第19話【古生物を知っていますか?】
(何だよこの生物…!?)
全体はやや扁平な狭い楕円形の生き物を間近で見た玄輝はその歪さに触手から逃れようと暴れ回る。その生き物は頭部の上面の左右に大きな眼が一対あり、短い眼柄を介して左右側面に飛び出していた。下面中央には、放射状に配列した歯に囲まれた全体としては丸い形の口があり、口の前方には二本の触手を備え持っているのだ。
(こうなったら触手を斬り落として…!)
その触手には節があり、エビの尾部に似ていた。先に向かって細くなりながら下側に曲がり、内側には歯状の突起がある。おそらく下側に向かって曲げることができて、これで獲物を捕らえ口に運ぶのだろう。だがその生物は玄輝を触手で掴むだけで捕食する様子がなかった。
(これで…っ!)
玄輝は剣を創造し片手に握ると触手の根元を目がけて振り下ろそうとする。だが、水の中では水による抵抗がかかり思い通りに振るうことがが出来ない。ならばと木村玄輝は剣を触手の根元に押し付けるとノコギリを扱うようにして少しずつ斬り落としていくことにした。
「ごぼっ!」
一本の触手を上手く斬り落とすことに成功した玄輝は体を捩らせて何とか抜け出すことに成功する。そしてその生物の全体を見た瞬間、鳥肌が立ち水面上へ上がろうと必死に腕と足を動かし始めた。
(あいつ、どこかで見たことが…)
遊泳しているその物体は胴部には左右に大きく横に張り出した、櫂に似た鰭のような構造が十三対あり、その鰭は体のほぼ中央部にある最も長い一枚を頂点に両の端へ向けて次第に短くなっていく稜線の形を描いていた。鰭の上面に鰓らしき構造で後体部の端には斜め上方向に突き出した鰭が三対あるようだ。
(…! 思い出した! 子供の頃図鑑で見た…"古生物"だ)
古生物。それは地質時代(地球の誕生から人類の歴史以前の時代)に生存したと想定される生物だ。過去に生存していた生物は普通化石によってのみその存在を見たりすることができるはずだが…絶滅したはずのあの古生物は玄輝の視線の先で優雅に泳いでいた。
「……」
視界の隅で古生物を捉えながら水面上を目指して泳いでいると、神凪楓が玄輝と少し離れた距離から銃剣を構え古生物に狙いを定めていた。
(…消えなさい)
神凪楓が引き金に手をかけて何発も古生物へ向かって発砲する。銃剣から撃ち出された弾丸は水の中で威力が衰えることなく、全弾古生物の硬い甲殻を貫いた。
(終わりね)
古生物は少しだけ水の中を漂うとそのまま海底へと力なく沈んでいく。神凪楓はそれを確認すると呼吸をするために水面上へ顔を出そうとするが
「…!!」
背後からもう一匹の古生物に二本の触手で掴まれ身動きを封じられてしまった。抵抗をしようと銃剣で古生物の目に突き刺すが触手による締め付けが強くなり、そのまま銃剣を手放してしまう。
(…あの古生物はおれを食べようとはしなかった。きっと人は食べないはずだ)
木村玄輝は古生物に捕まった時、すぐ目の前に口があるというのに食らいついてはこなかった。古生物は人を食べることはしないのだろう。玄輝はそう考察して神凪楓ならすぐに抜け出せると安心する。
「――!?」
(え…?)
しかし古生物は自身に付いている丸い口で神凪楓の右の脇腹に噛みついて捕食しにかかったのだ。楓の表情が激痛によって酷く歪む。血液と肉を丸い口で吸い出すように食らいついている古生物を剥がそうと何度も暴れるが、歯が抜けないように返しとなっているのか少しも動かない。
(どうして俺の時はただ掴むだけで…)
その理由が分かるのに数秒もかからなかった。あの古生物は獲物を触手で捕獲して硬さを確認してから捕食するかしないかを決めているのだ。木村玄輝は男性ということもあり筋肉が多いからこそ捕食されずに易々と抜け出すことが出来た。
しかし神凪楓は女性であるが故、体が柔らかく余分な肉が付いていない完璧な体つきだ。古生物から見ればこんなご馳走は滅多にないだろう。
「――! ――!!」
楓は何とか銃剣に手を伸ばして持ち手を握ろうとするが、古生物が暴れ回りそれを阻止していた。木村玄輝は剣を持ち直すと暴れている古生物の元まで泳いで向かう。
(アイツの触手を斬り落とさないと…!)
暴れている古生物の体に木村玄輝は掴みかかり、剣を突き刺して振り払われないように張り付きながら少しずつ口元まで接近する。
(ここが踏ん張りどころだ…!)
玄輝は何とか口元の近くまで辿り着くと神凪楓の様子を伺う。出血と貪られた傷跡が酷く、顔色が優れないようだった。楓が手を伸ばして掴もうとしている銃剣を玄輝は両手で握り全身の力を使って引き抜こうとする。だが、相当深く突き刺さっているのか引き抜こうにも銃剣が動くことはなかった。
(もう少し…!)
神凪楓を助けたい一心で銃剣を力一杯に引っ張り上げる。それを見た楓は右足で銃剣が刺さっている目元の反対側を何度も蹴り上げて玄輝を援護した。徐々にではあるが反動によって銃剣の刃が古生物の目元から姿を現す。
(…よし! 楓にこれを…!)
そして銃剣を引き抜くことに成功すると楓の手に手渡し、古生物から離れて呼吸をするために水面へと顔を出す。神凪楓は銃剣を受け取った瞬間、自分の脇腹に食らいついている古生物の口を銃で吹き飛ばすと水の抵抗を感じさせない動きをしながら銃剣で斬りかかる。
(楓は…)
木村玄輝が水中に戻ってきたころには古生物はバラバラに斬り刻まれていた。面影さえ残っていないのを見るに楓はかなりご立腹だったのかもしれない。
「はぁ…はぁ……」
「楓…! 大丈夫か…!?」
玄輝は楓を小船の上に引き上げて傷の心配をする。脇腹の肉は食い千切られてはいないものの傷の状態は見るに堪えないもので治療のしようがなかった。
「正直あなたがいなくてもどうにかなったけど…一応礼だけは言わせてもらうわ、助かったわよ」
「そんなことはいい…! 今はその傷を」
「よく覚えておきなさい…ユメノ世界で…怪我をしたら…」
楓は左手で右の脇腹を押さえて目を瞑る。何をするのかと玄輝が目を凝らしていると
「え? 傷が治って…」
酷く貪られた後の脇腹の傷が少しずつ再生を始めていた。目の前で起きている事象に理解できずに何度も目を擦って神凪楓の脇腹を確認する。
「こうやって"再生"を強く創造すれば体の傷も治癒できるわ」
「マジかよ…ならどれだけ怪我をしても大丈夫じゃ…」
「いいえ、デメリットもあるわ。この"再生"という力を使えば現実世界の体に悪影響を及ぼすの」
「悪影響って?」
「主に体に対する疲労。使えば使うほど肉体的にも精神的にも疲労がたまって…最悪の場合"過労死"するのよ」
神凪楓は完全に治癒された自分自身の脇腹を見ると手を離す。玄輝が話を聞きながら楓の脇腹をじっと見ていると
「…いつまで見てるのよ」
楓にジト目でそう言われて玄輝はすぐに後ろを向いた。背後からガサゴソと音が聞こえてくるということは着替えている。玄輝は妙に心臓の鼓動を鳴らしながらも神凪楓に声を掛けられるのを待つことにした。
「いいわよ」
「…何でユメノ世界でそんな頻繁に着替えてるんだ?」
「どうせなら清潔な状態の方がいいでしょ」
変なところで乙女さを出してくるな、と木村玄輝は苦笑いをする。古生物を殺す女子高校生なんて世界中探しても見つからない。玄輝は目の前にいる神凪楓を異性として見れなくなる日が来るのではないかとどうでもいいような不安を抱いていた。
「…で、あの作戦をやるわよ」
「もう大丈夫なのか?」
「ええ、休んでいる暇なんてないわよ」
木村玄輝と神凪楓は改めて自分たちの考えた作戦を実行するための準備に取り掛かることにする。楓はその作戦に勝算があるらしいが、玄輝はただただ不安なだけで気乗りしない状態のまま指示通りに動くしかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「いいねぇ…静かな夜は」
白澤来は深夜に家をこっそりと抜け出して夜道を歩きながら静かな街を満喫していた。
こういう夜の時間ほど楽しめる風物詩が増えるのだ。
「あ~! 来くーん!」
「おー! 未穂姉! こんなところで何してるんだ?」
静寂の中で柳未穂が呑気な笑顔を浮かべながら白澤来に近づいてくる。そんな未穂に対して白澤は笑顔を返して歓迎する。
「バイト終わりだよ~。来くんもまた散歩~?」
「まあな。やっぱりこういう時間に出歩くと新しい発見がありそうだろ?」
「来くんらしいね~」
柳未穂は今の白澤来を造り上げてくれた恩人でもあった。幼いころから未穂に何事も笑顔が大事だと教わってきたおかげでこのようにあらゆることを楽しめるようになったのだ。
「未穂姉のおかげだ。言われた通りキープスマイルを大切にしてきたからな」
「えへへ~…そうかな~?」
白澤来と柳未穂は昔話をするのに夢中になってしまい、刻々と時間が過ぎてゆくのに気が付かなかった。
※補足
アノマロカリス→カンブリア紀中期の海に生息していた海棲生物の一種。この時代の動物としては最大かつ最強で、カンブリア紀の生態系の頂点に君臨していた。




