二十九 貴族の子、兄と賭けをする
イタロス家に養子として生活を始めて、早二か月。段々と貴族の生活にも慣れてきた。一体何十年ぶりかというガチの勉強にはかなり苦労したが、学生の頃に感じていたような煩わしさが不思議と無く、自分の思いがけない成長というものを実感することが出来た。
ある日、全ての授業を終えると、エルトリアが散歩に行きましょうと誘ってきた。承諾した俺と彼女は屋敷出て、庭を散策する。
「お父様から聞いたのだけれど、トマトの栽培が気に入っているそうね」
庭に実赤い実を覗き込むように眺めながら、エルトリアはそう言った。
「確かに色はきれいだけれど、この実は食べられないのでしょう?」
一応口にしてみましたが、この世界のトマトも美味しくいただけましたよ、とは言わないでおくことにした。食用にされてしまっては、俺の実験用のトマトが無くなってしまうかもしれないからだ。
「エルトリアには関係ないのかもしれないけど、このトマトは魔力の少ない俺にとってはとても役に立つものなんだよ。
トマトの実は、葉や根、茎や幹に比べて圧倒的に多くの魔力が集中している。そして花に比べても摘み取った後の魔力の保持時間が格段に長いんだ。現在試したオレンジやレモンなどの他の実にも同様の性質があることから、このことは植物全般に対して言えると俺は考えているんだけど、それでもトマトの実に含まれる魔力量と魔力の保持時間が圧倒的に長いんだ。
このトマトの実を使って、魔道具に自動的に魔力を込めることが出来ないか試しているんだけど、最近は干しトマトを粉末状にすると魔力供給効率が平民の約〇・八倍になるという実験結果が出てきて・・・・・・、これ聞いてて面白い?」
「残念ながら、面白い、とは思えないのだけれど、私はルシウスの楽しそうな声をもっと聴いていたいわ」
「・・・・・・そっか」
気分が上がり、何故トマトがここまで魔力をため込むのか、という考察を延々と語り出しそうになった時、わざとらしい大きな足音と共に、レンの姿が視界の端に映った。
「ルシウス。君はどうやら、僕の忠告を忘れてしまったようだね」
小物の様な台詞を吐く兄の姿を見て、少しだけ悲しくなった。
「いえ、もちろん覚えていますよ。トマトには毒があって食べることが出来ないのですよね」
そんなことは言っていない。恐らくそう言おうと口を開いたレンが声を出す前に、遮るように俺は言葉を続ける。
「今日は未だ屋敷に不慣れな俺を、エルトリア様が心配してくださり、こうして屋敷の案内をしていただいてもらっています」
頼むから、俺を巡って争わないでくれ。そんな二人の王子様の間で揺れる少女漫画のヒロインの様な思いで言葉を紡ぐと、その思いが伝わったのか、レンが柔和な笑みを俺に向けた。
「失礼。これは僕の早とちりのようだ。しかしリアばかりに負担をかけるのは忍びない。どうだろう、僕が屋敷を案内するよ」
すごい! 一気に友好的になったぞ。このまま好感度を上げまくって、目指せ、レムスルートのトゥルーエンド!
一瞬乙女ゲームをしているような気分になり、キョウダイ仲の良い未来を夢見た。
「なにぶん屋敷は広い。君も乗馬を習っていることだし、ウマで移動しよう」
うんうん。そいつは貴族らしくて優雅でいいぞ!
「だが、ただ馬に乗って屋敷を回るというのも面白くない。折角だし、賭けをしないか」
うんうん。何か台詞が小物臭くなってきたぞ。
「屋敷を一周するような道があるんだが、それを一回りどちらが早く先に出来るか競走しよう。そして、負けた方は勝った方の要求を何でも飲む、というのはどうだ」
「レンお兄様。いきなり何を言っているの?」
エルトリアが疑いの眼差しをレンへと向ける。
「ちょっとしたゲームだよ。折角キョウダイになったんだ。仲良くなれるように趣向を凝らしてみたまでのことさ」
おいおい。俺はまだウマに跨るのに精いっぱいだって言うのに。
明らかに嫌がらせでしかないなあと溜息を吐きたくなった時、俺の頭に一つの考えが浮かんだ。
「レムス様。一つ、俺にハンデをいただけないでしょうか?」
俺がそうレンに尋ねると、初めは目を丸くしていた彼は、やがて大きな高笑いを起こした。
「ははははは。いいぞ。そうだ、君はまだ乗馬初心者だったなあ。これはこれは。すっかりそのことを失念していたよ」
「ありがとうございますレムス様。ではハンデとして、俺は走らせていただきませんか?」
「・・・・・・は?」
レムスの愉悦に染まった顔が、一瞬にして凍り付いた。
「ですから、レムス様がウマで、俺が足で競争をする、ということです」
「・・・・・・貴様は僕を馬鹿にしているのか?」
「いえ、なにぶん乗馬は初心者ですから、走った方が速いと思いまして」
「いいだろう! 僕が貴様に勝った暁には、魔法学園に戻る際に貴様に馬車を引いてもらうことにしよう。さぞ退屈しない道程になることだろうよ!」
この世界に来て初めてのチート能力を持った主人公の様な展開がやって来て、俺の心はいつになく高鳴っていた。
レンガ俺に敗北を喫した時、次に彼は「図ったな! ルシウス!」と言うだろう。こいつは何て美味しい展開なんだ。
「ついてこい! 馬小屋まで行くぞ」
ずんずんと先を進むレンの後を追うと、何故かエルトリアも付いてきた。
「ルシウス。自暴自棄になるのは感心しないわ」
小声で俺を窘めるエルトリアに、俺も小声で返す。
「エルトリアは、俺が走って森を抜けてきたことを知ってるだろう?」
「・・・・・・ジブリール様に乗ってきていたのではないの?」
「俺達が会っている時にジブリールの姿は無かったろ?」
「その、行きと帰りにそれぞれ呼び出していると思っていたのだけれど」
「ジブリールは笛にマリアの魔力が籠っていなければ使えないから、一度呼び出して返したら二度目は使えないんだ。だからジブリールは往復に使えないんだよ」
エルトリアは呆れた様な溜息を吐いた。
「勝算はあるのね」
「ああ」
馬小屋に着いたレンは、中から一頭のウマを連れ出してくる。純白の毛に覆われたそのウマの背に跨るレンの姿は、正に白馬の王子様と言った具合だ。
屋敷を囲む道の前に来てレンは宣言する
「じゃあ、リアはここで待っていてくれ。屋敷を一周して先にリアがいるところに戻ってこられた方の勝利だ。異論は無いな?」
「俺が勝った時にレムス様に何をしていただくか、まだ決められていないのですが」
「貴様は本当に面白いことを言う。そうだな、走りながらゆっくりと考えればいいのではないかな? ・・・・・・リア」
「・・・・・・わかったわ。私が手を叩いたら、開始ということにしましょう」
そう言ってリアは手を鳴らす。
レンは俺がコースを脱線する可能性を考慮していないのだろうかとは思いながら、走り出したウマの後をのんびり付いていくことにした。




