とある環監のある日
今から書く話はフィクションです。
そう初めに書く必要が元環監にはあります。
環監、私は環境衛生監視員という名前の公務員をやっていました。もう十年は昔になります。
環監は大体、獣医師か薬剤師として地方公務員に採用された者が担います。簡単に言うと美容室やホテルや浴場や、衛生的にチェックした方がいいのでは無いか?と思われる施設にチェックに入るのが主だった仕事です。開設時の許可を出す時にも現場に行きます。
ラブホの衛生状態が野放しでは、県として非常に不味いのです。
チェックに入って、ホテルの貯水槽がボロボロだったり、美容室の消毒液の期限が切れていたりすれば指導をします。
指導と言うと生活指導的な、何か権力を振りかざすイメージがありますが、実際には『このままだと法律違反になるから、この様に解決しましょう』と助言する様なイメージです。
詳しくは行政手続法などに載っているそうですが、私は行政手続法を学ぶ事もなく退職した不出来ですので、当時の先輩方からの受け売りですが。
さて、そんな環監をやってた中で今でも時々思い出す事があります。
それは新採で初めて受け持った地元ではかなり歴史のあるホテルでの出来事です。歴史があると言っても建物ですので築数十年程度。地元にも愛されていた有名なホテルと言う方がしっくりくるかも知れません。
支配人は初老の男性で、いつもきちっとした身なりでいらっしゃいました。ペーペーでも分かる良いスーツと靴です。立ち入りと言う、施設のチェックに伺う時もとても丁寧にご対応いただきました。
謙る訳でもなく、かと言って偉そうでも無い。大人の対応というのでしょうか、惚れ惚れとする立居振る舞いの方でした。
こちらは新採丸わかりで、鞄には水質検査の道具やらだけでなく、法律の本やら条例集やらパンパンで、スーツに着られている様な状態です。
公務員なので、三年で異動になり、前の担当が環監で無い事もよくあります。法律等を読み込めないまま現場に立つ場合も珍しくない。
そんな保健所とのやりとり歴が長い彼に、こちらの方が指導頂いているのでは無いかという思いでした。
立ち入りには突然立ち入るものもありますが、定期的に立ち入る物もありました。水質検査の記録や空調の記録等々、資料をチェックする必要がありますので、その資料を守衛室などに準備して頂くのです。
そんな支配人の方とのお話しです。
何度かホテルの立入や検食、届出でお会いし、少しその支配人の方々の為人を知り始めた頃です。法定の立ち入りについてお電話でお話をした時は違和感もなく、数日後に面会の予約を入れてくださいました。けれど翌日の新聞には驚くことに、そのホテルが閉館する事が載っていました。
立ち入りは法定です。例えひと月後に廃業でも、立ち入りはなされます。
キチンとしたホテルでしたので、書類にも水質検査の検査も問題はありませんでした。いつも通りです。
貯水槽は屋上にあり、目視で検査に行きます。大雨の日は中々危ない事もありますが、その日は晴れていたので十数メートルの金属の梯子を登って鍵のチェックなどをしました。
そして、全てが終わり帰る時に、支配人は仰いました。
「お時間はありますか」
「はい、資料が完璧でしたので大丈夫です」
他のホテルでは資料が無くててんやわんやで1時間などは良くあったので、念のためこの後のアポイントメントは入れていませんでした。
「では、こちらの道から玄関までお送りしましょう」
通常私達はバックヤードや裏通を通ります。非常階段など、従業員が通る道です。
難解な迷路の様な裏通をついていくと、荷物が雑然と置かれた通路にでました。
けれどそこは片面ガラス張りだったのです。
立地の関係でそのホテルのほぼ最上階、スイートルームの更に上にそんな場所がある事は外からは知れませんでした。
そのホテルは有名な庭園の隣に立っていましたが、通路からはその庭園を見る事ができます。それなりに高い建物は周りにありましたが、頭一つ高いその物置の様な場所は視界を遮る物がなく、本当に素晴らしい景色でした。
「あのお庭はスイートのお部屋からも見えない様になっているんですよ」
権利関係もあるのでしょう。それでもこの景色はもったいないからと、ここだけガラス張りに作ったのかも知れません。
「凄い景色ですね」
ボキャブラリーの無いペーペーはそう言うのが精一杯でした。
「あんな遠くの〇〇神社まで見えるなんて」
「ええ!こちらをご覧ください」
支配人はそれから、見える景色を次々と説明してくださいました。VIPなお客様にご案内されてきたのでしょう。分かりやすく楽しい観光案内です。けれど、印象に残ったのはどちらか言うと、支配人の表情がとても若々しくなって行った事です。
「〇〇さんはずっとこちらにお勤めだったのですか?」
ホテルの支配人の方は系列から異動があるのは珍しくありませんでした。
「はい、新採からこちらでお世話になって、ずっと働いております」
嬉しそうにお話する顔は光り輝いている様でした。
「初めてこちらのフロアに来た時の事は今でも昨日の様に覚えています。他のホテルよりどこより、ここの景色は最高です。お客様や外の方にはお教えできないのがいつも残念に思います」
生き生きと説明されるその姿が、何か私の目頭を熱くしました。
「当ホテルに就職した子達も初日はここに連れてきます。……連れてきていました」
そしてきっと、一生の仕事にした彼の、このホテルの思いを共有したのだと思います。
「ホテルの閉館が決まったのはほんの二か月ほど前だったんですよ」
「急に決まるんですね」
「ええ、本当に」
それから私は玄関まで送ってもらいました。
その日もお客様は何組もいらっしゃっていて、後ひと月で閉鎖とは思えない活気でした。
ひと月と少し後、ホテルの営業廃止届出を支配人は持ってこられました。
初めて見た私服はシャツと綿のパンツでした。
「〇〇さん、こんにちは。イメチェンですね」
「イメチェンです。それにしても、良くすぐ私だと分かりましたね」
フロアには各営業許可の届出などで沢山の人がごった返しています。
「〇〇さんは背筋が良いので」
「職業病でしたか」
そう言って届出は出されました。
受け取って受け取り印を押す。これで、法的にホテルは廃業となりました。
「それでは」
「お疲れ様でした」
私は頭を深く下げてお見送りしました。
後日、そのホテルの経営母体の会社の人事異動についてのお知らせが回覧されてきました。
各ホテルの支配人など、保健所との窓口担当者が変更になるため、先方から送られてくる物です。
そこに〇〇さんのお名前はありませんでした。
ふと考えます。
ホテルの廃業の届けは廃業後10日以内に提出しなければいけません。
丁度10日目に提出された廃業届。10日まで、手元に置いて置かれた廃業届。あの支配人のお役に私は立てたのか、と。
公務員をやっていて、やりがいを感じる時はどんなですか?と大学のOBに聞かれると大抵、「県民の皆様に感謝される時です」と答えるのが定石になっています。
個人的には、感謝なんて滅多にされないし理不尽に怒られたり危ない目に遭ったりする事もあり、感謝されたい人には向かない仕事だと思っています。
けれど、誰でも無い、仕事場の部下でもお客様でも取引先の人でもない何かになる瞬間がある仕事で、それは時々、明記されてはいないけれど必要な仕事では無いかなと思います。