十三 少年、友人に誘われる
朝が来れば起きる以外の選択肢など無く、俺はゆっくりと体を起こした。眠気があるだけで体調を崩したわけではないので、恐らく森を越えることに支障はきたさないだろう。
俺は準備運動をした後、花畑へと向かった。
しかしその日、空が赤く染まり始めるまで待ったが、シラクサが現れることは無かった。
そんな日もあるだろう。俺はマリアの為の白い花をいくつか取って家に帰った。
だが、次の日も、そのまた次の日も、シラクサを見付けることはできなかった。結局、そのまま一か月ほど花畑に通い続けたが、どの日も花を持ち帰るだけで終わった。
そのままマリアの容体が全快したので、俺は花畑に通う意義も、意味も、意志も、完全に失ってしまった。
「何一人でたそがれてるの?」
海をぼおっと眺めていた俺に、エイブが声をかけてきた。
「え? いや、うーん。何でだろうね」
自分でも、何をしているのだろうか、何でしているのだろうか、よくわからなかった。
「この間までは毎日のように森に行っていたのに、今はいつも海の方にいるよね」
言われてみれば、確かにそうだ。俺は無意識の内に森を避けていた。いや、それとも、海の上での思い出が、俺をここに呼び寄せているのか。
「マリアの病気が治ってさ、それで、気が抜けたのかもね」
「それにしたって、ずっと海を見ているだけなんて、退屈じゃない?」
エイブは俺の隣に腰を下ろした。
「そうでもないさ。波が寄せては返すところを眺めていると、何か心が落ち着いてくるだろ」
「僕はもう、眠いくらいだよ」
そう言ってエイブは寝転がり始めた。
「そうか。俺も寝るかあ」
俺も寝転がった。
「なあ、ラック」
「ん?」
「自覚はないかも知れないけど、君はこの町の太陽みたいな存在なんだ。・・・・・・つまりその、君が元気ないと、みんな心配なんだよ」
「俺、そんな元気なく見える?」
「ああ。炎から熱を取り去ってしまったみたいな感じだ」
「炎から、熱を? それは、その、意味を捉えるのが難しいんだが」
「んー何というか、ゆらゆら揺れているだけの、熱くない、こう、幻みたいな感じって意味で使ったんだけど・・・・・・」
「ふむ、幻ねえ」
白い花園で見つけた金色の妖精。もしかしたら、彼女は幻だったのかもしれない。
「もしかしたら、そうなのかもしれないな」
「・・・・・・やっぱり。何というか、覇気がない」
「覇気なんて初めからないだろう?」
「いいや。君はいつも僕らの中心にいた。特に鬼が君一人の鬼ごっことか、あれで、君を見下していたようなやつも、一瞬で君を尊敬するようになったんだ」
「まあ、みんな子供だからなあ」
「言っておくけど、最初に君がその鬼ごっこを提案した時、君が一番年下だったんだぞ」
「あれ? そうだったっけ?」
まあ、精神年齢は俺が一番上だろう。
「そうだろ。全く。・・・・・・君は、君はすごいやつなんだ」
「ほめても何も出ないぞ」
「お世辞じゃないぞ。僕は本心から言っているんだ。君は本当にすごいやつなんだ。人の上に立つ才能があるんだ」
「人の上って、俺は平民だぞ」
だが貴族だ。捨てられはしたが。
「政治的な意味だけじゃないさ」
そう言って、エイブは横にしていた身を起こし、指を鳴らした。
俺がぼんやりと見詰めている水平線。その直線が途端に曲線になった。その曲線は、焼き上がって膨らんだお餅を連想させるような、タコの頭の様な形になり、やがてその巨大なふくらみが空中に浮かび上がり、そして巨大な水の玉になった。
「すげえ」
俺は思わずそうつぶいた。
「魔法だよ。僕たちには、魔法がある」
巨大な水の玉は、少しずつ形を変えて、爪を伸ばし、牙を光らせ、そしていたるところから鱗を隆起させた。長い首を伸ばし、翼を広げ、尾を鞭のようにしならせた。
人はそれを、ドラゴン、と呼ぶのだろう。
「これは、お前の力なのか?」
エイブは頷いた。
「君が僕を救ってくれたあの日、僕が自分の無力を悟ったあの日、あの日から、僕はずっと魔法の練習をしているんだ」
ドラゴンは身を翻し、翼を強くはためかせた。巨大な水の体が重力に逆らって、空へと飛びあがった。
エイブは立ち上がり、そして指を鳴らす。
瞬間、ドラゴンは弾けた。無数の水滴が雨のように降り注いだかと思うと、やがて、七色の橋が空に掛かった。
普段、町の人々が魔法を使っている姿などほとんど見ない。マリア曰く、魔法は一瞬の出来事には効果を発揮するが、長時間の作業には向かないらしい。例えば、料理する時に、火を起こすのは魔法だが、それはあくまでも薪に火をともすためのものでしかないらしい。しかも、強力な魔法を使おうとすれば、下手をすると命の危機に陥る危険性があるらしく、皆出来るだけ使わないようにしているのだとか。
だが、目の前で起こった現象は、強力な魔法という言葉でだけで片づけるには、あまりにも壮大で、神秘的だった。
「なあ、ラック。僕は、十五歳になって成人したら、冒険者になろうと思っているんだ」
冒険者。それは、一言で言えば便利屋のことだ。時には傭兵、時には害獣の駆除、時にはどぶさらい。それは誰でもなることが出来て、ほとんどの人間が権力者に使いつぶされるだけの生活を送る。でも、その中でもほんの一握りの人間は、貴族にすら頭を下げる必要がないほどの存在になれるのだ。
「ラック。その時は、僕と一緒に冒険者にならないか。君となら、絶対に偉業を成し遂げることが出来る。そんな気がするんだ」
「・・・・・・ごめんな。俺、魔法はダメなんだ」
「冒険者なんだ。魔法が無くたってかまわない。君の頭脳と勇気があれば、きっとなんだってできる!」
これは、エイブなりに気を使って俺を励まそうとしてくれているのか、それとも、彼がずっと胸の内に秘めていた思いが口をついて出てしまったのか。
まあどちらにせよ、俺の答えは変わらないのだが。
「──────ごめん」
「・・・・・・そうか」
残念そうな顔をして、エイブは俺に背中を向けた。
「まあ、まだ時間はある。僕が成人した時、改めて君に尋ねるから」
そう言って、エイブは去っていった。
始まらぬまま終わりを迎えた初恋の痛みが少しずつ癒え出したころ、俺は今までのように、みんなを率いて遊ぶようになっていた。
十二歳の俺は町の子供の中でも年上の部類であったが、エイブの言った通り、俺よりも年上の子供が他にいる時でも、俺に遊びの決定権が与えられた。
一度意識してしまうと、途端に、俺を取り巻く現状が異端の権力構造に見えて他ならなかった。年上だから、という理由だけではないだろう。子供たちの瞳が俺という人間を透かして、その背後にある何か別のものを見ているような、そんな気がしたのだ。
その理由を調査しようとすると、それは驚くほどあっさりわかった。
弱冠七歳で、大人すら恐れて近付かない森の中に入り、子供を救出して帰ってきたこと。その物語が、まるで英雄譚のように子供たちの間で語られていたのだ。
俺に言わせれば、そんなものは五年前の偶然の出来事をきれいに脚色した作り物のお話に過ぎない。だが、子供たちにとってはそうではないのだ。
何か良からぬことが起きなければいいのだが。一抹の不安がよぎった。けれど、ここは現実だ。物語の世界じゃない。不安など、そうそう的中するはずもないのだ。