十五 少年、友人に本音を話す
翌朝、俺は昨日子供たちが教えてくれた森の入り口近くの家の陰から、人が来ないかと見張っていた。程なくしてエイブが現れて、魔除けの石を外して森の奥へと入っていく。
俺は彼が入ってしばらくしてから、その後を追った。
彼が進んだと思われる道の両脇の木には、鋭い刃物で切り付けられたような目印が点々と付けられていた。だがどれもが一太刀でえぐられており、とてもナイフや剣術の素人の技量で付けられる跡には見えなかった。
きっと、魔法で傷をつけたんだろう。
俺はその鮮やかな切り口に感動を覚えながら、森の奥へと進んでいく。
やがて、所々に動物の死体が転がり始めた。キツネやオオカミ、クマまでいる。刃物のようなもので体を傷つけられていたり、四肢の一部が無くなっていたり、中には腹に大穴が開いていたりするものまであった。
前世なら動物愛護団体に訴えられたり、殺人の兆候だと騒がれたりしかねない凄惨な光景であったが、この世界で彼らはまごうことなき害獣、殺すべき対象なのだ。
しかし、毛皮や肉などを売ったら結構金になるのではないだろうか。そんな卑しいことを考えながら、エイブが自分の魔法の技量をひた隠しにしてきた事実を思い出す。
エイブはきっと、ちやほやされるのが苦手なのではないだろうか。もしかしたら、五年前の事件のことが尾を引いているのかもしれない。・・・・・・それにしては、海で巨大な魔法を行使していたが、まあきっと、かなりの勇気を振り絞って行ったのだろう。
やがて、木々が開けた場所が現れた。降り注ぐ日差しの下、我が友人が華麗に指を鳴らす。すると、彼の目の前にあった木に、一瞬にして無数の切り傷が付いた。そして何度かその魔法を繰り返して木が細切れになったところで彼が再び指を鳴らすと、切り株が根っこから掘り返された。その切り株すらも細切れにした後、木の残骸たちを地面へと魔法で集めて、土をきれいにならしていた。
森の開けた場所の地面をよく見てみると、所々同様に魔法でならされたと思われる場所が見つかった。もしかしてもしかしなくとも、この森の間隙はエイブが魔法の特訓の過程で作り上げたものなのかもしれない。
俺が思わず関心の溜息をつくと、それに気が付いたのかエイブが後ろを振り返り、そして俺と目が合った。
「よお、エイブ」
「・・・・・・ラック、どうしてここに?」
「森に入ろうとする子供たちを止めた時にお前の名前が出てな。気になって後を付けたんだよ」
「・・・・・・僕を止めに来たのか? 森は危ないからって」
エイブの目に、親の仇を見るかのような恨みと怒りが籠っているような気がした。その感情の源が何なのか、俺には皆目見当がつかなかった。
「いや、見学に来た」
「──────は?」
「海で見せてくれたようなすごい魔法を練習してるんだろ。そんなの、見てみたいに決まってるだろ」
魔除けとジブリール、そしてエイブだけが、この世界が「剣と魔法の世界」であることを思い起こさせてくれるものだった。しかし、魔除けは俺には関係がなく、ジブリールもおいそれと呼び出すことはできない。だとしたら、後はエイブの魔法だけなのだ。
「・・・・・・本当に、それだけなのか。何か、その、危ないから、とか、実は、僕を馬鹿にしに来た、とか」
「何言ってんだよ。あんなすごい魔法使えるやつの何を心配するって言うんだ。それに、馬鹿にする? あんなすごい魔法、俺にも、町のどの人だって、使えるわけがないさ。何でそんなすごいやつのことを馬鹿にするんだ?」
「じゃ、じゃあ、どうして君は、冒険者になろうって言った時に断ったんだ? どうせ無理だろうと思っていたんじゃないのか?」
エイブの言動の陰に、劣等感が透けて見えた。恐らく、エイブは俺を英雄視して、そして同時に自身を卑下してしまっていたのだ。自身の弱さを嫌いつつ、かと言って自分の強さを誇示することもできなかった。魔法の修行を人に見せないのも、狩った獲物を人に見せないのも、そういう自分を低く見る気持ちが、どうせ評価なんてされないという気持ちが、そうさせているかもしれない。
前世の自分が、少しだけ思い出された。あらゆる分野で、自分より優れた人間が必ずいて、自分には価値がないと気付き、ブラック企業で目的もなく使いつぶされる、そんな人間でもいいかと思ってしまっていた自分。
でも、エイブはそんな自分を否定しようと必死にもがいていた。結果、魔法が人並み外れて使えるようになった。
俺とは全く違う。俺よりも、はるかに強い人間だ。
海で冒険者になりたいと言った時、エイブは俺と肩を並べる人間になる、そんな強い決意をもって言ったのかもしれない。だからこそ、俺に断られた時、俺に否定されたと思って、恨みや怒りが湧いたのかもしれない。・・・・・・いや、もっとはるかに前から、彼は俺に対してそういう感情を持っていたのかもしれない。
───────────なんてな。
所詮は妄想。エイブの過去や苦しみなんて、俺が完全に理解することなんてできるはずもないんだ。俺にできることは、ただ一つ。正直に答えることだけだ。
「俺は、ずっとマリアのそばにいたいんだ。あの人のことを、ずっと支えてあげたいんだ。だから、この町からは離れられない。・・・・・・そういうわけだから、俺はお前が冒険者として偉業を果たせないなんて、これっぽっちも思っていないんだ。俺はむしろ、お前なら必ずできると思ってる。あんな、あんなにすごい魔法が使えるようになったお前に、出来ないことなんてあるもんか」
エイブの頬から、一筋の涙がこぼれた。けれども、彼は笑っていた。何か憑き物が取れたような迷いが吹っ切れたような、そんな笑顔だった。
これにて、一件落着。
そんなテロップが俺の頭の中に流れた瞬間、見覚えのない奇妙な影が視界の端に映った。
「後ろ!」
俺が叫ぶと、エイブがおもむろに振り返る。
奇妙な影は、一歩一歩、ゆっくりと森の間隙へと足を踏み入れて、そして少しずつその姿をさらした。茶色い体毛に覆われた体と頭から伸びる長い突起の様な耳。その体躯は並みの大人よりも一回り以上大きく、口から飛び出ている牙と手足から生えている鋭利な爪は、一瞬にして生き物の命を刈り取る、死神の鎌の如き様相を呈していた。
耳に残る『森に入った女の子』の物語。怖いウサギというのは、きっとこういう生き物のことを言うのだろうと、そう思った。