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6 透明になって消える

大地


秋が来て、冬が来て、時間が過ぎていく。北国生まれの北国育ちだったけど、北欧の冬はまた格別だった。防寒のための服を調達しなおした。夜は小さな小屋で薪ストーブに薪をくべながら、ネット引いてるわけでもないからやることがない。もちろんテレビもないし。日本から持ってきた小説を何度も読み直し、それも飽きたら、温かいお茶をいれて窓ガラスから見える夜空を眺めて、ぼんやりとした。

ふと思い立って、工房でいらなくなった木の切れ端を持ってきた。みざるいわざるを彫ろうと思って。ノートパソコンにいろいろな写真をひっぱって保存して、それをもとに絵を描いて、それから木を彫りだす。

何やってんだか、と苦笑する。

でも、楽しかった。不思議と。

子供に戻ったみたいに無心になれた。

僕は、いつからせかせかと生きるようになってたんだろうな。ふとそう思う。1人で台所でお茶を飲みながら、夢中で木を削るその時に。

いつも焦ってた。日本で、何かに誰かに追いかけられているような気持ちで。

いつしか子供のときのように無心になれる時間を失っていた。

誰だってそうなのかもしれないけど。

いつも心の中に時計があって、自分を追い立てている。


一体何歳までこんな生活続けるつもりだ?

僕はいつになったら、なりたい自分になれるんだ?

こんな自分じゃなかったはずだ。自分がなりたい自分は。


そういう考えから本当に久しぶりに解放された。

お金にならないことを時間をかけてやってるなんて、ほんと久しぶりだったと思う。もともと僕がやりたいことって、とてもシンプルだった。ただ、自分が気に入る物を作りたかった。毎日、それに没頭して生きていけたら幸せだった。


僕の生きる道がシンプルでなくなったのは、僕は森の中で自分と周りに数人の小さな暮らしをしていたわけでなく、家族がいて、そして、家族の周りに社会があった。世間が。

学校に行くようになって、先生に兄と比べられたり、周りの友達と比べられたりして、先生だけじゃない。いろいろな大人がそうやって僕たちを比べて、そしてそのうちに僕たちも自分自身でそういうことを覚えていく。

客観性を身に着けていく。

現代の日本で生きていくために必要な客観性を。


そして、僕の森の中でただ木を使って物を作って暮らしていきたいみたいな原始的な欲求は、とても恥ずかしくて見せられない。


僕が一番ひきあいにしたのは、僕の兄だった。

声が大きくて堂々としていて、優しくて、頭もよかったし、家の外ではいつも人気のある人で、先生にも、学生の間でも。生徒会長とかやるような人だった。

反面、めったにほめられない人だった。家の中では。

学校ではあんなにみんなに頼りにされて、中心の人だったけど、家ではなかなか認めてもらえてなかった。

それが不思議だった。

家の中と外。


反動からくるのか、父親は僕のことをとてもかわいがった。

僕が何か作ると手放しで喜んで、作業場の職人さんたちに見せて回る。

「どうだ?才能あるな、大地は。」

父の手前、みんな喜んで口々に褒めた。

僕はそれが嬉しかった。

だけど、あるとき気づいた。

父親は何より兄を頼りにしていた。


そして、かわいがっていたけれど、僕は父にとっていてもいなくてもいい存在だった。だから、学校の成績がたいしたことなくても、僕の性格がどちらかといえば穏やかでリーダーシップをはれるような強さを持ち合わせていなくても、父は平気だった。

父はいつも僕が作った物を、にこにこと破顔して、よくほめてくれた。

でも、それは中身のないほめ言葉だった。

自分でもよくできたと思う物、あまりよくないと思う物、いつも誉め言葉は同じ。

『大地は才能あるな。』

すごいなんてほんとは思ってなかったんだと思う。

僕が平凡な普通の男でも、父は全然よかった。

父には兄がいたから。

でも、僕は嫌だった。

僕を見てほしかったし、僕にだって期待してほしかった。

僕はまるで透明人間みたいだった。

ここにいるのに見てもらえない人間みたいだった。


考え過ぎだってわかってる。だけれど、僕の中には強い自我があった。

僕の自我は耐えられなかった。

何者でもない自分が。


みざるいわざるきかざるができあがったとき、それは結構ちっちゃな置物だった。それで、すみれちゃんのことを思い出した。元気でいるかな?と。だけど僕は、彼女のことを少なからず思いながら彫った置物を無邪気に見せる気になれなかった。ときどきメールで写真や文をやりとりしていたけど。

彼女の心の中にもう自分の居場所はちょこっとしかないような気がした。


僕はふと思い立って、スケッチブックの一番最初のページを開く。そこに挟まっているノートの切れ端。四つにそっと折られたそれを開く。

ふっと思わずまた笑ってしまった。それは、すみれちゃんの描いた熊だった。熊に見えない熊。

2人で顔を寄せ合って、狭い部屋でこの絵を描いていた時間を思い出した。

懐かしかった。

彼女が機嫌よく首を左右に振った様子を、目をつぶって瞼の裏に思い浮かべる。

それはとても遠い、遠い出来事に思えた。


あと少しで透明になって消える気がする。

いろいろな人の心の中から自分は消える気がする。

思えば遠いところまできたものだ。

僕はそして、これから、どこへ行きたいんだろう?


2年目になったときに、僕にリュースから見習いとしての給料が出るようになった。

所在を失い漂いかけていた僕の影が少し濃くなった。この時。


すみれ


「ね。今度の土曜日、夜、暇?」

友達の桃香ちゃんから電話かかってきた。

「ああ、うん。」

「じゃあ、空けといてね。ごはんたべにいこ。」


桃香ちゃんは短大が一緒で卒業後、一緒に婚活したりしてる仲良しの子。お互い自宅で、特に仕事とかでやりたいこととかもなく、早く結婚したいというのが一致してた。最近、わたしのやる気がないので、なんだか気を使われてるのだ。この前もあまり乗り気じゃない婚活パーティーに引っ張って行かれたところだ。


土曜日、待ち合わせのお店に行くと、桃香ちゃんと一緒に男の人が2人。

「え?なに?」

「わかんない?この前婚活パーティーであったでしょ。」

じろじろと2人の顔を見る。思い出せません。

「わたしと戸田さんでまた会おうって話してたら、こちらの高木さんがすみれのこと気にいってたっていうからさ。」

奥の高木さんがぺこりとお辞儀をした。メガネかけた真面目そうな人。桃香ちゃんはにこにこしてて、わたしはしかめ面をした。

「ちょっと」

腕ひっぱられた。ひそひそ声で言われる。

「空気読んでよ。そんなしかめっつらしない。」

だって、こんな罠にかけるような……。

「先に言っといてよ。」

「いや、あんた、なんか逃げそうだし。」

「すみません。急に。」

背中から声がする。振り向くと真面目そうな高木さんが恐縮していた。ちょっとすまないと思った。

「いえ。大丈夫。ちょっとびっくりしただけです。聞かされてなかったんで。」

仕方なく高木さんの横に座った。

「何飲みますか?」

「生レモンサワー」


4人であたりさわりのないおしゃべりをしながら食事する。

高木さんは、お医者さんらしい。内科医。20代後半。ちょっと年上だった。

「じゃあ、わたしは戸田さんに送ってもらうから。」

お店を出ると、桃香ちゃんはさっさと行ってしまった。ちゃっかり戸田さんと腕組んでたけど。

「どうしましょうか?もう帰りますか?」

時計を見る。9時過ぎ。まだ早い。それにあまり酔ってなかった。

人畜無害そうな高木先生を見る。でも、この人ともう一軒行ってお酒飲むのはなんかなぁと思ってると、彼が口を開いた。

「コーヒーとか飲みに行きませんか?」

「ああ、はい。」

先生が歩き出す。わたしはバッグの肩紐をぎゅっと持ちながら後ろからついていく。すたすたと歩くその速度が若干速いです。悪い人ではなさそうだけど。それに医者だ。この人。年がすごい上なわけでもないし。変な顔でもない。でぶでもないし……。

これで、実は既婚とかいったらうけるな。手のあたり、指輪してないか、それとも指輪外した痕ないか探してみる。

じろじろ手のあたり見ながら歩いていたら、信号が赤になって止まった先生の背中に思いきりぶつかった。

「いった。」

「大丈夫ですか?」

びっくりして先生が振り向いて、その後、ぷっと笑われた。

「え?なんか変な顔してました?」

「いえ、すみません。」

笑うとちょっと子供っぽくってかわいく見えた。

「ちゃんと前見て歩かないと危ないですよ。」

「……すみません。」


「何がいい?」

「ああ、カフェオレで。」

高木先生はブレンドを頼んだ。注文を済ませて、それから、黙る。話すこととかないんだけど。

「僕のこと、覚えてないですよね。」

「え?」

なんて答えていいか少し迷う。

「いいですよ。気を使わないで。だってほとんどあの日話してないし。」

「え?そうなんですか。」

「はい。」

コーヒーにミルク入れて、静かにかきまわしている。

「じゃあ、なんで?」

疑問です。そういうと、高木先生またそっと笑った。

「そう、思いますよね。」

カチンと音を立てて、スプーンをおいて、コーヒーを一口飲んだ。

「結構、あの日、もてたんです。僕。」

「はぁ。」

「でも、みんなね。寄ってくるのは僕が医者だからなんですよ。」

「……」

「話をしていても、なんというか、僕の結婚相手としての条件ばっかり気にしていて、それも、僕の人柄なんかより、物質的な部分のほうが多くて。分かってはいたつもりだけど、正直うんざりしちゃって。」

意外と、大変なんだな。人気職業の人も。

「あなたが、一番僕に興味なさそうだったから。」

「え?」

「なんか、反対にどんな人なのか気になっちゃって。」

「……」

なんだそりゃ。肩の力が抜けました。

「あの日、たまたまお腹の調子が悪くて、元気なかっただけかもしれませんよ。」

はははと笑った。優しそうな人だなと思った。

お休みの日何してるの、とか。好きな本、映画、テレビの話、音楽の話。普通の話を普通にして一時間ぐらいして立ち上がる。

「送っていきます。」

タクシーつかまえてくれた。

隣に並んで座ってしばらく黙ったあとに先生が言った。

「また、連絡してもいいですか?」

「え?でも、先生はわたしがどんな人か気になっただけでしょ?」

その好奇心は今日でおさまったはず。

「ちょっと傷ついたな、今のは。」

苦笑した。

「初めて見かけた日に、かわいい人だなと思ったけど、声かけてきてくれないから、気になったんですよ。」

「……」

「だめですか?もう二度と会いたくないくらい僕ってつまらない?」

「そんなことはないですけど。」

正直困った。


次の日、友達の桃香ちゃんから電話が来る。

「ね、どうだった?」

楽しそうだ。

「どうも、なにも。」

ため息が出る。

「変な人じゃなかったでしょ?それにさ、医者だよ。お医者さん。」

「うん。」

「実家の話聞いた?」

「え?」

「あの人、実家、病院なの。」

「……」

「開業医だよ。うまくいったら、院長夫人。ま、むっちゃ大きい病院ってわけじゃないみたいだけどさ。」

「そんなに興奮して話すなら、桃香が高木先生にすればいいじゃない。」

絶句した。友達。

「あんた、何言ってるの?気に入らなかったってこと?別に変な人じゃなかったじゃん。ぜんぜん。」

「そうだけど……。」

ほんとに気に入ってたの?わたしのこと。

「何か変。」

「何が?」

「選びたいほうだいなら、女の人なんてもっといろいろいるじゃない。」

なんか、裏があるんだ。陰謀が。

「わたしなんてこんな一般庶民選ばなくても。」

電話の向こうで思いっきりため息つかれた。

「そんな石橋たたいでどうすんのよ。たたいてるうちに他の女に橋すたすた渡られちゃうわよ。」

「はぁ。」

別にそれはそれで構いませんが。

「ねぇ、前のあんたはどこ行っちゃったわけ?らしくない。」

「らしくない?」

「まさかとは思うけど、前ちょっと言ってた人。なんか外国行っちゃった人、まだ忘れられないとか言うんじゃないでしょうね。」

「……」

「あんたね。今、一番大事な時なのにそんななんの確証もない人に時間費やしてどうすんの?」

自分の中でどうこう思う前に、他人の中でありえないとして過去の物になってる。そういうのがやだった。

「わたしが終わらすならともかく、なんであんたに勝手に過去にされてるのよ。」

言ってから、しまったと思った。またやった。当たってるからって言いすぎた。桃香ちゃんが息をのむ気配がする。

「ごめん。ちょっと言い過ぎた。」

「わたしも、ちょっとでしゃばったわ。」

なんとなく気まずくなって盛り上がらないまま電話切った。


ベッドに横になる。桃香ちゃんの言う通り、要領よくならないとというのもわかる。でもなんとなくもやもやとした。この夜。


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