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六 少年、友人を助ける

一部編集しました。2020/4/6

サブタイトル変更しました。2020/4/7

 翌朝、マリアや彼女の両親を起こさないようにこっそりと家を抜け出た俺は、一人町の端、柵のもとへと向かった。ぐるりと柵を確認してみると、一か所だけ木に土がこすりつけられた跡があった。きっと、エイブはここから森へと入ったのだろう。

 俺は柵を越えて森の方へと入ってみる。そしてすぐ町に戻った。柵は、簡単に乗り越えることが出来た。やはり、一度森の方へと入ったら戻ってくることが出来ないというのは、迷信だったに違いない。

 もう一度柵を越えて森の方へと入った。まだ日は低く、森の中は夜の様に薄暗い。見た目は子供、頭脳は大人である俺は、それでもやはり体は子供なのだ。いや、薄暗い森の中に入るという行為は、きっと大人でも怖いに違いない。軽く震える足を地面に押し付けながら、俺は勇気を奮い起こした。

「行くぞ」

 他の誰でもなく、自分へ向けて言った言葉。不思議と、足が一歩前へと出た。



 真っ直ぐ進んでいるつもりでも、人の歩みは自然と左右にぶれてしまうものだ。俺は家から拝借してきたナイフで木に印をつけながら、着実に前進した。恐らく、エイブも途中で横に曲がるようなことはしていまい。何より、所々に落ちている折れた枝が、何者かがこの道を進んだことを示している。どうか、その人物がエイブであってほしい。

 緊張がようやく解けてきたころになって、どこからか獣の唸り声が聞こえてきた。

 オオカミか!?

 俺は身を低くし、草に身を紛らせながら、ゆっくりと唸り声が大きくなる方へと進んだ。物語の展開上、こういう時はたいてい人が襲われている時なのだ。エイブ、待ってろよ。

 やがて唸り声のする森の間隙の様子が、草の間から見えた。子供用の小さい靴を、オオカミが咥えていた。

 ─────────は?

 赤い染みが地面に落ちていた。そのそばで、オオカミが不満そうに子供用の靴をかじっていたのだ。

 いやいやいや。どういうことだ。エイブは?

 次第に手が震えてきた。考えたくもない予想が頭の中に浮かんできて、何度それを振り払っても、手を変え品を変えた、最悪の光景しか浮かんでこなかった。

 エイブは、食べられたのか?

 昨夜マリアに語って聞かせた自分の声が、脳内で反響する。


 どこ行った。どこ行った。女の子はどこ行った。

 口の中。腹の中。オオカミさんに、食べられた。

 悪い子は、食べられた。


 怒りが湧きてきた。恐怖が湧いてきた。疑問が湧いてきた。憎しみが湧いてきた。吐き気がやって来た。悲しみがやって来た。不安がやって来た。理不尽がやって来た。


 ────────ここは、現実だぞ?


 いつから夢の中だと思っていたのだろう。いつから物語の中だと思っていたのだろう。どうして自分なら助けられると思っていたのだろう。

 今度は自分の命が危ない。

 だが、体が動かなかった。震えは来るのに、考えたくもないことが浮かんでくるのに、自分のものであるはずの体が、ぴくりとも動かなかったのだ。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 俺は前世で何をしていた? 安穏と、命の危険のない日々を送っていただけじゃないか。どうして考えもしなかったんだ。異世界ものの読み過ぎで、忘れてしまっていたのか?

 自然にとって、俺は狩られる獲物じゃないか。

 ちくしょう。ちくしょう。動け。逃げろ。生き残るんだ。生き延びるんだ。早く。早く。動け。早く!

 その時、ぱきっと何かが折れる音がした。それも、俺の頭上の方から。

 恐怖で反射的に動かなかった首をゆっくりともたげると、木の上で俺と同じように震えているエイブの姿があった。

 ・・・・・・生きてる。エイブ。お前、生きていたのか!

 考えてみたらそうだ。どうしてオオカミは、いつまでもこの場所に居たのか。エイブを食べて腹を満たせば、いつまでも同じところに居る意味はない。なのにいた。靴を噛んでいたのはきっと、腹を空かせていたのだ。そして、弱ったエイブが木から落ちてくるのを、今もじっと待っているのだ。じゃあ血は? ・・・・・・エイブ、お前怪我をしているのか。足から血が出ている。噛まれたのか? 引っ掻かれたのか? それとも単に擦りむいただけか? ちくしょう、早く助け出さねば。

 ────────いや、落ち着け。まずはオオカミをどうにかしなくては。殺す? どうやって? 七歳のガキがオオカミに叶うはずがあるか! ナイフで刺す? 直ぐには死なない。その前に殺される。じゃあどうする? どうする? どうする?


“命が危ないときは、必ずこの笛を吹いてください”


 昨夜のマリアの言葉が脳裏を駆けた。笛? 持ってるぞ。ポケットから取り出した笛は金色に輝き、しなやかな草の紋様が全体に走っている。

 笛を吹くのか? 何が起きる? オオカミに気付かれるぞ。でも、他に案があるか?

 俺は、自分の人生を思い起こす。今世の七年間だけではなく、前世も含めた己の人生を。

 そして思い至る。自分が心の底から信頼できる人物は誰か?


 ──────だから俺は、笛を吹いた。


 美しい音色が、森の中に広がって溶けた。まるで転生する時に聴いた、女神様の声の様に心を震わせる音だった。

 瞬間、オオカミとエイブが俺の存在に気が付いた。オオカミは獲物を見付けたと言わんばかりに嬉々として俺に向かって駆け出し、そして、突如として現れた巨大な爪に、その身を一瞬にして引き裂かれた。

 何が起きたのか、俺は直ぐに理解することが出来なかった。

 目の前に、人間の大人の倍はあろうかという、巨大な鳥がいたのだ。それは、黄金と真紅の羽に身を包み、紫紺の瞳を持つ美しいワシだった。例えその足元にオオカミの残骸を散らしていようとも、その気高さは少しも損なわれることがなかった。

 やがて俺は、笛を吹き、オオカミが襲ってきて、突如として現れたこのワシに殺された、そこまでは理解できた。だが、この鳥は一体全体、どこからやって来たのだろうか。どうしてオオカミを殺したのだろうか。どうして目の前の俺に対し何もしないのだろうか。様々な疑問を解決することが出来ずにいた。

 もしかして、この笛がこのワシを呼び出したのだろうか。これが魔法というやつなのだろうか。だが、町で見かけるものとはまるで毛色の違う、まさに、前世のおとぎ話に出てくるような、そんな現象だ。

 俺がそんなことを考えていると、何やら困った様子になったワシは、エイブの方を向いた。

「え、いや、あのう、わかりませんが、僕には聞こえていますよ」

 突然、エイブが話始めた。あいつ、何で急に独り言を言いだしたのだろう。

「ええ、いえ、多分、呼び出したのは彼です。はい。─────はい! 知っていますよ。マリアさんは、彼の、ラックの母親です。ええ、はい。え? 本当ですか。でも、よろしいんですか。はい。ありがとうございます!」

 なぜだか、無性に人の電話を横で聞いているような気分になった。もしかすると、エイブは誰かと会話しているのだろうか。すると、その相手は、このワシなのだろうか?

 もしかしなくても、動物と会話をするという、そんなファンタジーな出来事を経験している友人が、途端にうらやましく感じてしまった。俺がワシの声を聞くことが出来ないのは、恐らく俺が魔力を持っていないから、そういう頭の中で話す魔法というものが出来ないのだろう。うらやましい。実にうらやましいぞ、エイブ。

「では、失礼しますね」

 そう言って、エイブはふかふかのワシの背中に飛び乗った。え、乗っていいの? ていうか乗れるものなの?

 困惑の表情を浮かべる俺に、ワシが背中を向けてきた。

「ラックも乗っていいって言ってるよ」

 エイブがワシの背中で嬉しそうに笑った。そうか。良かった。

 俺はワシの背中に乗ろうと立ち上がろうとして、そして直ぐに尻もちをついた。安心した途端、急に全身の力が抜けてしまったのだ。

「大丈夫?」

 エイブがワシの背中を降りて俺が立ち上がるのを手伝ってくれた。

「ありがとう」

 彼に手を引かれ、俺はようやく立ち上がることが出来た。

 そのまま俺達はワシの背中に乗り込み、そして束の間の空の旅を楽しんだ後、町へとたどり着いた。


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