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セトアは皆と一緒に授業を受けてはいない。では何をしているかというと、父に頼まれた薬の生産や、新薬の研究、自主的な医学の勉強、学園の医務室の手伝いなどだ。
薬作りや研究には、生徒に開放されている研究室を使っているのでほとんど一日中そこにいる。
ノーザン領には薬学研究所という、薬の生産や研究のための施設があり、現在は侯爵の弟が統括している。
セトアの才能に惚れこみ折に触れて勧誘してくるのだが、セトアはあくまでも医師になるつもりのため、応えることはできない。その代わり学生の間は、新薬の開発などを手伝っているのである。
「セトアさんってすごく面倒くさがりですよね…」
すり鉢で薬草をごりごりやりながら、アリルが言った。
さん付けで呼ぶのは、呼び捨てでいいと言うセトアと様付けまたは先輩と呼ぼうとするアリルの折衷案だ。
「誰だって面倒なことは嫌でしょ。…はい、次これ潰して」
アリルが作業していたものを別のすり鉢と取り替えながら、注文書の束をチェックする。
材料を棚から取ってくるのと、面倒なすり潰し作業をアリルにやらせて、最終確認はセトアがするというのが主な「薬学の勉強」方法だ。単にこき使っている…のではない。
「そうですけど…。今日ここに来てから、一歩も動いてませんよね」
「動く必要がなかったからね。俺は無駄なことはしたくないの」
「今日の靴下、左右違う色ですよね」
「間違えたんだけど、履き替えるの面倒だから別にいいかなって」
「でも、医務室のお手伝いはするんですね」
「あれは無駄じゃないんだよ。怪我人がそこにいるんだからね」
「…さすが、ノーザン家の方ですね」
セトアが非常に面倒くさがりだということは助手になってすぐにわかったことだが、同時に医療に対しての真摯な考えも知ることになった。
「まあ、それで王家の信頼を得てきた家だからねえ。逆に言えば、それでしか国を支えられない。ケンカはからっきしだからなあ」
「そんなことはないと思いますけど…」
大昔の戦乱の時代、ノーザン家は剣の腕も魔力もなく、役立たずと言われた家だった。力のない者は見下される時代だったのである。
だがそんな世の中で、セトアの先祖は医療の知識を深め、傷ついた兵を癒し、己を蔑んだ者たちを救けた。その功績が王に認められ、後に王宮医師団を設立し、ついには侯爵の地位まで上り詰めたという歴史がある。
「俺なんか特にこの性格でしょ。嫡男のくせにまともに社交もできないのかって、こないだも姉さんにコッテリ絞られたばっかだよ。だから自分のできることに関しては、手を抜きたくないんだよね」
「自分に、できること…」
「おーい、手が止まってるぞー。それが終わったら次こっちね」
「うっ…手が痛いです…」
教わっているというよりいいように使われているのではと思うアリルだったが、セトアの考え方にはなるほどと思わせることも多々あり、次第に尊敬の念を抱くようになっていった。
医務室の手伝いにも、もちろんアリルはついていく。
学園には普通科、医学科、魔術科の他にも騎士科があり、思っていたより怪我人が多い。
「アリー、傷薬と包帯!」
「はいっ!」
一月半が経過し、すっかり助手も板についてきたアリルはセトアから愛称で呼ばれるようになっていた。単純に、「アリル」と発音するのも面倒だという理由だが。
「こっちは少し冷やしたほうがいいな。アリー、濡らしたタオルで冷やしてやって」
「わかりました」
「傷薬が減ってきてるな。アリー、後で作るからやってみな」
「はいっ」
小柄な体でちょこまか動くアリルは、頻繁に訪れる騎士科の生徒たちだけでなく、交代で医務室の手伝いをする医学科の生徒たちにもセトアの弟子として認識されてきている。
アリー、アリーとセトアがしょっちゅう呼ぶためだ。
「アリーちゃん、いつもありがとな。これ、お礼」
時々そんな風に言ってアメ玉などをくれる生徒もいる。
ムキムキの肉体派が多い騎士科に対してアリルは身長が低いので、子供と勘違いしているような気もするが、家でも魔術科でも散々ダメな子と言われてきたアリルは、自分がしたことに感謝されるということが何より嬉しかった。
それが続くうちに過剰に失敗を恐れなくなり、ビクビクしなくなった。
(水がぬるくなってきてる…もう少し冷たくないとよく冷やせないな)
そんなことを思いながら水に触れると、フワリと水面が光りすぐに水が冷たくなった。
「あれ?」
無意識で魔法が発動したようだった。ぬるくなってしまったタオルを浸し、絞ってもう一度怪我人の患部に当てると、
「おおっ、冷てえ!」
と思わず叫んでいる。
「アリー、魔法使えるようになったのか?」
セトアも異変に気付いたようで、目を見開いた。
「わかりません…もう少し冷たかったらいいのになと思ったら、急に冷えたんです」
「うーん…魔法のことはよくわからないけど、誰かのためにって思ったのが良かったのかな」
確かにこれまでは、魔術師の家に生まれたのだから使えるようにならねばと、自分のことしか考えていなかった。
「よし、これからはちょっとずつ試してみよう。簡単なやつだけな。前髪無くなったら困るし」
セトアはニヤリと笑って言った。最初の火柱事件を揶揄われたのに、アリルが魔術科で同じようなことを言われた時とは違って嫌な気持ちにはならなかった。
「はい、頑張ります」
それから、アリルは助手の仕事に時々魔法を使った。
ただ、いきなり薬作りに使うのではなく、セトアが飲むお茶のためにお湯を沸かしてくれだとか、熱を出した人のために氷を作れだとか、「誰かのため」であることを意識できるような、簡単なことだけだ。
医務室での経験によって自信もついてきて、初歩の魔法なら操れるようになった頃。
「アリー、ちょっとこっち来て」
いつもの傷薬を持って、セトアが手招きした。
「はい」
「これ、いつも騎士科の連中に使ってるやつ。今日はこれに、魔力を込めて欲しいんだ」
「!」
つまり、魔法薬の作製。アリルの体が強張る。
「騎士科のやつらは小さい傷なんかしょっちゅうだけど、たまに結構な傷を作ってくるやつもいるだろ?」
「…はい」
「命に関わる傷じゃないけど、鍛錬する時はちょっと痛いだろうね」
「そう…ですね」
実際に見た傷から痛みを想像して、アリルは眉を顰めた。
「あれ、早く治ったら嬉しいだろうなと思わない?」
「はい、思います」
「傷薬に使う魔法は、水の魔法だ。患部にベールを作って、傷を早く治す」
「はい」
「怪我をしたやつのことを考えながら、魔力を込めてみな」
アリルは目をつぶって、セトアの言う通り騎士科の生徒たちを思い浮かべた。薬に手をかざす。
すると薬が淡く光り、うっすらと青い色がついた。
「うん、良さそうだ」
セトアは薬を確認した後、近くの棚からナイフを取り出し、指先を少し傷つけた。
「えっ、セトアさん!」
じわりと滲む血を見て、アリルは慌てた。
「大丈夫、見てて」
セトアが傷に薬を塗り込むと、先程と同じ淡い光が出て、血が止まった。完全に傷が消えているわけではないが、塞がってはいる。
「よし、成功だ。よくやった」
セトアはにっこり微笑み、くしゃりとアリルの頭を撫でた。
アリルは呆然としていたが、じわじわと喜びが心を満たす。
乱れた髪のせいであらわになった赤い目が潤み、弧を描いた。
「はい…!初めて、できました!」
嬉しそうな顔を見て、セトアはアリルの頭に置いたままだった手で長い前髪をかきあげた。
「これ、作業する時邪魔でしょ。上げとけば」
薬草を束ねていた紐で前髪を縛る。不格好に縛られ、余計に幼い子のようになってしまった。
「フフッ、可愛い」
吹き出したセトアを見て、アリルは真っ赤になった。
「もう…!バカにしないでください!」
「ごめんごめん、今度街で髪留め買ってきてあげるから」
未だクスクス笑うセトアの腕を、アリルはぽかぽか殴りつけた。