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前作の王太子妃の弟のお話です。
「セトア・ノーザン君。君にアリル・ピューレ嬢の指導をお願いします」
「……はぁ?」
王立学園の学園長室に、間の抜けた声が響いた。
一度目を逸らしピンク色のふわふわ頭をガリガリと掻いた後、再び目の前に座る学園長を見る。
「ええと、もう一回お願いできますか?」
「君に、アリル・ピューレ嬢の指導をお願いします」
セトアの祖父ほどの年齢であろう学園長は、いつも浮かべている穏やかな笑顔のまま先程より幾分ゆっくりと言った。
「あのう…俺、一応まだ学生なんですけど」
セトアはこの三年制学園の医学科最上級生だが、王宮医師団のトップである父に付いて幼い頃から学んでいるため、すでに学園で教わることはない。
ここに通っているのは、人脈を作り、苦手な社交の能力を磨くためである。
とは言っても、いつも研究室に籠もって新薬の開発などをしていて、あまり教室にはいないのだが。
「ええ、ですが君に教えられる教師はここにはいませんしねえ。セトア君、これは君への課題でもあるんですよ」
笑顔なのは変わらないが目の奥が笑っていないように感じて、セトアは背筋を伸ばした。
「課題…ですか」
「君はご両親に、学園へ通う目的を聞いているでしょう。成績は大変優秀ですが、そちらの目的が果たされていないようなのでどうにかならないかと、お父上に頼まれたのですよ」
どうやら碌に人脈作りなどしていないことは、両親にバレているらしい。セトアは小さく溜息をついた。
「わかりました。で、何をすればいいんですか」
「ピューレ嬢は少し問題がありましてね。魔法クラスに入学したのですが、どうも魔力のコントロールが苦手なようで度々爆発などを起こして、円滑に授業を進められないと教師から泣きつかれたのです。本人とも相談して魔法薬学クラスに変更することになったのですが、薬学の知識が他の生徒より遅れています。そこで君の出番です」
「はあ、薬学を教えればいいんですね」
「はい。期間は三ヶ月。付ききりでしたら、そのくらいあれば追いつけるでしょう。魔法薬学に必要な範囲で結構です。君も人に教えることを通して、コミュニケーション能力の向上を図って下さい。頼みましたよ」
有無を言わさぬ笑顔で言うと、話は終わりとばかりにテーブルの上のお茶を飲んだ。
面倒なことになったと思いながら、セトアは一礼して学園長室を後にした。
これまで特に何も言われなかったのに、何故急に人脈作りをしていないことを指摘されたのか。研究室に向かいながら、セトアは思考を巡らせていた。
今年入学してきた二つ下の弟が告げ口したのか。いよいよ卒業の年となり、どのような状況か調べられたのか。
そのどちらもあるだろうが、大きな原因はおそらく、先月出席するように言われた夜会での出来事だろう。
ある公爵令嬢に同時に四人もの男が交際を申し込み、全員あっさりフラれた。彼女は隣国の皇子の婚約者に内定しており、まさにその夜会で婚約がお披露目されたのだ。
極秘に進められていた話だったためそのことは王族と関係者以外誰も知らず、四人は哀れな目で見られただけで済んだが、セトアの姉はこの国の王太子妃である。
はっきりと言われていなくても、姉とちゃんと話をしていればその令嬢に手を出してはいけないと察することはできたはずであり、他の三人よりは回避できた可能性が高い。
かの令嬢に交際を申し込んだのも、身分が高く自分で自分を守れるような令嬢ならば、セトアが社交をしなくてもなんとかなりそうだという完全なる打算からだった。
そもそもそんな動機の男が、あの肝の据わった公爵令嬢に振り向いてもらえるわけがなかったのである。
彼女は姉の友人でもあったため動機を含めた全てが姉に露見し、セトアはこっぴどく叱られた。しまいには夫である王太子が間に入って宥めてくれるほどだった。
その後両親にも失態が報告されたのだろう。ノーザン家は父より姉のほうが恐ろしいのだ。
研究室へと戻り、しばらくするとドアがノックされた。
どうぞと返事をするとそろそろと開き、白銀の髪の小柄な少女が顔を覗かせた。
セトアも男性としては背が高くないほうだが、さらに頭半分以上小さい。
「すみません…こちら、セトア・ノーザン様のお部屋でしょうか…」
声も小さく、やたら怯えている。セトアは小動物を連想した。
「俺専用の部屋じゃないけど、ほとんど誰も使わないから俺のみたいなもんかな」
「しっ、失礼しました!私、一年生のアリル・ピューレと申します。学園長に言われて参りました」
「あー、聞いてるよ。こっちに座って」
手招きして、自分の向かい側にある椅子に掛けさせた。
(俺そんな怖い顔してたかな?怯えすぎじゃない?)
アリルは前髪を長く伸ばしていて目がほとんど隠れているため、表情がよくわからない。背中も丸まっていて俯いている。
「医学科三年のセトア・ノーザン。セトアでいいよ。えーっと、薬学については、どのくらい知ってるのかな」
「魔法薬のことは、少し勉強してきました…種類や、初歩のものの作り方とか。普通のお薬のことは、あまりわかりません…」
恐る恐るという感じで話し出すと、前髪の奥に赤い瞳がチラリと見えた。
「なるほどね…赤目か。だから魔法薬学」
赤い瞳は魔力が高いと言われている。例のフラれ仲間の魔術師団長も赤目だ。アリルは何故かビクリとした。
「俺は魔法薬は専門じゃないんだけど、まあ基本は同じだから。要は魔力を込めるか込めないかだろ。そうだな…じゃあ、ここに体を温める風邪薬の材料があるから、とりあえず一回やってみせてくれる?」
百聞は一見に如かずと、実力を見てみることにする。単にいろいろ聞くのが面倒くさくなっただけとも言うが。
「えっ…あ、はい、わかりました…」
すり鉢の中に材料を入れ、ごりごりと潰す。普通の薬は細かくして終わりだが、魔法薬はここに魔力を注ぎ、効果を高める。今回は体を温める薬なので、温度を上げる魔法を使う。
アリルが手をかざすと、ポウッと光が灯り……
ボンッッ!!!!
一瞬にして鉢の中に火柱が上がった。
「きゃーーっっ!!ごめんなさいいい!!」
「いいから水っ!水を出してかけろっ!」
涙目で謝るアリルに、水道を指差すセトア、二人の身長より高く上がる炎、薬草の焦げたなんともいえない臭い。大パニックである。
結局セトアがバケツで水をかけて火を消し、辺りを水浸しにして実力テストは終わった。
「危ね…前髪無くなるとこだった」
「ごめんなさい…!すぐ片付けます!」
流し台にあった雑巾を持ってきたアリルは、テーブルの上を拭き始めた。
「こういうのって風の魔法とかで…ああいや、何でもない。俺も拭く」
更なる大惨事を予想して、セトアは黙って雑巾を手に取った。
「あ、ピューレって…ピューレ子爵家?」
代々魔術師を輩出していることで有名な貴族の名前を、セトアはようやく思い出した。テーブルの上を片付け終わり、床を拭きながら尋ねる。
「はい。私はこの目なので、生まれた時はとても期待されたのですが…結果はこれです。魔術師どころか、学園の授業にもついていけませんでした。魔力は高いみたいなので、なんとか生かせる職につきたくて…」
もうすでに失敗したからか、怯えなくなった代わりにひどく落ち込んでいた。
「なるほどなあ。あの家で魔法が使えないんじゃ、肩身も狭いだろうね」
「はい……」
セトアがあまりにはっきり言うので、アリルはガックリと肩を落としてしまった。この正直すぎるところが、社交に向かないのである。
「あ、悪い。俺まわりくどい言い方とか苦手なんだよね」
「いえ…。変に気を遣われるよりいいです」
「まあ大体わかったよ。とりあえず魔法なしで、薬学だけやればいいか。学園長の話はそういうことだったしね。実地でやったほうが早いから、助手ってことで」
「は、はい。よろしくお願いします」
この日から、アリルはセトアの助手として付いてまわることになった。