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まもなく、約束の三ヶ月になろうという頃。医務室の利用者が落ち着いたところで、先生用の椅子に腰掛け報告書を書いていたセトアが顔を上げた。
「アリーは、予定通り魔法薬学クラスに移るの?」
薬学の知識もある程度つき、魔法も初歩のものは使いこなせるようになった。魔法薬学クラスなら力を伸ばせるだろう。
しかし、魔法が安定して使えるということは、魔法クラスでもやっていける可能性が出てきたということだ。
「実は、迷ってるんです。あ、魔法クラスには戻りません。使えるようになったとはいえ、初歩ですからとても魔術師は無理でしょうし、もういいんです。そうじゃなくて、医学科の薬学クラスと迷ってます」
(このままセトアさんの助手を続けたいから…とは言えないな。研究の邪魔をしちゃうし…。医学科なら、医務室のお手伝いは一緒にできる)
「医学科の?」
予想外の言葉に、セトアは驚いた。
(エディと同じクラスに行きたいってこと…?)
「はい。この間学園長と面談をしたら、薬学の知識が思ったよりついたようだから、一年生の今ならまだ医学科の方にも移れるよと言って下さったので。少し考えさせてくださいとお願いしたんです」
アリルはにっこり笑って言った。
「ふうん…エディとは仲良くなったの?」
「あ、はい。時々お昼に誘ってくれます」
(毎回、セトアさんの素晴らしさを語る会合みたいになっちゃってるけど…)
セトアはうーん、と腕を組んで考え事を始めた。
アリルはアリルで、エディットは結構なブラコンだよね、などと考えている。
と、ふいに医務室の外が騒々しくなった。
「ここにセトア・ノーザンはいるかっ⁉︎」
バタバタと足音を鳴らして、ここの責任者である学園の医師、ジョン先生が駆け込んできた。
「はい。どうしたんですか?先生」
軽く手を上げながらセトアが言う。先生が来ても椅子から立ち上がらないので、どちらが部屋の主かわからない。
「事故だ!魔術科で魔力の暴発!怪我人多数。すぐに運ばれてくるから、応援を頼む!」
それを聞くと、セトアの顔が変わり、立ち上がった。普段のふわふわした表情がスッと引き締まる。
「わかりました。先生、医学科の方に連絡は?」
「三年生の手の空いている生徒をよこすよう、使いをやった」
「なら大丈夫ですね。アリーは俺について指示を聞いて。…アリー?」
アリルは血の気の引いた顔で固まっていた。
魔力の暴発。
昔から何度も起こして、ひどい時は周りの人に大怪我を──
「アリー!!」
肩を掴んで揺さぶられて、アリルははっと我に返る。
「これはお前が起こした暴発じゃない。医務室でやってきたことを忘れるな!」
聞いたことのないセトアの荒げた声を聞いて、アリルは落ち着きを取り戻した。
「…はいっ」
アリルがしっかりと自分の目を見たのを確認して、セトアは口角を上げた。
「よし。人数は多いけど、いつもとやることは同じだから。
まずは傷と火傷の薬とガーゼ、包帯の用意。あとは水、氷嚢。氷は作れるね?添え木もあったほうがいいかな」
「はい。すぐに用意します」
必要なものを用意していると、怪我人が次々運ばれてきた。医学科の生徒も到着し、先生やセトアが処置しやすいようにサポートする。
怪我の軽い人は生徒たちが手当てした。
アリルもセトアの指示に従って、薬を塗ったガーゼを怪我人に当てていく。
軽いとは言っても、女子生徒は万一傷痕が残ったりしたら困るだろう。
(どうか、早く良くなりますように)
そう願いながら押さえると、患部がフワリと光った。
(あれ?これ、魔法薬じゃないよね?)
魔法薬は重傷の人から使っているので、今アリルが塗ったものは違うはずだ。
近くにいたセトアも、怪訝な顔をする。
「アリー、今光らなかった?」
「はい…この薬は普通のですよね?」
「ちょっと見せて」
セトアはアリルの使っていた薬を見てから、ガーゼをめくって患部を確認した。
「え…治ってる」
先程まで間違いなく擦り傷のあった腕が、綺麗になっていた。薬を拭ってみても、何もない。
「……回復魔法?」
優秀な魔術師の中でも、一握りの人しか使えない魔法。
現在この国では王宮魔術師団に属する数人だけが使えるという。
それを目の当たりにして、アリル本人を含めその場にいた全員が信じられないという顔をした。
「アリー、もう一度同じようにやってみて。今度は重傷の患者さんに」
真顔でそう言われて、アリルはごくりと喉を鳴らした。これは重大なことなのだ。
足にひどい火傷を負った男子生徒の元へ行き、患部に手をかざす。
目を瞑り、火傷がきれいに治るところをイメージする。
(ここまでの火傷は魔法薬でも痕が残りそう…。お願い、良くなって)
すると同じように光に包まれ、火傷が消えた。
別の生徒の、深い切り傷も塞がった。魔法薬では深い傷は治せないので縫合していたのだが、糸もスルリと抜けた。
「すごい…」
皆が呆然とする中、ジョン先生がそう呟いた。
それを合図に、自分にもかけてくれと騒ぎになる。
比較的怪我のひどい数人を癒したところで、アリルはふらりと自分の体が傾くのを感じた。
(あ、倒れる)
直後、アリルの意識は遠のいた。
「アリー!」
咄嗟にセトアが支えたのでアリルの体が床に打ちつけられることはなかったが、ぐったりとして意識がない。熱もあるようだ。魔力切れの症状だった。
「くそっ、俺が側にいたのに…」
初めて使う魔法、それもよくわかっていない回復魔法を何度も使えば、魔力切れを起こすことは想像できた。
セトアは医務室のベッドにアリルを寝かせて、髪留めをはずし、そっと頭を撫でた。
「ごめんね、アリー」
「セトア君、魔力回復薬だ。意識が戻ったら飲ませるといい。私もついていながら申し訳ない」
ピンク色の液体が入った小瓶と氷嚢を持ってきて、ジョン先生が言った。
「…はい。目を覚ますまで俺が見ています。先生は怪我人をお願いします」
瓶を受け取って、氷嚢で首元を冷やしてやる。
「ピューレ嬢は寮住まいだったか。女子生徒に連絡させておこう。回復魔法の使い手が現れたのなら…学園長にも報告しないといけないな」
おそらく今後は学園でなく、直接魔術師団の預かりになるだろう、と先生は言った。
魔術師はもういいんです、とアリルが吹っ切れた顔で言ったのは、僅か二時間ほど前だ。
アリーはまた振り回されるのかと、セトアはやりきれない思いがした。