第59話【熱帯雨林は暑苦しいですか?】
「…?」
雨空霰に説明された通り、ドリームキャッチャーをベッドに結び付けて内宮智花のユメノ世界を念じると、目の前に広がってきたのは、じめじめとした湿気と、蒸し暑い日差しが照らされる大樹林とも言える場所だった。波川吹と白澤来の二人の姿は近くに見えない。同じ場所へと送り込まれることはないと予想はしていたが、いつどこで敵と出会ってもおかしくないため、一人では少し心もとない。
「取り敢えず、先に進んでみるしかないか」
辺りを窺がいながら前へ前へと歩を進める。樹木が生い茂り、蔦が行く手を邪魔するが西村駿は白銀の剣で邪魔なものを斬り捨てていた。環境破壊と言われるかもしれないが、ここはユメノ世界。何をしても現実に支障をきたさない。
「あつい、ここはどこ?」
「…イトナか?」
剣の中から不機嫌そうにイトナが姿を現す。イトナの恰好は厚着なこともあり、この蒸し暑い樹林の中を歩き回るのは苦行に等しいらしい。西村駿は片手に氷を創造してイトナへと手渡す。
「ありがと、しゅん」
「ここは危険だからな。大人しく剣の中で見ていてくれ」
イトナは縦に頷くと手渡された氷を持ったまま、剣の中へと吸い込まれていく。若干、剣の持ち手が冷たくなったような気がする。
「白澤と吹はどこだ…?」
どこか高いところがあればそこから見渡せるはずだ、と西村駿は近くの樹木をよじ登り、辺りを大きく見渡して高い樹木がないかを探す。
(あれなら良さそうだな)
目に入ったのは何千年と生きてきたと思われる巨大な樹木。あの上からならば見つけ出せるかもしれないと、目標の方角をきちんと確認して先へ先へと進んでいく。湿った土が滑りやすくなっていることもあるので、慎重に足を動かしていた。
(…虫もいるな)
虫は苦手な部類に入る。特に足が大量に付いているムカデやゲジなどが大の苦手。カブトムシやクワガタというような一般的な虫は何とか堪えることは出来るのだが、細かい部分が大量に動いているものは耐えられない。
「――」
「…?」
地響きと人の声が聞こえてくる。方角は向かっている場所と真逆の方向から、西村駿は立ち止まり背後を確認するために目を凝らしてみる。
「おおおんん…ッ!!」
「…この声は、吹か?」
特徴的なこの怒声は波川吹に間違いない。駿は何とか合流できそうだと一安心しながら「吹、こっちだ!」と声を上げて呼びかける。
「逃げるんやぁぁーーッ!!!」
「は?」
こちらへ向かってくるのは波川吹だけでなく満面笑みの白澤来いたのだが、その背後に見覚えのあるてかてかと光沢を輝かせる巨大な顔が迫ってきていた。見覚えのあるアレ、ついさっき頭の中で想像してしまった…。
「ムカデじゃねぇかぁぁぁぁ!!」
その正体に気が付いた瞬間、二人を待つことなくけたたましい声で叫びながら巨大樹木のある場所まで急いで走り出す。背後から「おおおんんッ!!!」という怒声と共にムカデ特有の足音が聞こえてくることで、駿は顔面蒼白となりながらも、必死に足を動かす。
「はっはっはっ!! 待てよ駿!」
「何でお前はこんな状況でも笑っていられるんだよ!?」
「違うんや! こいつアホやからその辺にあるキノコを食ったんや! 多分あれはワライタケやで!」
「馬鹿か!」
白澤来が笑いながらこちらへ迫ってくるのも恐怖だが、それよりも背後にいる巨大なムカデ。西村駿は背後にいる二人にこの先には巨大な樹木があると伝え、そこを上るように指示をした。
「よじ登るぞ!」
駿が先に樹木をよじ登り、その後から続くようにして白澤来と波川吹も樹木へと飛びかかり、必死の形相で高く高くへと登っていく。巨大なムカデも登ろうとしたが、重さによって木の皮が剥がれ下に落ちていくばかりだった。駿は一定の高さまで辿り着くと木の枝にしがみつきながら、後から付いてくる二人の到着を待つことにする。
「お、おん…助かったで」
「はっはっはっ! 流石に死ぬかと思ったぜっへっへっへ!」
ワライタケのせいだということを分かってはいるが、ヘラヘラと笑っている白澤来を殴りたくなる衝動に駆られてしまう。しかしその前に波川吹が白澤来に「はよ再生を使うんや」と伝え、言われた通り白澤は自分自身に【再生】と使用する。
「ふぅ、何とか落ち着いたぜ」
「白澤、頼むからその辺に生えているものを食わないでくれ」
「オレは松茸だと思ったんだけどなー…」
木の枝に腰を掛けながら樹木の下を見下ろしてみると、あのムカデはまだ辺りをうろちょろとしていた。駿はそのムカデの足にゾッとして、下を見ないようにこれからどうするかを話し合うことにする。
「悪魔か智花を探さな始まらんのやろ? ほな、まずはここから二人を探してみるのはどうや?」
「ここから探すにしてもな…見渡しても一面緑だ。見つけられる気はしないぞ」
最優先するべきは内宮智花の保護だが、それには居場所を突き止めなければならない。前回はユメ人とユメノ使者という立場上、相手から会いに来てくれた。しかし今回は助ける側のため、悪魔が自分から会いに来てはくれない。
「下にはまだあのムカデいるぜ。降りて探すのも無理だよな」
「なら…倒せばええんちゃうか?」
「おう、それもそうか。やってみる価値はあるな」
その言葉に西村駿は頭を抱える。小さいものでさえも見ることが苦痛となる西村駿からすれば、あのような巨大なムカデと戦うことは死ぬよりも嫌なことだった。
「おん、駿はどうするんや? 無理ならわいと白澤でムカデを退治してみるで」
「…頼む」
西村駿は二人に両手を合わせて頼み込む。吹と白澤は仕方がないという素振りを見せながら、木の枝から飛び降りてムカデの元へと急降下する。巨大なムカデは二人に気が付いていないようで、辺りをうろうろとしているだけだった。
「ほな…いくでッ!」
「おうよ!」
着地と同時に白澤来はガントレットを装着した右拳を巨大ムカデの顔面へと叩き付ける。怯んだところに追撃を食らわせようと波川吹は触覚の部分を双剣で斬り落として、何度か斬り刻んだ。
「顎ががら空きだぜ!」
鋭利な牙が付いた口元を白澤来が下から膝蹴りで打ち上げる。ほんの数秒だけ体が宙に浮いたのを見逃さない波川吹は双剣を逆手持ちに変えて、今度は尻尾を斬り捨てた。
「おっと…ッ!」
巨大なムカデが急速に動きを変え、二人を取り囲むように辺りをぐるぐると回転し始める。
攻撃を回避されないように自身の身体で包囲網を作り、二人を仕留めようとしているのだ。
「なんやこれ!? 刃が通らへんで!」
通常のムカデの皮膚はどんな虫よりも柔らかく、人間の力で簡単に潰すことが出来る。しかしこの巨大なムカデの皮膚はあり得ないほど硬く、波川吹の双剣の刃が通らないほどのものだった。唯一の弱点とも言える、皮膚の柔さが消失したムカデはどの虫よりも恐ろしいものへと変わり果てる。
「かッてぇなー!」
白澤来の殴打さえ衝撃が通らない。攻撃が通らないだけならまだ良かったが、鋼鉄ともいえるムカデの体は高速で回転を繰り返しながら徐々に徐々に白澤と吹の足場を削っていく。ムカデの体はやすりの表面のような質感で、このままでは二人とも細切れにされてしまう。
「しゅん、たすけないの?」
「……」
イトナが姿を現し、助けに行かないのかと問いかける。助けに行かなければヤバいということは分かっている…分かってはいるのだが、大が付くほど嫌いな巨大ムカデを前にして体が動かない。西村駿は友人二人の危機を巨大樹木の枝の上で見ていることだけしか出来なかった。
「あのあおいおねえさんはこういうとき、たすけていたよ」
「…雫のことか」
以前に戦い方を指導されている姿を剣の中から見ていたのか、イトナは雨氷雫のことを例に挙げる。イトナは雨空霰だけでなく、雨氷雫のことも知っている。彼女の所在に謎が深まるばかりだったが、のんびりと話を聞き出している場合でもないため、
「行くしかないか…!」
西村駿は太い樹木の枝から飛び降りて、円形を組んでいる巨大なムカデの外部へと着地する。ムカデは取り囲んでいる二人に夢中で西村駿の存在には気が付いていない。二人の身の安全が迫られる中、駿は冷静にムカデのあらゆる個所を観察し、皮膚の弱い部分はないかを確認した。
洞察力が優れているおかげか、数秒で一か所だけ弱いであろう部分を見つけ出し、白銀の剣を握り直す。
「嫌いなものは自分で斬り落とせばいいんだな…!」
その部分とは駿が最も嫌う大量に生えた足の付け根。西村駿は白澤と吹を助け出すために、ムカデの回転速度を利用して回転の向きとは逆方向に剣を振り切った。駿の創造力は白澤来と波川吹に比べて高い位置に健在する。それに加え、イトナの力も発揮していることで剣が折れる心配も、切れ味が悪くなる心配もなかった。
「今や! ここから抜けるんや!」
「おうよ!」
駿がムカデの片方の足を全て斬り落とした頃には、周囲を囲むムカデのスピードもかなり落ちており、容易に二人はムカデの体を飛び越えて、西村駿と合流する。
「一気に決めようぜ!」
白澤来は足を斬り落とされたことで弱っているムカデの頭部に飛び乗り、渾身の踵落としを叩き込む。ムカデの頭部は地面にめり込むと、奇声を発しながら抵抗をしようとするが、
「吹…!」
「やったるで!」
駿は白銀の剣、吹は迷彩柄の双剣で、ムカデの体が動き出す前に斬り刻んだ。白澤が頭部を上からひたすらに殴り続けていることで体から上は動かせず、頭から下は駿によってもう片方の足も全て斬り落とされたため、奇声を上げながらのたうち回ることしか出来なかった。
「これでフィニッシュだぜ!」
三人がかりの一斉攻撃を同時に受けた巨大ムカデは、最後に一際大きな奇声を上げると、地鳴りのような音を立てながら体をぐったりと地面に付けた。
「よし…何とか倒せたな」
「駿、おかげで助かったで」
「いや、気にするな。俺が最初から戦えば良かったんだ」
巨大なムカデを死体を一瞥しながらそう返答をすると、駿は巨大樹木を見上げながらこれからどのようにして内宮智花と悪魔を見つけ出そうかと考える。一匹相手なら勝てたものの、このような化け物がうようよしている樹木の中を歩いていくのは戦うにしても危険すぎるだろう。
「早く智花を助けに行こうぜ。こんなところで考えていても仕方がないだろ」
「そんなことを言われてもな…目的地がはっきりとしない現段階でこんな迷宮のような場所を歩き回るにはリスクが高すぎるだろう」
白澤と駿が言い争いになりかけている他所で、波川吹は辺りを見回しながら敵がやってこないかを警戒していた。あれほどの巨大なムカデがいるのなら、他の虫たちもかなりのデカさを誇ると予測はできる。そんな怪獣のようなものから奇襲を受けてしまえば、自分たちの被害は甚大なものとなるため気が抜けなかったのだ。
「みんな…!」
自分たち以外の声が聞こえてきたことで一斉に声の方向へと顔を向ける。そこには制服姿の内宮智花が呼吸を荒げながら、樹木の陰から飛び出してきた。見つけ出すのに苦労すると考えていた三人は、あっけなく智花が姿を現したことで呆然としてしまう。
「玄輝君たちに気を付けて…! 悪魔が姿を扮して、駿君たちを消そうとしているの!」
「落ち着いてくれ智花、オレたちはお前を助けに来たんだ。取り敢えずは一緒に行動をして…」
そこまで必死になる智花を見るのは初めてだった三人は落ち着かせようと距離を近づける。だが距離を近づけると同時に、樹木の奥から智花の体に蔦のようなものが巻きつけられ、奥へ奥へと引っ張られていく。
「追いかけるぞ!」
三人は後を追いかけて、必死に走る。しかし引っ張られる速度が尋常じゃないほど速く、全力で樹木の中を駆け抜けても追いつけなかった。
「見失ってしもうたで!」
「智花は東の方角へ消えた! とにかく辺りを捜索してみるしかない…!」
智花を見失うと波川吹が焦りを隠せずにいたが、西村駿がまだ間に合うという希望を持ちながら、樹木や蔦を斬り落としながら駆け抜けていく。その後姿を白澤と吹も追いかけ、樹木を抜けた先には、
「くそっ! 見失った…!!」
上から見れば樹木がそこだけ円形状に伐採されている場所だった。
行く宛を失ったことで、再びどうすればいいかを話し合おうとした瞬間、
「待てよガッシー! 一人で突っ走る――」
駿たちとは逆側の樹木から、金田信之を先頭にその後を追いかける木村玄輝と鈴見優菜が姿を現した。




