルを庇うように前に出たのに、ヴァルはお母様に敵意を剥き出しにしながら、私の前へと出てしまいました。


 駄目……! 平気で人殺しが出来るお母様なら、本当にヴァルを殺してしまう! そんなの見過ごすわけにはいきませんわ!


「退きなさいオリビア」

「嫌です! 絶対に退きません!!」


 レズリー家に生まれて十五年間の人生で、初めてお母様に逆らった私は、ヴァルを庇うように抱きしめると、その場で丸くなってヴァルを守りました。


 あの日からずっと……いいえ、生まれた時からずっとお母様に反抗なんてしなかった。でも……もう目の前で大切なものがこの世から去ってしまうのは……耐えられない!


「そう。なら無理にでも退かして、そのオオカミを殺すわ」

「奥様。少々よろしいでしょうか」

「なに? 邪魔をするつもり?」


 お母様に魔力が集まるのを背中で感じながらも、絶対にその場を退かなかった私を救うように、今のお付きのメイドがお母様に声をかけました。


「こちら、ヴァルを迎え入れた日から今日までの、オリビア様の成績です」

「……どこも落ちてない所か、むしろ上がってるわね」


 恐る恐るお母様の方へと向くと、メイドから渡された一枚の紙に目を通しながら、少しだけ眉間のしわを緩めました。


「はい。これは持論ですが、ヴァルがいることで、オリビア様に良い影響が出ていると思われます」

「でも、これから先にこのオオカミのせいで成績が下がる可能性もあるでしょう? それに、屋敷の者が襲われる危険性もあるわ」

「はい。ですが、現状はその兆しは見られません。もし少しでも下がった時に、また再考すればよいかと。すぐに発見出来れば、被害は最小限に抑えられるでしょうし。襲われたとしても、我々はレズリー家を守るために武術や魔法を嗜んでいます。オオカミ一匹に襲われたところで、怪我一つ負わないでしょう」

「…………」


 淡々と説明をするメイドの言葉に納得したのかは定かではありませんが……お母様は軽く舌打ちをしてから、「少しでも何かあったらすぐに殺すから」とだけ念押しをして、部屋を去っていかれました。


 もしかして……助かった? ヴァルは殺されない……?


「オリビア様。もう大丈夫です」

「ありがとう……でもどうして助けてくれたの?」


 ヴァルを拾ったあの日、この方はヴァルの面倒を見る事に反対をしていたはず。それなのに……どうしてなのでしょうか?


「オリビア様のお傍で、ずっとヴァルを見ていましたから。その子がオリビア様に良い影響を与えているのも、支えになっているのもわかっております。屋敷の人間に危害を加えない、とても賢い子だという事も」

「……ありがとう」


 私はメイドに深々と頭を下げてから、ヴァルを力強く抱きしめました。ヴァルは少し苦しそうでしたが、それでも私から一切逃げないあたり、本当の優しい子ですわ。守れて本当に良かった――



 ****



 あれから更に二年が経ちました。私は十七歳になり、アルヴィン様との結婚が間近に迫ってきました。


 ヴァルは出会ってからずっと元気に生活しています。大きくなる気配はありませんが、そのおかげで沢山抱っこが出来る……と思いきや、いまだに毎回逃げられてしまいます。悲しいですわ。


 悲しいですけど、そっけない所がまた可愛くて可愛くて……ブラッシングをしてあげると、気持ちよさそうに欠伸をするのも可愛らしいですし、丸くなって寝ている姿も可愛らしいです。


 もうヴァルのいない生活なんて考えられないですわね……ヴァルのおかげで、つらい毎日でも、何とか過ごせております。ヴァルは私にとって恩人……恩狼? とにかく感謝していますの。


 さて、そんな日常を過ごす私は、明日に開かれる、結婚を無事に迎える事を記念したパーティーに出席します。だから早く寝ないといけないのですが……ヴァルがどこかに行ったきり、部屋に帰ってこないのです。


 実はヴァルは、たまにふらっとどこかに行ったっきり、しばらく帰ってこない事があります。毎日とは言いませんが、それなりの頻度でいなくなってます。


 私としては、何処かへ散歩にでも行ってるかなと思っているのですが、心配なものは心配なのです。


「オリビア様。今日はもうお休みになられた方がよろしいかと」

「ですが……まだヴァルが帰って……」

「ヴァルは私が待っていますので、安心してお休みくださいませ」

「わかりました……おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」


 後ろ髪を引かれる思いでしたが、仕方なくベッドに入った私は、ゆっくりと目を閉じました。


 ——最近、不思議な夢を見るんです。それは、リュードさんと一緒にいろんなところに行く夢です。一緒に森に行く事もあれば、屋敷に招待したり、庭園で会話をしたりと、状況は様々です。


 そんな夢はとても楽しくて、そして覚めると悲しくて……それをいつもわかったように枕元で寝ているヴァルが慰めてくれるのです。


 そういえば、いつからこんな夢を見るようになったのかしら……ヴァルと出会ってからなのはわかるんですけど……。


 そうそう。ヴァルと出会ってから、私は少しだけ変わったんですのよ。


 夢に一喜一憂する他にも、ヴァルがたくさんご飯を食べてたり、気持ちよさそうに寝ているのを見ると嬉しくて愛おしく思えますし、つらくて挫けそうになった時に慰めてもらうと、胸が暖かくなりますの。


 そう……リュードさんを失ってから五年の間、何も感じなくなっていた私の心が、動くようになったんですの。きっとこれは、ヴァルがもたらした奇跡なのかもしれないですわ。


「ヴァル……早く帰ってきてね……」


 私は大切なヴァルの事を想いながら、ゆっくりと意識を手放しました――



 ****



「全ては手筈通りいっておりますわね」

『もちろん。このまま計画通りに事を進めれば、我々の悲願……この国を手中に収められるでしょう』

「ふふっ……ここまで長かったわね。あなたから話を持ち出された時はどうなるかと思いましたわ。それにしても、よくもまあ私の事を理解してますわ」

『私は最初から成功すると確信していましたよ。それに、あなたが権力にご執着だというのも。だからこそ、国王にあなたの娘と王太子の結婚を勧めた……』

「感謝しておりますわ。私が国を好きにできる……最高じゃありませんか」

『そういえば……随分前の話ですが、物置に賊が侵入していると聞きましたが、明日のパーティーには問題ないのですかな?』

「ええ。被害は微々たるものですし、警備は万全です。あなたは安心して王と王太子を連れてお越しください」

『わかりました。ではまた明日お会いしましょう』


 ……へっ……呑気に通話なんかして、いい気なもんだ。これだけ集まれば十分だろ……見てろよ。絶対に思い通りになんかさせるかよ。


 オリビアの幸せと自由……必ず勝ち取ってやる。



 ****



 翌日、私は以前に誕生日パーティーを行った時と同じ会場で行われるパーティーに出席しました。今回はアルヴィン様はもちろん、お父上である国王様や、大臣の方もお越しになられます。国王様はだいぶお歳を召していらっしゃるので、先程からずっと座ったままですわ。


「ごきげんよう、オリビア様」

「アルヴィン様。ごきげん麗しゅうございます」

「こうして会うのは、オリビア様の今年の誕生日パーティー以来ですね。お目にかかる度にお元気になられていますね」

「ええ。おかげさまで」


 にこやかにそう答えると、アルヴィン様は何故か申し訳なさそうに眉尻を下げられました。


「僕はオリビア様の元気が無いのがわかっていながら、何も出来なかった。その無礼をお許しいただきたい」

「そ、そんな! 私こそ万全の状態でお会いできなくて申し訳ございません!」

「いえ、オリビア様には非はございません。このアルヴィン・フォン・テーレ。両家が決めた婚姻ですが、生涯あなたの事を支えると誓います」


 アルヴィン様は私の手の甲にそっと口づけをすると、周りから黄色い声が聞こえてきました。


 アルヴィン様はお優しい方ですね……そのお気持ちは大変嬉しいですし、アルヴィン様の事は好意的に思っております。


 ですが……どうしても、私の心はリュードさんとの楽しかった思い出を……この愛する気持ちを……忘れる事が出来ません。アルヴィン様と結婚をして一緒に生活をしたら、変われるのでしょうか。


 そんな事を思っていると、国王様が大臣様の手を借りながら、会場のステージに上がりました。


「我が愛しき民達よ。今日はよく集まってくれた。心より礼を言う。集まってもらったのは他でもない。我が息子、アルヴィンの事について、正式に発表したい事がある! それは――」


 国王様が私達の紹介をしようとした瞬間、どこからかガラスが割れるような音が聞こえてきました。その音にビックリした来賓の方々達からは、悲鳴が聞こえてきましたわ。


「な、何事ですか!?」

「オリビア様、僕の背中に隠れて!」


 咄嗟に前に出てくれたアルヴィン様の背中に隠れながら、音のした方を確認すると、どうやら窓ガラスから何かが侵入して来たようです。


 一体こんな所に……しかも白昼堂々と誰が侵入してきたのでしょうか。そう思いながら確認すると……なんと、それはヴァルでした。


「黒い……オオカミ、ですか?」

「ヴァル!? あなたどうして!?」

「オリビア様! 危険です!」

「大丈夫です。この子は私の家族ですわ」


 急いでヴァルの元へと駆け寄った私は、ヴァルの身体を確認しました。ガラスで身体を切ってしまっているのか、少し血が出てしまっていますが、命に別状はなさそうです。


「オリビア! どうしてここにそのオオカミがいるのか説明しなさい!」

「わ、私にも何がなんだか……部屋でお留守番してるように言っておいたのに、こんなイタズラするなんて……あら、その口に咥えてるのは……録音石?」

「ガウッ」


 ヴァルは短く吠えてから、咥えていた青白い石を自分の足元に置くと、鼻先でツンとつついて見せました。すると、石からは二人の人間の声が聞こえてきました。


 一人はこの国の大臣様。そしてもう一人は……お母様でしたわ。


『全ては手筈通りいっておりますわね』

『もちろん。このまま計画通りに事を進めれば、我々の悲願……この国を手中に収められるでしょう』

「え……?」


 録音石から聞こえてくる会話は、なんとお母様と大臣様が、この国を手に入れるために話をしているものでした。


「ど、どうなっておる! 大臣! 説明をせんか!」

「国王様! これは何かの間違いですぞ! ええい、すぐにそのオオカミを殺せ!」

「やめろ!!」


 大臣様の指示に従う様に動き出した兵士様達でしたが、アルヴィン様の指示の方を優先したのか、すぐに止まってくださいました。


「こんな会話、いつの間に……もしかして、時々ふらっといなくなってたのって……これを録音するために?」

「ガウッ」

「でも、録音石なんてどこで……まさか!」


 そういえば、随分と前に倉庫に盗みが入ったという話を聞いた事がありますわ。倉庫には、録音石の備蓄もあるはず……ヴァルは小柄で、人が入れないような隙間も入れますから、倉庫にイタズラで忍び込んで録音石を盗ってきたという事でしょうか? しかもその録音石で、こんな話を録音してきた……そんな人間みたいな行動を、オオカミが出来るのでしょうか?


「ヴァル……あなた……もしかして……いや、そんな事があるわけ……」

「ガウッ」


 人間の言葉が喋れないヴァルは、いつもの様に鳴く事しかしません。ですが、その短い鳴き声は、私の言葉に答えているように感じました。


 その間にも、お母様と大臣様の会話は会場に流れ続けております。


 内容を要約すると、私をアルヴィン様と結婚させてお母様を王家に縁のある人物にし、アルヴィン様が新たな王になった後、お母様の意見は正しいと、大臣様からアルヴィン様に刷り込ませ……どんな事でもお母様の意見を尊重するようにする事で、実質的にお母様を王にして、大臣様と二人で国を好きなようにするつもりだったようです。


「僕は大臣を信頼していた。幼い頃から僕に良くしてくれておりました……ですが、全てはこれが目的だったんですか!」

「くっ……貴様、私との通話を録音されるとは、何を考えている!」

「警備は万全でしたわ! まさかあんなオオカミが録音石を使うなんて、誰が想像できますか!?」

「ええい、とんだ期待外れではないか! 私は失礼させてもらう!」

「逃がすか!」


 ここから逃げようと走りだした大臣様でしたが、突然何かに押しつぶされるかのように、その場でうつ伏せに倒れこんでしまいました。


「う、動けん……! アルヴィンの重力魔法か……!」

「ええ、そうです。あなたから……僕は色んな魔法を教わりました。それを、まさかこんな形で使う事になるなんて……悲しいですよ」

「兵よ、この二人を連行せよ!」


 国王様が声高々に指示をされると、護衛としてついてきた兵士様達は、二人を逃げられないように拘束をしました。


 まさかこんな事になるなんて……お母様は、このために私を厳しく育てていたんでしょうか? 自分の権力のために……。


 ……正直、ショックですわ。


「やはりあの時に殺しておくべきだった! こんなオオカミ如きに……私の計画を……! 許さない! 断じて許さないわ!! 貴様も道連れだ!!!!」

「っ!? ヴァル!!」


 兵士様の拘束から強引に抜け出したお母様は、ヴァルに向かって小さな赤い球体を放ってきました。


 あれは……確か、当たると爆発を起こす魔法ですわ! あんなのが当たったら……ヴァルは……!


「させません!」


 私は急いで立ち上がると、身体を大きく広げてヴァルを守る盾となりました。きっとものすごく痛いでしょうし、身体に大きな火傷の跡が残ってしまうかもしれません。下手したら死んでしまうかもしれませんわ。


 それでも……ヴァルは私が守ってみせます。二年程しか一緒に過ごしていませんが、ヴァルは私の大切な家族で、愛おしい子なの!


「ウォォォォォォン!!」

「え……?」


 今まで聞いた事が無い遠吠えをしながら、ヴァルは私の前に飛び出して、自ら球体に向かって飛んでいきました。それを遮るものは当然無く――私の前で、ヴァルは爆発に巻き込まれました。


「ヴァ……いや……」

「あはははははは!! くそオオカミめ、ざまぁみなさい!!」

「何をしておる! 早く拘束せんか!」

「はっ!!」

「誰か、回復魔法を使える方はおりませんか! すぐにあのオオカミの子の手当てを!」

「あはははは……あはははははは!!!!」


 会場中に響くお母様の高笑いも、バタバタと走り回る兵士様達の騒音も、今の私には一切見えませんし、聞こえません。


 今私の耳を、目を、心を支配しているのは……血まみれのヴァルの姿でした。


「ハッ……ハッ……」

「どうして……どうして私を庇ったんですか!?」

「…………」


 もう耳が聞こえないのでしょうか。私の声に何の答えも返してくれません。ただ一秒でも生きようと、苦しそうに呼吸をするだけでした。


「私はまた……大切な……いやっ……失いたくない……一人にしないでよぉ……!」

「…………」

「あっ……」


 ポロポロと涙を流す私を慰めるように、ヴァルはいつも私を慰める時と同じように、頬を優しく舐めると――それ以上動く事は無くなりました。


「あ……あぁ……ごめん、なさい……守れなくて……馬鹿で弱くて……ごめんなさい……ヴァル……!!」


 ごめんなさい……冷たく、そして固くなっていくヴァルの亡骸を強く抱きしめる事しか出来ない私を……許して……。



 ****



 あれから長い……長い月日が流れました。その後にあった事をお話させていただきますわ。


 あの事件があった日から間もなく、お母様と大臣様の悪事が次々と露見していき、二人は間もなく処刑されましたわ。私はその現場にはいませんでしたが、二人共最後まで自分の無罪を主張し、恨み言を言いながらこの世を去ったそうです。


 悪事を働いたとはいえ、優秀ではあった、お母様という家長を失ったレズリー家は、お母様の悪評が広まったのが影響して爵位を剥奪されたのに加えて、私も家長を継がなかった事で、完全に没落してしまいました。


 とはいえ、そのまま放っておいたら屋敷に仕えていた使用人が路頭に迷ってしまいます。ですので、私はアルヴィン様に協力をお願いして、使用人の再就職先を探しました。それが、私達親子が巻き込んでしまった使用人への罪滅ぼし。


 それと、今回の事件が暴かれた事によって、この婚約は大臣様の計画によって国王様に提案されたものだったのも明かされました。それを申し訳なく思われたのか、国王様とアルヴィン様は、私に結婚をするかどうかを委ねてくださいました。


『もしあなたが結婚をされたいと申すなら、僕は生涯をかけてあなたを守る事を誓いましょう。もちろん婚約破棄でも構いません。全ては貴方の自由のままに』


 そうアルヴィン様が仰った時、私は戸惑ってしまい、すぐに答えは出せませんでした。ですが、よく考えに考えて――答えを出しました。


『申し訳ございません。私には……もうこの世にはおられませんが、心に決めた人がいるのです……』


 こうして婚約は破棄され、レズリー家も無くなり、お母様の呪縛からも解き放たれた私は、あの思い出の森に建てられたままの小屋に住み始めました。リュードさんの生きていた証であるこの家を守りたかったから。


 一人でここに住むのは大変でしたが、アルヴィン様が私の事をずっと気にかけてくださり、色々支援してくださいました。


 定期的な食べ物の供給や小屋の修繕……それと、川の中からリュードさんの遺体の一部を見つけ出し、小屋の傍にお墓を建てて埋葬してくださいました。その隣には、もちろんヴァルのお墓も。


 こうして俗世を離れ、隠居生活を始めて長い年月が経ち……私は、今日も二人のお墓参りを済ませました。


「……そろそろ、かしら」


 しわくちゃになった手を見ながら、私はぽつりと呟きます。


 病に侵された身体は、おそらく長くは持たないでしょう。もう私は十分すぎる程生きた……そろそろみんなの元へ行っても罰は当たらないでしょう。


「オリビア様、何か申されましたか?」

「いいえ。そろそろ中に戻りましょうか」


 私の世話をしてくれている、王家直属の兵士様に車椅子を押してもらって家の中に戻った私は、彼の手を借りてベッドに横になりました。


 もう何十年もこうして支援してくれるアルヴィン様には、本当に頭が上がりませんわ。国を治める王様としての責務もありますし、彼にもお子様どころかお孫様までおられるのだから、私の事など放っておいて国やご家族の事に集中してもよいでしょうに……。


「少し眠くなってきましたわ……」

「さようですか。ではゆっくりお休みくださいませ。お夕飯をご用意しておきますね」

「ありがとう……」


 私はスッと目を閉じると、意識を空に優しく引っ張られるような不思議な感触を感じながら、ゆっくりと息を引き取った――



 ****



「……? ここは……」


 次に目を覚ました時には、私はあの小屋ではなく、未だに脳裏に鮮明に焼き付いている、あの青い花畑の中に立っていました。


 どうして私はこんな所に立っているのでしょう? それに、もう私は自分一人で立つ事は出来なかったはず……。


「え……? 手がツルツル……身体も軽い……もしかして、身体が若返ってる……?」

「なんだ、もう来ちゃったのか」

「え……」


 突然背後から聞き覚えのある……そして、ずっと聞きたかった人の声が聞こえてきた私は、思わず声をうわずらせながら振り向くと、そこにはリュードさんが微笑んで立っていました。


「リュード……さん……」

「なんだよそんなオバケを見たような顔をして。まあオバケなんだけどな」

「リュードさん!!」

「おわっ!?」


 私は後先の事など何も考えずに、リュードさんの胸の中に飛び込みました。はしたないと思われてしまうかもしれませんが、そんなの……この喜びの前では関係ありませんわ。


「会いたかった……リュードさん……!!」

「な、なんだよ急に抱きつくなって! 毎晩抱きつこうとしてきたクセは、年月が経っても変わんねーな!?」

「……?」


 毎晩……抱きつくって……それってやっぱり……!


「リュードさんは……やはりヴァルだったのですか!?」

「おう。本当に恥ずかしかったんだぞあれ! 一緒に風呂に入ろうともしやがって……あんたのは、はは……はだはだ……裸を見ないように逃げるのに必死だったんだからな!?」


 リュードさんはヴァルだった――つまり、リュードさんは一度お亡くなりになられてから、オオカミとして生まれ変わったという事。


 普通に考えたら、そんな話は信じられません。ですが、ヴァルは普通のオオカミにしては、信じられないくらい賢い子でしたし、私の言葉を完全に理解しているように見えてました。


 それに……あのパーティーの日。あんな沢山の人がいらっしゃるタイミングで録音石を持ってきたのも、お母様達の密会を隠れて録音したのも、ヴァルがリュードさん……つまり、中身が人間だったというなら、納得が出来ます。


 ヴァルの見た目も黒い毛に青い目という、リュードさんにそっくりな特徴でしたしね。


「とりあえず、座って話そうぜ。向こうに花畑を一望できる丘があるんだ。現実世界にもあったろ?」

「は、はい。ちなみにここって……」

「察してるかもだけど、死後の世界ってやつだ。まさかこんな世界があるなんて驚きだよなー」


 私はリュードさんと固く手を繋ぎながら、近くにあった丘の上まで行くと、寄り添うように腰を下ろしました。


「それで、どうやってオオカミに……?」

「わからねえ。あの時……水の中に沈んで、苦しくて、目の前が真っ暗になっていく中、俺はずっとあんたの無事と幸せを願っていたんだ。でも、あんな女が近くにいたら、絶対にそんなの実現しないだろう? だから、オリビアを側で守りたいって願ったんだ。そうしたら……次に目覚めたら、森の中でオオカミになっていた」


 聞いてる限り、オオカミになってしまった直接的な原因はわからないって事なのかしら……誰かが魔法で魂をオオカミに閉じ込めたとか? そんな魔法があるのかしら? それに、仮にあったとしても、一体どんな目的で?


「それで、なんとかオリビアの所に行こうとしたんだけど……俺がオオカミになった頃には、屋敷からオリビアが去った後でさ」

「去った後? 私は半年ほど、あの屋敷にいたのですが……」

「って事は、俺がオオカミになったのはそれ以降って事だな。仕方ないから世界中を旅してオリビアを探したんだ。いやー苦労したぜ……オオカミだから喋れないし、どこにレズリー家の屋敷があるかもわからないし……仕方ないから、人間達の会話を盗み聞きして情報収集をして、こっそり船や馬車に潜り込んで長距離移動したり……あ、これ死んだなって思うような事もあったな」


 わ、私の思ってた以上に苦労されてたんですのね……でも、そんな冒険をしてまで私に会いに来てくれたなんて……目頭が熱くなってしまいますわ。歳は取りたくないものですね。


「それで、何年もかかっちまったけど、無事に合流し、オリビアの元で暮らし始めた」

「どうしてそんなに頑張ってくださったんですか……?」

「さっき言ったように、オリビアと一緒にいたかったし、守りたかった。支えたかった。でも……それ以外に俺は目的があった。あの女への復讐だ」

「……復讐? お母様に?」

「ああ。俺を殺したのが憎かったってのもあるが、オリビアに酷い事をしてるのが許せなかった。一緒に住むようになって、こっそり勉強をしてる姿や、罰を受けてる姿も見た。部屋で苦しんでいる姿も……これは全部あの女のせいって思ったら、俺の復讐心は、日に日に増していったよ」


 よほどお母様の事を憎んでおられるのでしょうか。リュードさんは繋いだ手に力が入っていました。


「本当は、罰を受けてるオリビアを助けたかった。でも、しょせん俺はただのオオカミ……傍にいる事しか出来なかった……本当にごめんな……」

「いいえ。あなたがずっと傍にいてくれたおかげで、一緒に過ごした二年間は、私の中でかけがえのない時になりましたわ」


 リュードさんの憎しみを和らげるために、私は手を握り返しながら、ニッコリと微笑んで見せると、それに釣られるように、リュードさんも微笑んでくれた。


「ありがとう。それで、なんとかあの女の悪事を暴きたくて、色々行動した。情報収集のために、オリビアが自室で勉強してたのを、隣で眺めてたのも、復讐するための知識を蓄えるため。その仮定で録音石の事を知った。それと同時期、あの女の部屋に忍び込んだ際に、誰かと話しているのを聞いたんだ」

「どうやって?」

「時々フラっといなくなってただろ? あの女の事を調べてたんだ。絶対何か悪い事をしてるって思ってたからな。あいつもかなり警戒していたけど、まさかオオカミが潜入してくるとは思ってなかったみたいだな」


 なるほど、段々と話が読めてきましたわ。


「倉庫に忍び込んだ賊というのは……」

「俺さ。レズリー家の倉庫なら、録音石が一個や二個あるだろうって思ってさ。あとはオリビアも知ってる通り。本当は俺も生き残れば最高だったんだが……世の中甘くないもんだぜ。オリビアを守れたのが、せめてもの救いかな」

「…………」


 言葉が……出てきませんでした。もしあの時リュードさんを庇わなければ、リュードさんが私を魔法から庇って死ぬ事は無かったんじゃないでしょうか……?


「まああんまり深く考えんな! 人間の俺も、オオカミの俺も死んじまったけど、オリビアは無事にあの女から解放されて、寿命を全うできた。俺はそれで十分だ。生きてるうちに伝えられなかった事があるのが心残りだけどな」

「伝えたかった事……?」

「あーその……えっとな……あーもう!」


 リュードさんは顔を真っ赤にしながら声を荒らげると、私の両肩をガシッと強く掴まれました。


 ま、また怒らせてしまったのでしょうか……!?


「俺はオリビアが好きだ! 一目惚れだ! 会えば会うほど好きになっちまった! 笑顔を見るたび、声を聞くたびに更に好きなっちまった! 好きな女にまた会いたい、守りたい、傷つける奴は許せない! そう思っちまったんだよ!」

「え……えぇ……?」


 全く思ってもいなかった愛の告白に、私は言葉を詰まらせてしまいました。


 いつも顔を赤くして声を荒げていらっしゃったから、てっきりリュードさんは私の事があまり好きではないのかと思っていたのですが……まさか私と同じ気持ちでいらしたなんて……!


「私……私も好きです。愛しています」

「オリビア……」

「ごめんなさい……私のせいで、あなたを巻き込んでしまって……」

「オリビアが謝る必要は無い。結果的に、死んでから互いの気持ちがわかったけど……俺はあの森で共に探した時間、そしてヴァルとして過ごした二年間は楽しかった。それに……これからはずっと一緒だ」

「リュードさん……!」

「オリビアっ!」


 私はリュードさんの言葉が嬉しくて、嬉しくて……気づいたら、リュードさんの胸の中に飛び込んでしまいました。そんな私を受け止めてくれたリュードさんは、少し強引にではありましたが、私の唇を奪いました。


 ここなら邪魔は入らない。この世界がいつまで続くかはわかりませんが、消えるまでは……ずっと、ずっと一緒にいられます。それがとても嬉しいですわ。


 リュードさん……心の底から愛しております。ずっとお傍においてくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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