十六 少年、森で闘う
「森の主・真打の登場ってか」
俺の呟きの意味が分からなかったのか、聞こえていても返事をする余裕がないのか、そもそも聞こえていなかったのか。エイブは大きく後ずさりをした。
ウサギの化物は俺達を油断なくにらみ、一歩ずつ距離感を確かめながら近付いてきていた。
幸い、対するエイブは恐怖で動けていないという様子ではなく、俺は安心した。
「エイブ、危なくなったら魔法で吹き飛ばすんだぞ」
「わ、わかってるよ」
エイブは身構えて、指を鳴らす準備をした。正直、狩りの素人である俺の意見など、クマやオオカミを何頭も狩っているエイブからしてみれば聞くに値しないのかもしれない。
「・・・・・・先制攻撃しないの?」
それでも気になるものは気になるのが素人というもの。俺はついエイブに尋ねた。
「先に攻撃して魔法が避けられたら、逆にこっちが危険になるだろう。相手の素早さがわからない以上、相手が攻撃してきた時にカウンターをくらわした方が良いんだ」
「水魔法使っちゃえよ。あの水のドラゴンなら避けられないだろう?」
「あれは大量の水がないと使えないし、そもそも水魔法じゃない」
「え? じゃあ何の」
余裕をかましていた俺達の様子を見て、ウサギの化物は大きく飛び跳ねて、一瞬で俺達との距離を詰めてきた。
───────やばい。
そう思った時にはもう、エイブの指はならされていた。
瞬間、どこからか突風が吹いてきて、突っ込んできたウサギの化物を横に思いきり吹き飛ばした。木に身を打ち付け、そのままなぎ倒して進み、数本の木が道のようになった所でウサギの化物の体はようやく停止した。
さすがエイブ! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!
信じていたよ、信じていました。ええ、我らのエイブさんなら大丈夫だって。それに、あのくらいの速さだったらエイブを連れて飛んでも避けられたよ俺。だから油断してないよ。ゆ、油断なんて、してないんだからねっ!
しかし、今の一撃だけで戦いが終わることはなく、ウサギの化物はよろよろと体を起こした。なかなかに頑丈なやつだ。
「その指っパッチンて、かっこいいんだけど、何の為にやってるの?」
「ったく、ラックは本当に緊張感がないなあ。・・・・・・魔法を呪文なしで使うのって、結構すごいことなんだぞ。いわば、この指パッチンは呪文の代わりだよ」
「ちなみに、さっきの水魔法じゃないって言うのは?」
「水を扱うから水魔法、ってわけじゃないの。だから、これも風を操っているから風魔法ってわけじゃない。まあ、今度教えるから」
エイブは眼前のウサギの化物を油断なく見据える。
数秒のにらみ合いの後、化け物はまさに脱兎のごとく逃げ出した。しばらくして、エイブと俺は安堵の息を吐いた。
これにて、一件落着。
─────────じゃない!
俺はウサギの化物が逃げた方向を思い出し、直ぐにその後を追いかけた。
「ラック?」
エイブが叫んだ。
「町の方に行ったんだ!」
「町には結界が」
そこでエイブの声は途切れた。なにごとかと後ろを見ると、エイブはもう遥彼方に居て、単純に彼の声が聞こえないほど距離が離れただけだった。
そう。町には結界が貼ってある。恐らく、ウサギの化物は町に入ることはできないだろう。だが、町の外に人がいない可能性を、俺は捨て去ることが出来なかった。
しばらく走って、ようやくウサギの化物の後姿を捉えた時、化物の進行方向上に子供が立ち竦んでいる姿が見えた。
ちくしょうめ!
俺は迷わず、ポケットの中の黄金の笛を口にくわえて吹いた。
ウサギの化物は速度を落とすことなく走り続け、子供の手前に来ると、目の前にやって来た邪魔な羽虫を振り払うかのように手を上げた。瞬間、現れたジブリールの足の爪が、ウサギの化物の体を切り裂きながら横に転がした。しかし、振り下ろされていて化物の爪は、子供の体を切り裂いていた。
くそっ!
俺は急いで子供のもとへと駆け寄った。子供は、頭頂から顎先までを縦に真っ直ぐ切り裂かれており、その傷は左目を通過していた。
ちくしょう。早く治療しないと。誰が? とりあえず町へ。ジブリールは?
素早く首を回すと、黄金の鳥がウサギの化物を組み敷いている光景が目に飛び込んできた。
「ジブリール! 俺を町へ!」
巨大なワシの背中に素早く飛び乗ると、すぐさま黄金の鳥は舞い上がった。
「・・・・・・ラック、お兄ちゃん?」
腕に抱えた子供が、震える声でそう言った。
「ああ。そうだ。ラックだよ。怖かったな。安心しろ。もう大丈夫だ」
「よかったあ」
子供が笑う。
良かないぜちくしょう! なんてこった。俺のふざけた冒険譚のせいでこんなことになっちまった。
頼む。急いでくれジブリール。
結論から言うと、子供は命に別状はなかったが、左目の視力を失っていた。
何があったのかと問い詰められたので、俺はエイブのことを伏せてウサギの化物に襲われたことを話した。その過程でジブリールがウサギの化物を始末したことがわかり、何やらお祭り騒ぎとなった。人一人が目を失っているというのにご機嫌なやつらだ。
イラつく俺にマリアが教えてくれた。化け物を倒した功績に応じて、貴族が褒美をくれるらしいのだ。その時お願いすれば、子供の目が治るのだとか。それはつまり、俺を捨てたクソ貴族に頼るということだ。癪でしかないが我慢しよう。
さて、ジブリールが仕留めたウサギの化物は『ボーパルバニー』と呼ばれる魔物らしい。明らかに前世で聞いたことのある名前は異世界ものあるあるとして受け入れよう。
ただし魔物、テメーはダメだ。
マリア曰く、魔物とは人の魔力を浴び続けて突然変異した言われる生き物の総称らしい。凄腕の冒険者だけに討伐の依頼が出るほど危険な相手であり、それを倒すと貴族から褒章がもらえるのだとか。
ジブリールが森から運んできたボーパルバニーの死体を皆が寄ってたかって解体している。頭は取り置きしつつ、毛皮を剥がし、肉を細かく分けていた。まるでお祭り騒ぎだ。
やはり、毛皮などは高く売れるらしい。肉も美味しいらしく、貴族に進呈する分以外は町の人々で食べてしまおうと悪だくみをしていた。
焼かれる肉の脇で、香ばしい香りで腹を満たしている俺の横に、エイブが現れた。
「結局、ラックが仕留めたらしいじゃん、あのウサギ」
「俺じゃなくてジブリールだよ。それよりも、あんな小さな子供に怪我をさせてしまった」
「自分から入ったんだろ。だったら死んでも文句は言えない。命があるだけ儲けもんだよ」
この命の軽さに対する嫌悪感ばかりは、俺が現代の倫理観を引きずっているだけなのかもしれない。だが、そう簡単に慣れてしまいたくないと、俺は思っている。
「今更だけど、ラックは性格が冒険者に向いていないなあ」
「どういうことだ?」
「迷わず危険に飛び込んだり、構わず人を助けようとしたりするところさ。冒険者は安全第一、自分最優先でやらなくちゃいけないんだ。君は命の危機に晒されている人がいたら、自分の身を顧みずに助けようとしてしまうんだろうね」
「俺はそこまで善人じゃない。ジブリールがいたから、助けられると思ったんだ」
「助けられると思ったからって、実際に人を助けるかどうかは本人次第だろ。まあ、僕は君がそういう性格だから好きなんだけどね」
「お褒めに預かり恐悦至極」
話し終える頃には、ウサギの肉が焼き上がっていた。俺達は肉汁溢れる香ばしいウサギの肉で舌鼓を打った。