第27話『憎しみは消えませんか?』
「ただいま」
五奉行である松乃椿は真白高等学校の裏方面にあるアパートの部屋を借りて一人で住んでいた。生まれた頃から共に暮らしてきた祖母や祖父が他界してからは、残してくれていた遺産で学費を払いながら、喫茶店のアルバイトに努めている。
「今日は玲子たちと帰りに買い物をしたんだ。おばあちゃんとおじいちゃんにもお土産があるからあげるね」
仏壇の前で祖母と祖父の写真と向かい合い今日あった出来事を手短に話す。
松乃家は遥か昔から代々伝わる巫女の血を引く家系で、ひっそりと森の中で建っている一軒の神社で幼いときに住んでいた。祖母はその血を絶やさぬようにと祖父と契りを結んで、松乃椿を産み落としたのだが
「……いつかあの財団を崩壊させてあげるから、待っててね」
鈴見グループが立てていたリゾート地開拓計画。
その計画範囲内に椿の住んでいる神社が入っている。それを理由に何度も領地の買収へと訪れてきたのだ。もちろん祖母と祖父はその使いの相手を一切することなく、すぐさま追い払っていた。
まだ小学生だった椿は領地を買収などという話の意味はまったく理解が出来ないだろう。状況さえ呑み込めない松乃椿に祖父と祖母は毎日のように「大丈夫じゃよ。神さまが見守ってくださる」と安心をさせてくれた。
「ただいまー! おばあちゃ――」
しかし松乃椿が小学五年生になった時期。
それは突然起きた。
「おばあちゃんどうしたの…っ!?」
朝までは元気にしていた祖母が謎の病に掛かったのだ。
高熱を出し、食事すら喉に通らないほどの状態。祖父は祖母のために薬を買いに行くと言って、森から町へと降りて行った。その間、椿は水で濡らしたタオルで必死に祖母を看病する。
「椿。井戸の水は、飲んじゃダメじゃよ」
「井戸の水…?」
神社の境内の隅にある井戸。
それは山が恵んでくれる生粋の天然水。それを口にしたから祖母は病によって倒れてしまったのだ。
「で、でも! 今までずっと飲んでたのに急に体調がわるくなるなんてっ!」
しかし今日の今までその井戸の水は何度も椿自身も飲んだり、お風呂の水として汲んできたり、食事に使用したりと、祖母と同等に手をつけていた。それなのになぜ祖母だけが倒れてしまったのか。
「……何か、毒物でも入れたのじゃろう」
誰が、と聞かずともその人物はすぐに椿にも分かった。
鈴見グループの使いだ。夜中に井戸の水へ何か仕込んだに違いない。まだ中学生にも満たない松乃椿にもそれだけは唯一ハッキリと理解が出来た。
「椿……。おまえは巫女の血など気にせず、生きるのじゃぞ」
「おばあちゃん! おばあちゃんっっ!!」
即効性の毒物。
それを使用されたためか、祖母は祖父が帰ってくる前に帰らぬ人となってしまった。松乃椿は何十分も何時間も祖母の身体を揺らし続け、気が付けば日が沈み辺りが薄暗い夕方過ぎ頃となる。
「おや? どうされましたかな?」
その時間帯を、祖母が亡くなったタイミングを見計らったかのようにいつもの黒服の男性が神社へ姿を見せた。松乃椿はその男性を睨みつけながら、追い払おうとしたのだが子供一人に怯える男性などいるはずもない。
「お爺様かお婆様はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「お前たちのせいなんでしょ!? お前たちが井戸に毒を入れたから……!!」
松乃椿は転がっている竹刀を持って、男性に殴り掛かる。
しかし男性はその竹刀を素手で奪い取り、松乃椿を転ばせると境内の隅へ投げ捨ててしまった。
「お婆様はお亡くなりになられたのですか。誠に遺憾でございます」
「っ…!!」
「ああ、そういえば伝え忘れていましたがお爺様は下山の途中に、崖から足を滑らせて落ちたそうです。すぐに救急車で運ばれたようですが、すぐに息を引き取ってしまった…と」
祖父が足を滑らせるはずがなかった。
この辺りで何十年も過ごしてきた祖父にとって、山は庭のようなもの。今まで無事故でやってきた厳格な祖父が、祖母の命が懸かっているこんな大事な時にヘマをするなどあり得ないのだ。
「許さない」
もちろんそれは祖父の死に目に会えなかった自分に対しての言葉ではない。
自分たちの権力を大いに奮い、大切な家族を奪った鈴見グループに対する憎しみを込めた言葉である。純粋な子供心を踏みにじられたことにより、松乃椿の中ではナニカが大きく変わってしまう。
神社は無残に取り壊され、領地の権利も剥奪され、松乃椿に残されたものは祖父と祖母の遺産と鈴見グループから渡された資産だけ。家族を失い、行く宛も失った彼女は山を下り、真白町を永遠と彷徨った。いくらお金があったとしても小学五年生の椿が賢く使えるはずがないのだ。
「…君、大丈夫?」
「おじさんの家に来るかい?」
「世話をしてあげるよ?」
数多くの年老いた男性に声を掛けられた。
松乃椿が唯一大人よりもずば抜けていた力は、その者が悪の心を持つか善の心を持つかを見極めること。周囲に集まってくるのは悪の心を持つ者ばかりで、椿は声を掛けられる度に通帳の入ったランドセルを手離さないように全力で逃げていた。
行く宛を失って、一週間ほど経過した頃だろうか。
独りで彷徨っていた松乃椿は、何も食べずに過ごしていたことで裏通りの人目が付かない場所で倒れてしまった。
(おばあちゃん、おじいちゃん…)
死の淵目に立たされた松乃椿を救ったのは一人の男性。
「…おーい、大丈夫か?」
その男性は二十代半ばぐらいの歳。
松乃椿は町を訪れて、初めて心に善を持つ者を見つけた。
「…たすけて」
「何があったのかは知らないけど……放ってはおけないよな」
そして初めて人に助けを求めたのだ。
酷い有様の松乃椿をその男性は自らの家へと運んで、食べ物を与え、汚れた身体を洗わせ、すべての事情を椿の口から聞いた。
「孤児…ってとこか。まだ幼いのに大変だな」
「私、これからどうすればいいのか分からなくて」
「…こんなこと君に聞くのも失礼だけど、お金はあるんだよね?」
男性は松乃椿から手渡された通帳の中身を見て、息を呑んだ。
何故ならそこに書かれていた金額は普通預金ではまず入ることのない"三億"という数字だった。上限を超えているのは当然のことで、越えた分は振替口座にすべて入っているのかもしれないと男性は推測する。
「これだけのお金があれば君は当分一人で生きていけると思う」
暗証番号が記された紙も通帳に挟まれているため、この場で松乃椿から莫大な金額を盗むことも可能だ。普通ならばそのような行為に及ぶものも多いというのに、その男性は通帳を椿へと返した。
「…でもお金だけじゃ生きていけない。君には教養が必要なんだ」
その男性は松乃椿を一時的な養子として引き取ることにし、真白町の市役所でその手続きを済ませた。その日から小学校を転校させたり、椿の身の回りの世話をしたりと、男性は一生懸命に尽くしてくれたのだ。
「ねぇ。私は真白高等学校に入学したい」
「あの高校に? レベルはかなり高いと思うけど……」
「それでも、私は挑戦したい」
松乃椿はその男性に感謝をしていたし、恩返しをしたいとも考えていた。
しかしその気持ちよりも上回っていたのは
「あの鈴見グループを崩壊させてやるには学力が必要なの」
鈴見グループに対する復讐心。それだけは決して拭えないものであり、自分がどんなに苦しいときでも立ち直らせてくれる劇薬のようなものだった。
「……合格おめでとう」
その復讐心を糧に松乃椿は真白高等学校の入学試験に合格をする。椿は五年ほど男性の元で世話になっていたが、これ以上迷惑はかけられないと考え、合格をしたら自立をすると心に決めていたのだ。
「学校の近くにあるアパートに住むことにしたわ。あそこなら近くの喫茶店でアルバイトをしながら、学校へ通えるし」
「気を付けるんだぞ。また何かあったら連絡をしてくれ」
松乃椿はその男性の元から離れて、アパートの一室で一人暮らしを始めた。
ひたすらに復讐心を抱き続けて過ごす日々。その日々の中で親である男性と連絡を一度も取ることはない。何故なら松乃椿の頭の中には、鈴見グループへの復讐を果たすことしかないから。
「私は何も間違っていない。この世の中はやられたらやり返す、それが当たり前の世界なんだから」
学校を歩いていればすぐ目の前に総帥の娘である鈴見優菜が現れる。煮えたぎる怒りの感情を抑えてはいるが、少しでも自制心を失えばその場で殺してしまうかもしれない。
「……? 玲子から電話?」
黒百合玲子から着信があったため、受話器ボタンをタップして「もしもし?」と電話に出る。
『椿、あなたに良い情報があります』
「……良い情報?」
『鈴見優菜が病院に運び込まれましたわ』
これを良い情報と受け取るのは性格を疑われるかもしれない。しかし松乃椿の顔には自然と笑みがこぼれてしまっていた。憎しみを抱いている仇が少しでも不幸な目に遭うのを聞くと、誰しも心が安らかになるだろう。
「そう。それはさぞかし大変そうね」
――松乃椿は復讐の為に生きている。
それを止められる人物は誰もいない。




