3 僕のいるべき場所
大地
スウェーデンに行く日が来た。
結局、オーナーもついてきて、店長と僕とオーナーの3人で飛行機に乗る。なんというか、自分がお邪魔のような気がする場面が何回かあった。でも、たしかによく見ると、タケコさんが言う通り両想いではないのかもしれない。
そうではないのかもしれないけど、気の合った2人だなと思う。
スウェーデンについて会わせてもらったリュースのオーナーは、青い目のおじいさんだった。おじいさんだったけど、年寄臭さを感じさせない人だった。
「トーコが連れてきた子ならいい。我々は無条件で受け入れる。」
細かいことが聞き取れなくて、オッケーだということだけはわかった。
「だけど、誰でも受け入れるわけじゃない。トーコとヒデキが連れてきたからだ。2人の信頼を裏切るようなことはしないな。」
「はい。」
「それと、物にならないと思ったらすぐに終わり。わたしは、道を求める者の前には簡単にドアを開ける。新しい人たちに機会を与えることも自分の役割だと思っているからね。だけれど、真摯に取り組まない者については容赦しないよ。」
「はい。」
実をいうとここらへんもちんぷんかんぷんだった。後からオーナーに聞いた。よくわかんないのに返事だけすんなと怒られた。
ただ、言葉はわからなかったけれど、オーナーの、パパの人柄は最初に会った瞬間から分かった。一目で好きになった。犬が主人に向かって、舌を出してしっぽを振るようなそんな好きなのだけれど。
次の日、工房に入った。木の香りに包まれたとたんに、涙が流れそうになった。
懐かしくて。
帰りたかった場所。
僕はこういう場所でしか息をできないし、生きていけない。
離れていただけにそう思う。
人にはあるべき姿、いるべき場所というものが多かれ少なかれあるのではないかと思う。僕にとって木の香りのない生活というのは、魚にとって水がないのと同じようなものだと思う。
ずっと、ずっと、いるべき場所から少しずつ少しずつ流されて、自分が一体どこへ向かっているのかわからなかったこの二年間、苦しかった。
以前にもまして、自分は必要ない人間だという言葉が頭に響いた。
実家に僕は必要なかった。それが嫌で家を出た。
だけど、家の外にも僕の居場所はなかった。
そして、ただ、生きるために日々を過ごし、いつしか深呼吸することを忘れてたみたいだ。
思い切り、息をする。肺いっぱいに木の香りを吸い込む。
ここが、こういうところが僕のいるべき場所。生きるところ。
振り向くとパパの目が笑っていた。
数日して、店長とオーナーが帰る日になった。
空港で飛行機に乗る前に、オーナーはお土産を買っていた。僕は店長と二人だけで話した。
昔、何があったのかと聞かれた。店長は気が付いていたのかと思った。まぁ、でも、よほど他人に興味のない人でなければ、家族と連絡を取ろうとせず、定職にもつかず、こんな遠いところまで家具の作り方習いに来るような男に何かあったんだろうくらいは察するものなのかもしれない。
驚いたのはその後で、店長は自分は自殺未遂をしたことがあると言った。
そして、腕時計をはずして、薄い切り傷の跡の残った手首を見せてくれた。
白い細い女の人の手首にうっすらと傷跡があった。
人の傷を見て心が痛んだ。ずきんとした。
あまり人に話していなかったから、自分でもあまり考えないようにしていて、でも、何というのだろうな?犯罪を犯して逃げ回っている人というのも多かれ少なかれ僕みたいな気持ちになるのだろうか。
僕にはずっと後ろめたさがある。消えない。
僕は、兄に否定され実家を出たときから、自分は半分透明な人間のようだと思ってる。僕の半分は今でも、実家にいます。
向き合わなければならない自分の半身を実家においてきぼりにしたまま、僕はあてどなくさまよっていました。
実家を出ても家具を作りたいという気持ちは持ってた。
持ってたけど、自分の家とは違う家具製造の工場に就職して、様々な機械を作って作られていく工程に立った時、それは全く違った。
僕の考えいていたこと、望んでいたことと、それとは全く違った。
整然とどんどんと作られていくたくさんの同じような家具。
無口な家具だとふと思う。変な言い方だけど。
僕の実家で作っている家具はもっと、何かをしゃべっていた気がする。ひとつひとつが同じ方法で同じ形で作られていても、少しずつ顔が違うような気がして、そして、くすくすと恥ずかしがりながら何か話していた気がする。
僕はやめてしまった。
そして、やめてしまったことを実家に知らせず、そのときから消息を知らせていない。そして、逃亡犯のように何かから逃げるように暮らしてる。
本当はでも、こんなふうになりたかったわけじゃない。
僕は、自慢できるような自分になって、また、あの玄関先に立ちたかった。
僕が生まれて育ったあの家の玄関先に。
「ただいまー。」
って大きな声で奥の方に呼びかけたかった。僕の家は古い家で、とにかく広くて、玄関で一回呼びかけたぐらいじゃ人のいるところに声が届かない。結局、人の家なのにみんな勝手にずんずん中に入ってくる。或いは、昼間なら自宅を探すのをやめて、隣の作業場か事務所に来る。手近な職人さんつかまえて、主人か女将さんがどこかを聞いた方が早い。
目をつぶれば思い出す。
兄と子供のころからはだしで走り回りながら育った家。
僕はあそこを本当は離れたくなかった。
家族が好きだった。
頑固で厳しい父親、優しい母親、頼もしい自慢の兄。大きくなってもあそこにいたかった。
でも、大きくなって、どうしてだろう?
どうしてなんだろう?
ただ、自分が認められたくて。
認められないと、自分が消えてなくなってしまうようなそんな気分になって、もっと、居場所がほしかった。もっと兄が発する光に消えてしまわないような光を僕自身が発したかった。
そして、それがうまくいかなくて、逃げ出した。
その逃亡劇はほんのわずかな時間で終わらせるつもりだった。本当は。家の外で何か、僕が僕自身が輝けるものをみつけて、そして、とってかえすつもりだった。
だけど、家を離れれば、兄のそばを離れれば簡単に見つかると思っていた僕ならではの何か。特別な何かは、簡単に見つからなかった。
反対にむしろ遠のくように思った。
そして、僕は孤独だった。
今まで僕は知らなかった。家族と離れて初めて知った。
1人の味を。
すみれちゃんは僕に何も言わなかった。
ただ一言だけ、スウェーデンから帰ってきたらと一回言っただけ。
本当に小さな約束を、あの、みざるいわざるきかざる。小さな約束をしただけだった。それでよかったのだと思う。
僕たちは仲のいい友達だった。スウェーデンから帰ってきたら、何か続きがあるのかもしれない。でもね。いつ帰れるか分からない。それどころか帰れるかどうかすらわからない。
僕は、きっと、絶対に間に合わない。
きっと絶対にすぐに忘れ去られる。
とるに足りない思い出のひとつとして。
「わたしたちはね、いつも木に感謝するんだよ。感謝しながら、ものを作るんだ。」
パパはよく不思議なことを言った。
「わたしたちの家具を、ダイチのいる日本でも喜んでくれる人がいるというのはね、きっとその感謝の気持ちを使う人も持っていて、だから、伝わるんだと思うんだよ。」
「はい。」
「木の命を僕らはもらうのだから、だから、中途半端なことをしてはいけない。立派な木をもらったら、そのことに感謝しつつ、精一杯いいものを作るんだ。」
「はい。」
技術がどうかとか、そういうことは現場の職人さんたちが教えてくれる。パパは普段は現場にはいなくて、一日に何回かみんなの様子を見に工房をまわり、1人1人にちょこっとずつ声をかけてまわる。
形や手際について言われることもあったけど、精神的な部分について言われることが多かった。
木の命を感じるようにと言われて、無駄にしないために失敗してはいけないと思う。そのことが常に一定の緊張感を与えた。
「ダイチは少し顔つきが変わったな。」
ある日はそんなことを言われた。
「そうですか?」
「静かに耳を澄ませて、心を落ち着かせてひとつひとつのことをていねいにやってごらん。きっと応えてくれる。」
「何がですか?」
「木が、かな?」
そう言って笑って言ってしまう。妖精みたいな人だ。パパは。
最初は基礎的な簡単なことを教わって、それを毎日飽きもせずにする。ひたすら木の表面をなめらかにしたり、塗装をしては乾かして、ちゃんと乾いたか確認をして、更に塗装を重ねていく。
機械をつかって、木を分断したり。
最初は延々と見させられて、その後は同じことばかり延々と続ける。
スウェーデンに行った最初の一年目は、収入が全くなくて、自分の貯金の残高が少しずつ減っていくのを眺めながら過ごした。パパやエマは僕みたいなふいに迷い込んだ外国人にとても親切で、お金のない僕にほんとによくしてくれた。昔、庭作業をする人が住んでいたという小さな小屋が、パパの家の片隅にあって、そこにただで住ませてくれた。ご飯も母屋で余った物をよく分けてくれた。お礼に工房にいないとき、休みの日とかは、パパの家の雑用を手伝ったりしていた。まぁ、庭番の家に住まわしてもらってるのもあって、雑草を刈ったりとか、家の庭木の下枝を落としたりとか。
パパの家も古いお家なのか、結構立派な大きさの家で、半端ない作業量だった。幸いに僕は体も大きいし、力の大きさとか体力とかには自信があった。それと、友達も恋人もいない。やることがなくて暇だった。そんなのもあって、たんたんとそういった作業をこなした。
「毎日、そんなことばっかして、ダイチはつまんなくないのか?」
エマの息子さんと仲良くなった。15、6歳くらいの男の子だったんだけど。アラン君。片言の英語と覚えたてのスウェーデン語で話す。
「お金もないし、やることもないし、休みの日は。ちょうどいい。」
「じいさんみたいだな。」
「……」
「なぁ、日本の女とスウェーデンの女は違うか?」
「外見からして違う。」
「やってみたらどうか?」
「……」
「同じ女だから、あまり変わらないものか?」
「……」
僕が返事をしないので、言葉が通じなかったのかと思ったらしい。小枝で地面にSEXと書かれた。
「いや、意味はわかってる。」
「日本の女は肌触りが違うと聞いた。」
一体どんな噂やねん……。
「僕はスウェーデンの女の人とそういうことをしたことがないからわかりません。」
なんで、こんな年下の男の子に真面目に答えているのか。
「折角だから試してみればいいのに。」
「誰と?というか、そんなめんどくさいこといらない。」
東洋人と寝たがるスウェーデン人の女性なんているのか……。
アラン君が目を丸くした。
「その年でめんどくさいなんて、まずいぞ。ダイチ。」
「ほっといてくれ。」
アラン君は、もともと店長をときどき見かけていたからか、パパやエマが日本人に対して好意的だったのもあるからか、僕に興味があったみたいで、ときどき遊びにきた。言葉の練習にもなったし、孤独を紛らわすことができたので、僕も嫌ではなかった。
静かで穏やかな日々だった。
束の間の魂の休息だったのだと思う。
僕は自分で思う以上に傷ついていた。
時々、すみれちゃんからメールが入った。彼女のメールには写真がついていた。歩いていてみつけた面白い物。きれいな夕焼け、タケコさんや店長の変な写真とか。僕のもう一個のバイト先の沖縄料理屋に行って、いつのまになかよくなったんだろう?店長や奥さんと一緒に笑って映った彼女の写真。
この人は本当に優しい人だなと思う。
僕が寂しく思わないように、懐かしい人たちや、仙台を思い出すような写真を送ってきているのだと思う。
どう?なつかしいでしょ?というような余計な言葉はひとつも書かない。
寂しくないですか?とも書かない。
おしつけがましくない優しさというものは、実はそれなりに珍しいと思うのだけれど。すみれちゃんは当たり前のことだと思って、自分のよさに気が付いていないのだろうな。
すみれちゃんは自分が余計なことを言う欠点を持った人間だと言って、自信を失っていたけれど、でも、いいところも持っている。
誰か、大切にしてくれる人はできたかな?と思いながら、自分もこっちで撮った街並みの写真や、アラン君や、職人さんたちの写真とか、初めて食べたものとか、空とか、写真をつけて、簡単なメールを書いて彼女に送る。