5 みざるいわざるきかざる
すみれ
恋愛はしないで結婚すると決めていたはずなのに、なんか気になる人ができてしまった。でも、最初は友達だって仕訳したじゃないですか。猫をかぶるのを忘れましたよね。
これは、望み薄です。挽回しなくては。
この前のお礼にかこつけよう。お母さんに肉じゃが作らせて、タッパーにつめこむ。
「え?そんな持ってくの?今晩のおかず、肉じゃがだけじゃ足りなくなるじゃない。」
「焼き魚でも足してよ。」
母の文句、無視。
大地君ち言って、ドアノックする。
「はい。」
出てきた。顔みたとたんに一気に緊張した。
「この前のおわび。お母さん、作りすぎちゃって。」
嘘。ほんとはわざわざ作らせました。
「ありがとう。」
素直に喜んだ。大地君。
「じゃ!」
本来のシナリオではこんなそっけなく帰るつもりではなかったです。わたし。でも、冷静さとか全部ふっとんでた。この時。
「ああ、物だけもらって追い返すみたい。ちょっと寄ってきなよ。」
かるーく言われた。じっと顔を見て、真意をさぐる。
「いや、無理にとは言いませんけど。」
なんか普通だな。やっぱり普通だな。しまったな。これははいりが思いっきりまずったです。友達だ。意識全然されてない。
「お昼ご飯食べた?」
「まだ。」
「食べてく?っていってももらったものだけど。」
ちょっと迷った。
「1人で食べてもつまらないし。」
ま、いっか。ごちゃごちゃ考えるのやめた。とりあえずは友達でもなんでも。
「うん。」
台所で大地君がお米といで、野菜切ってお味噌汁作るのをダイニングテーブルに座ってぼんやり見てた。料理を作る手さばきもきれいだった。
ご飯炊き上がったら、お茶碗にごはんよそって、お味噌汁入れて肉じゃがレンジで温めて並べる。
「なんかちゃんと自炊してるんだ。」
「だって、自炊が一番安いじゃん。」
「そうなの?」
実家ぐらしだとそういうのぴんとこないんだよなぁ。
「すみれちゃんって料理あんまり、しないの?」
「……」
お母さんがやってくれるもんなぁ。
「結婚を目指してるなら、婚活と並行して料理、勉強しといたほうがいいんじゃない?」
「大事かな?」
ちょっと残念な人を見る目で見られたよね。
「男の人は料理上手な女の人好きな人多いよ。」
「そうか。やっぱり大事か。」
でも、直接きついことは言わないな。この人。わたしと違って、人に言っていいことと悪いことちゃんとわかってるんだよね。多分。
「お母さんに教わる。」
「よくわかんないけど、もう、お母さんは作らないから。」
バサッと切られた。
「自分で材料買って、自分で作んなさい。」
「なんで~!」
「いい年なんだから、子供じゃあるまいし。大体誰にあげてるの?」
「……」
お母さん我慢できずにちょっとにやけた。
「やあねぇ、好きな子でもできた?最近なかったじゃない。こういうこと。」
「え?」
「彼氏みたいな子、いないじゃない。最近ずっと。」
「そんなことないよ。」
「デートしたりする子はいても、料理作ってあげたくなるような子、いた?」
答えられない。
「自分でがんばんな。」
ぽんぽんと頭たたかれた。
「なんで?応援してくれないの?」
「応援してるからよ。味のよしあしじゃない。あんたが自分で作れば、あんたの気持ちがちゃんとこもるでしょ。そうじゃなきゃ意味がないじゃない。こういうことは。」
お母さんの援助がなくなっちゃったからしょうがない。
ネットで検索したり、お料理の本買ったりして練習する。変なもの持ってくわけにもいかないから、しばらくは毎日のように何か作って家族に食べさせる。
「すみれは最近どうしたの?」
煮方が足りない煮物をレンジで温めなおしながら、お父さんが聞く。
「花嫁修業よ。」
お母さんが代わりに答える。お父さんはその言葉を聞いてちょっと寂しそうな顔をした。
「まだ早いんじゃない?」
「そんなこと言ってると、ずっと居座り続けるわよ。この子。」
レンジを通した煮物、お父さんがひとつひとつ箸さして火が通ってるか確かめている。
「ね、どう?おいしい。」
「娘が作った物はおいしいなぁ。」
ビール片手にお父さんがにこにこする。
「客観的に見てどう?」
娘へのハンデいらないから。
「うーん。」
お母さんが台所から出てきて、立ったままで一口口に入れた。
「しょっぱい。」
あっさり一蹴された。ため息が出る。
「食べれなくはない。」
「うーん。」
もってけない。まずいと言われるかもと思うと、もってけない。でも、たぶん、大地君の性格なら口に入れて、なんだこれは?という顔はするけれど、「おいしい」という気がする。
「どうしたの?」
ドアを開けて立ってこっちぽかんと見てる。
「また、お母さん作りすぎちゃって。それに、大地君忙しいし、ごはんとかわざわざ作るの大変でしょ?」
我ながらわざとらしいと思うんだけど。
「あ、うん。ありがとう。」
嫌がられてはいない、その顔を見ながら思う。
そうやってときどき、彼の家に行くようになった。
わたしの作った料理は、そりゃ懸命に作ったし、まずくはなかったと思うけど、でも、たいしておいしくもなかったと思う。だけど、ちゃんと食べてくれた。何回目かな?自分でも今日はまぁ、うまくいったと思った日に彼がおいしいと言って笑ってくれた。
その顔を見たときに思った。
世の中にはこういう幸せもあるのだなと。ありふれたことなんだけど、たぶん。経験した人にしかわからない。普通の幸せ。
そして、ちょっとしまったなと思う。彼、もうしばらくすると海外へ行っちゃう人じゃない。
恋の入り口でわたしはまた思い始めていた。やっぱり嫌だなって。
あんな思いはもう。
嵐の中に船を出して上へ持ち上げられて、次の瞬間に一気にまた海の底にたたきつけられるようなあんな動揺。あんな大きな動揺。もういらない。
まだ、きっと大丈夫。今ぐらいなら。まだ引き返せる。
大地君がしばらくすればスウェーデンに行くのはいいじゃない。
それまで、そばにいればいい。それまでと決めて。
でも、なにか欲しくなって。大地君らしいものが。ふと思いつく。そう、この人ほんとは家具職人なんじゃん。
「なんか作って見せて。」
「え?」
「見てみたい。」
「材料もないし、時間もない。道具もない。」
このくらいであきらめるわたしではない。ふと思いついた。そうだ。大地君らしいもの。
「わかった。じゃ、ちっちゃいものだったらいい?」
若干嫌がってる大地君引きずり出して、ホームセンターで、子供が夏休みとかの工作の宿題とかで使いそうな木材のきれっぱしを見る。小型ののこぎりと彫刻刀の1セット。
わくわくした。職人っぽい大地君。みたい。
「これで熊の木彫り作って。」
「なんで熊?」
へへへと笑う。なんか熊っぽいイメージがあるんだよな。大地君って。体大きいせいもあると思うんだけど。初めて会ったとき髭もじゃだったし。
嫌そうな顔してる彼をほっておいて、お会計済まして車へ戻る。
始めてみると、嫌がってたわりにネットで写真検索して、丁寧に下絵を描いて、木に鉛筆で形を書き込んでいく。
上手だった。絵も、道具を使うのも。
特に大まかな形を出してから、細かく削りだしたときの集中力と器用さ。
やっぱりこの人、職人さんなんだなぁと思う。
それに途中から目が嬉しそうだった。目の奥のほうに無邪気なあかりが見えた気がした。
「すごい。売れるんじゃない?」
「それはほめすぎ。」
ご飯のお礼に熊の木彫りもらった。
「なんかちょっと優しそうな熊だね。これ。」
「そう?」
気に入った。彫った人にちょっと似てるんじゃない?
「これ大地君だと思って大事にするね。」
ははははは、と嬉しくなさそうに笑ってたけど。
出発の日が決まって、もう、会えるのもあと数回だなという頃だったと思う。
みざるいわざるきかざるが欲しいと言ってみた。
「スウェーデンから帰って来てからでいいから。」
わたしがほしいのはでも、サルの木彫りなんかではもちろんなかった。
この人にまた会いたい。それだけ。
「考えとく。」
大地君の目からは何も読み取れない。傷つくのが怖くて、何も言えなかった。それに、今じゃないと思った。
今、この、わたしから離れていくこの人の目にはもちろんわたしなんか映っていない。これから行く目的の地にあるものしか映っていない。だから、反対にもう一度日本へ帰ってくるときにそのときにこの人の瞳の中に映りたい。
それまで待っていられるかどうかは自分でもわからないけれど。
それにそのときにわたしが恋愛なんて疲れるものに足を踏み入れる勇気があるかどうかも。
だけど、このまま終わらせる気になれなくなっていた。いつのまにか。
「わたしね。」
「うん。」
「余計なことを言う人なんだって。」
どうして大地君に昔の話なんかしたんだろうね。ほんとなんとなく。
「それは当たっているんだけど、当たっているからって言っちゃいけないこともあるってすっごい怒らせちゃったことがあってさ。」
「怒ったのは、誰?」
「昔の彼氏。」
変なの。なんか顔がうまく思い出せなかった。
「それで、別れちゃったんだ。」
「いつの話?」
「結構昔。高校生の時から初めて付き合った人。」
「うん。」
「その時までね。自分の短所っていうのかな?本気で直そうと思ったことなかったんだ。」
「短所?」
「うん。余計なことをいう。」
顔は忘れても、傷つけた罪悪感がまだ残っている。
「だから、みざるいわざるきかざるなの。」
教訓にしないといけないんだよね。
「でも、ぜーんぜん直んないの。ほら、大地君にも言っちゃったでしょ?余計なこと。」
「え?」
「見かけのわりに繊細。」
彼を知った今、思う。大地君の繊細さっていいなって。だってわたしと違って、人を傷つけるような言い方しないようにちゃんとこの人気を付けてるもの。
「直んないんだよなぁ。」
前に進んでいっても、大地君の方へ、また傷つけて終わるかもしれない。その不安はたしかにこのときあった。
その時に彼がひとこと言った。
「欠点なんて、誰でもあるよ。でも、欠点を補ってあまりあるいいところがあるから、気にしないでいいよ。」
彼はわたしをじっと見た。そっと笑いながら。その言葉とその優しい目を見て、心の奥の方がじんとした。誰も入り込めなかったようなすごく奥の方。何年も閉じていた開かずの部屋のようになっていたところに、今、小さなあかりがともった気がした。
「どんなとこ?」
彼は笑って教えてくれなかった。
「変わる必要なんてないよ。そのままで大丈夫。」
「ほんと?」
「その彼氏に見る目がなかったんだよ。」
大地君がわたしにくれたのは、そんな不確かな言葉だけ、それと優しいまなざし。
あの時のわたしにとって、彼がどんな立場でそれを言ったのかはともかく、大地君のその言葉は必要な物だった。
わたしを支えるために必要な言葉を彼はくれた。
そして、彼はわたしの近くからいなくなった。
ときどき写真を添付して、メールを送った。彼からも写真が送られてきた。彼の生活を垣間見ることができたけどひとつ問題があって、大地君、自分の映った写真を撮らない。写真嫌いなのかもしれないけど、わたしは彼の顔が見たいのに。
あなたの写真が欲しいと言ったら、どう思うんだろう?
わたしたちって小学生でも中学生でもないじゃない。
そのくらい書いたってどうってことないのにね。
そうしたら、スウェーデンに行った店長が写真撮って帰ってきた。
女3人で覗いた。また髪がのびて、髭生やしてた。大地君。いい笑顔で笑ってた。ちょっと雰囲気が違った。こっちにいたときと。
「なんか熊に戻ったよね。」
「う~ん。いや、これは熊に進化した?」
首をひねりつつ口に出す。
「あの出会ったころの熊っぷりとはまた、一味違います。」
「なるほど。たしかに。」
「元気でした?」
「ん?ああ、うん。楽しそうにがんばってたよ。そうそう、味噌汁喜んでたわ。即席みそ汁。」
タケコさんと一緒にいろいろお土産を預けてた。
「そうですよねぇ。やっぱり日本が恋しくなりますよねぇ。」
忘れてほしくない。いつもわたしたちのこと、わたしのこと。