第18話【戦力にならなきゃ必要ありませんか?】
「ぶはっ…はぁ…はぁ…」
手足を動かしながら水面上へと顔を出すことができた玄輝は肺へと酸素を送り込むために荒い呼吸を繰り返す。泳ぎは得意だと自負していてもいざ泳げと言われればすぐには体は動かない。危うく水死するところだった玄輝は何とか水面から顔を出した状態を保つ。
「辺り一面水と楽器ばかり…これがガッシーの夢の世界なのか?」
…違う。どこかで玄輝はそう確信していた。自分の夢の中で七つの大罪が現れたときはクラスメイトが狂っていたもののユメノ世界自体は現実と変わらず平凡で変わった個所がなかったからだ。ならばこの水の世界は誰が創り出したのか、その答えは見出すことができない。
「やばっ…足つりそう」
足の筋肉が収縮し、痙攣を起こしそうになる。こんな世界でこむら返りになれば溺死まっしぐらだ。そうなるのは御免被りたいので玄輝は木のボートを創造して水面へと浮かばせることにする。神凪楓が木村玄輝のユメノ世界で銃剣を創造していた姿を見ていたこともあり、他人のユメノ世界でも自分の思うように物を創り出せることを玄輝は理解していた。
(木のボートを…木のボートを創造しろ)
しかしどれだけ必死に念じても一向に創り出すことができない。足を動かしているのも限界に近く少しずつ力が入らなくなっていく。危機が迫っているというのに救いとなるボートは現れない。まだ何もしていないというのに干渉して早々ガッシーのユメノ世界で溺死をするなんて格好がつかないと焦りを感じ始めていた…
「…! お次は何だ!?」
その瞬間だった。水が足元から頭部へと押し上げるような流れに変わり、水面から水飛沫と共に玄輝の体をかなり高いところまで打ち上げたのだ。宙へと打ち上げられた玄輝はバランスを取ろうともがくが手は虚空を掴むばかりで頭から再び水面へと打ち付けられようとしていた。水面ならまだマシだったと思う者たちが多数いるだろう。
だが入水を失敗すればコンクリートに叩き付けられるのとほぼ変わらない。それを知っている玄輝は水泳の時に習った飛び込みの構えを取る。
「水泳が得意で良かったよほんと…!」
完璧とまではいかないが指先から、頭、腰、足の指先の順番で水に入ることに成功し体を水面に打ち付けることはなかった。そのまま水中へと顔を入れて何があったのか目を開き辺りを見渡していると
(楓…!?)
楓が水中で銃剣を構えながら何か巨大な生物を相手にしていた。魚にしては大きすぎる全長25mにも及ぶ巨体とワニのような強靭な顎にそれには四枚のヒレが付いていた。ワニのような生物は水中の中を素早く泳ぎ回り、楓の周りを行ったり来たりをしている。
楓は自分から攻撃を仕掛けることなくただ周りをうろちょろとしているワニのような生物を目で追っていた。
(やべっ…息が持たない…)
水中にいられるのも限界があるため、すぐさま水面へと顔を出して呼吸を整える。玄輝が着水する前から神凪楓は水の中にいたため、呼吸にもかなり限界が来ているのではないか。そんな気がした木村玄輝は水の中へと再び潜って楓のいる方を確認する。
(…!)
予想は的中していた。楓は胸を抑えながら苦しそうにしている。息継ぎをするために水面に顔を出そうとしてもあのワニのような生物がその隙を狙って襲い掛かってくる。かと言ってこのまま滞在し続ければ呼吸にも限界が近づいてくるのだ。進めも退けもしないこの状況を打破するすべはない。
(おれが囮になるか…? ただでさえ水の中で動くこともできないのに?)
迷っている間にも楓が口から一際大きな空気泡を吐いて銃剣から手を徐々に放してゆく。ワニのような生物はそれを狙っていたかのように大口を開けて楓に喰らいつこうと接近をする。玄輝は水の中でやめろと叫んだが空気泡がただ虚しく作られるだけで静止することすらできない。
(…!?)
しかし寸前のところで神凪楓は大口を開けている相手の顎に銃剣を掴みなおして下から突き刺した。追い討ちをしかけるように悶え苦しんでいる相手にしがみつき引き金を何度も引いて頭部に弾丸を撃ち込む。
(演技だったのか…)
楓はワザと息が切れたフリをしてワニを誘い出していたのだ。こんな状況でも冷静な判断を下せるのかと木村玄輝は感服して事の行く末を見守る。
(…動かなくなったな)
しばらくすると相手の動きが鈍くなり始め、それを狙って楓は銃剣を引き抜き厳つい牙の生えた口を真っ二つに斬り捨てた。ワニの死体はそのまま水の底へと沈んでゆく。ワニの血によって楓の姿が見えないがおそらく息継ぎをしていると予測して水面上へ顔を出してみる。
「楓ー!」
「な…!?」
楓が乗っているであろう小船を見つけ、助けを求めるように声を上げる。この時、玄輝の視線からは小船に隠れて見えていなかったが楓は血塗れになった制服を脱いで下着姿だった。神凪楓はその姿を見られたと思い、玄輝に銃剣で何発か殺すつもりで撃ち始める。
「おいおいおい!? おれだって! 本物だぞ!!」
木村玄輝は水の中に潜って何とかやり過ごしながらお面を見せびらかして偽物ではないことをアピールする。しかし楓は手を止めることなく玄輝へと発砲する。
「五月蠅いわね…! こっち見るんじゃないわよ!」
「……あ」
そう言われて初めて状況を理解した。肌色に染まる楓の身体が見えたからだ。玄輝はすぐさま後ろを振り向いて手を上げて許しを請う。欲を言えばもう少し見たかったという下心もあるが、その下心が神凪楓に悟られた場合は本気で殺されかねない。
「足がもう限界なんだ! 早いところ頼む…!」
「全く…ちょっと待ってなさい」
声色から相当不機嫌だということが分かる。玄輝は背後でガサゴソと音が聞こえる中でしばらく待たされると突然首根っこを掴まれて小船へと引きずり上げられた。
「どうしてあんたがここにいるのよ?」
「あー…なんていうか…助けに来た…?」
「私に喧嘩売ってるのあんた」
楓は敵意があるときやかなり不機嫌なときは相手を【あんた】と呼ぶ。つまり今の楓はかなり機嫌が悪く何を言っても聞いてくれないと玄輝は頭を悩ませる。
「ほら、お前は命の恩人だし…ガッシーは友人だからさ。おれも協力するべきかなって」
「へえ~? 命の恩人の見られたくない姿を見ることが協力なのかしら? この変態」
「いやいや…! 別にハッキリと見てないし…」
「見てるじゃない…!」
カッコよく楓の手助けをしに来たつもりが玄輝は正座をして説教されていた。やっぱり来るんじゃなかったと玄輝は心の中で深く後悔をして楓のほぼ罵倒に近い説教を聞きながら頷く時間が続く。
「はあ、ハッキリ言うわよ。あんたは戦力にならないわ」
「え…? でもベルフェゴールと戦えたし…」
「あれはあんたのユメノ世界だったからでしょ? 他人のユメノ世界じゃあなたは剣一本創り出すことが限界よ」
試しに前と同じように剣を創造した後、もう一本創り出そうとしようとするが塵すら出てこない。それを見て嘘だと言いたげな表情を浮かべている木村玄輝の額に神凪楓がデコピンを食らわせると、玄輝はそのまま横転して水の中へと落ちていった。
「ユメ人にも力の大きさがあるのよ。その力は"過去にユメ人だった自分から今の自分になるまでどれだけ変わったか"によって違いが出てくるわ」
咳き込んでいる玄輝を再び小船へと楓が引っ張り上げる。デコピンを受けてみればその違いが一目瞭然。現実世界でもずば抜けている身体能力がユメノ世界ではあり得ないほど強化されている。デコピンだけで体を吹き飛ばされるのは神凪楓が強すぎるのか木村玄輝が弱すぎるのかのどちらかだった。
「じゃあおれはまだ全然変われていないってことか…?」
「当たり前よ。過去の自分をすぐに変えられるものじゃないわ。年月をかけて自然に変わっていくのが人間でしょう?」
楓の言う通りだった。人間はそう簡単にできてはいない。複雑すぎる構造で感情で作り上げられている。ここまでの力をつけている神凪楓も過去にユメ人だった自分とは大きく変われているのだ。
「ああそうだな。っていうことは俺ってここに来た意味ないんじゃ…」
「だから何度もそう言っているじゃない。戦力にもならないって」
楓と合流して早々で戦力外通告。玄輝は深くため息をついて小船から顔を出して水面を覗く。自分がいつになったら変わり始められるのか、それは自分自身でも気が付かないほど些細なことで変われるのかもしれない。つまらないと思っていた現実世界に意味を見出せればきっと何かを掴めるはず。
「それに、水の中に顔を付けてよく海底を見てみなさい」
「海底を…?」
海底なんて光が届かないから見えないだろうと思いつつ、水面に顔を浸けて海底を覗いてみる。微かにだが光が灯り建物が多く建っているのが見えるような気がする。
(あれは…)
玄輝はその一部の建物には見覚えがあった。真白町だ。玄輝は水面から顔を上げて楓に答えを求めるように視線を送る。楓は椅子を小船の上に創り出しそこへ腰を掛けると、温かそうな紅茶を手元に出してカップへ口をつけた。
「そうね。あれは私たちが知っている真白町」
「何であんな海底に…?」
「七つの大罪がユメ人と私たちを接触させないために仕組んだのよ。逆に考えればこの世界のユメ人は確実にあそこにいるということね」
金田信之があの水に沈んでいる街にいる。玄輝は一早く助けに行きたかったがそんな力はこれっぽっちも携えていない。自分を情けなく感じるがここは楓に頼るしかなかった。
「それにしても今回の悪魔はガキみたいなやつね。ユメ人を隠す場所があまりにも単純すぎるわ」
「言われてみれば…」
海底に街を創り出しユメ人を隠す行為は小さな子供がおもちゃ箱に宝物を隠すようなものだ。神凪楓と木村玄輝は七つの大罪を司る悪魔がこんな甘い考えで大丈夫なのかと逆に心配していた。
「それよりも気になるのは私たちが来ることを予測されていたことよ。きっとアイツらもベルフェゴールがやられたことに勘付いてかなり警戒しているわ」
「あそこまでどうやって行くつもりなんだ?」
「既に考えていた私一人用の作戦があるけど…せっかくあなたがいるのなら重役を任せようかしら」
神凪楓は玄輝へ考えていた作戦を伝える。偽物の陽の光は全く暖かさを感じない。水面からは波音一つも聞こえない。そんな理想郷のような世界の中で唯一自分たちの声が大きく聞こえるような気がした。
「…後、もしユメ人を見つけたら迷わず」
「…? どうしたんだ楓?」
神凪楓は話を中断すると辺りを見回して銃剣を構えた。玄輝には楓が何に対して警戒しているのかが理解できず小船の上に座り込んでいると、
「…! 避けなさい!!」
「うおぉっ!?」
水面から人の体の大きさを優に上回る巨大な生物が飛び出し、玄輝の体を口元の触手で掴むとそのまま水の中へ引きずり込んだ。
「本当に世話が焼けるわね…!!」
楓も額を片手で押さえると、すぐに後を追いかけるように水の中へと飛び込んでいった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ガッシー本当に頼りになるなー!」
「えぇ…? そうかなあ?」
西村駿が金田信之の肩を軽く叩きながら賞賛する。どういうことか朝学校に来てみれば自分は皆から頼られる存在になっていた。クラスでも体育祭のまとめ役として抜粋され、生徒会役員補佐にも選ばれたのだ。突如変わり始めた自分の日常に対し信之はかなり満足し高揚感を覚えていた。
「なあガッシー。この問題教えてくれないか?」
「いいよ玄輝。でも先に駿との話が終わったらね」
休む暇もなく引っ張り蛸な信之は昨日の不安はどこへ消えてしまったのか自信に満ち溢れ行動していた。皆の役に立てているこの時だけが自分にとっての"居場所"なんだ。そう錯覚してしまうほどに。
「…ねえ。この数式解いてみなさいよ」
「トラ。いいけど玄輝の後でね」
羨ましがっていた昨日の自分が嘘のように、駿の人脈も楓の知性も玄輝の気楽さも全て自分には備わっている。もう迷う必要も誰かに相談する必要もない。今度は自分が皆を引っ張っていける存在になるんだ。
「今度の体育祭の出し物はガッシーのピアノ演奏を主流にするか!」
「うんいいよ! ピアノ頑張って演奏するね!」
偽りのユメノ世界の中でユメ人の青年は一人、こんな日々が続けばいいのにと心から願うばかりだった。
※補足
今回出てきたワニのような生物は1億7000万~1億4500万年前のヨーロッパの海に生息していた首長竜であるリオプレウロドンです。当時の海の生物としては食物連鎖の頂点に立っていたとされ、その全長25mにも及ぶ巨体とワニのような強靭な顎、4つのヒレの加速力で最強の座をゆるぎないものにしていました。
またリオプレウロドンは水中でも臭いを感知することができ、これによって獲物の位置や種類を調べていたらしいです。




