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帰るための代償は、とてつもなく大きなものだった。

作者: ゆーた

【プロローグ】



学校に行ったふりをしてまた外へ行く。毎回同じタイミングで2人休むと流石に異様であるので二人でいつもは行けないが、たまに同じクラスである卓哉を連れて遊びに行く。卓哉とは小中高と七年間共にしてきて、親友と俺は思っている。勿論、学校側に連絡をしないと家に電話がかかってき、親に連絡が行く。親が五月蠅うるさく、過去の悪事がバレてしまえば鬼の形相になるだろう。

今回も充電残り十五%の携帯で演技賞並の仮病の連絡をしたつもりだった。しかし、演技がうますぎたのか、過去のあまたの仮病が積み重なったのもあったのか、病弱の生徒と思われているのか、今回は電話口の担任がえらく心配してきた気がして、もしかすると心配性な担任が家に電話をかけてくるということも浮かんだ。

親に連絡が行く。その時に本人がいなかったらジ・エンド。嫌な予感がするが、かかってくるのは放課後だし、かかってきたら、その場にいれさえすれば上手く誤魔化せるだろう。学校に行ったことにするから、朝早く起き、教科書等重い荷物を持っていかないといけないのは鬱陶しい。そしてそれをコインロッカーに入れるのが日常茶判事。

さぁ、今日もサボります。



【1 心の変化】



「卓哉、今日はなんて言ってサボったん?」

「けびょうでやすみまーす、嘘嘘、熱って言ったぜ。」

どんなときも悠長、返答も無理やり下手くそなジョークで返そうとしてくる上に嘘、嘘と返答前に自分で突っ込むのが恒例の卓哉にノリの悪い俊佑は失笑した。

「そうなん。で、どこ行く?」

「んー近くだと見つかりそうやし、また遠くにしかいけんもんなぁ」

完璧にジョークをスルーされいっそすがすがしい気持ちになった卓哉が今回は真面目に答える。

話しているうちに、最寄り駅の西日暮里駅が目の前にあった。

行き先を模索していた駅の中で、イルカショーのポスターを見つけた。

俊佑は、水族館に行ったことが無かった。可愛いイルカのイラストが書かれたポスター。そこの水族館を残り十三%の携帯で調べてみると、約二十キロ先であった。ゲームセンターなどでチャラチャラした金髪や茶髪のヤンキーの集団が学校を抜け出し時間を潰す。それを羨ましいとまで思っていたが俊佑だが、ポスターを見ただけで水族館で癒されたくなった。卓哉も、間髪いれずに了承してくれて、二十キロ離れた水族館へ向かうべく、満員電車に乗った。


午前十一時。授業の三時間は俊佑にとっては苦痛であるが遊ぶときは時間が速く過ぎていく。二人は水族館を堪能し、もう終盤に来ていた。

「タッチプールある!ちょっとこれ持ってて!」

そう言って外した高級な腕時計を渡された。

「ヒトデ!ウニじゃ!うーわ、タコノマクラまで!」

なぜ、タコノマクラで締めた。大興奮の卓哉に思わず失笑した。

入館してから変わることなく、純粋なちびっ子のように燥ぐ卓哉を、微笑ましく思い、動物よりも卓哉の笑顔で癒されたかもしれないとまで思った。

「何してんだい。俊佑も来いよぉ。いてっ、ウニっ。」

その声があまりに元気なので、見ていただけの俊佑も、腕時計をポケットにいれて、自分も幼少期に戻ったかのように、冷たい水に手を入れた。

心の底から楽しんでいる純粋な卓哉によって、俺には邪心が多いんだろなぁと実感し、今後はサボることなく真面目に学校に行こうかなとも思い始めた。


こうして、あっという間に過ぎた三時間程も終わった。

俊佑が金をケチったため、お土産コーナーには行かなかったに対して、卓哉は口を尖らせた。


彼は早く別れたかったのだ。

勿論、卓哉のせいではない。

七年を共にし、自分の性格を完全に分かっているだろう卓哉に、

自分の心の変化を悟られてしまうのは分が悪かったのだ。

「今日もありがとな。このあと親戚と会わないといけないんだ、じゃあな。」「まじ?わかった。今日はありがと。」

もちろん親戚と会う予定などあるわけがない。

ここで卓哉とは別れた。

卓哉の表情はさっきから全く変わっていなかった。

この後は何しようか。それすら浮かばないまま、手を振りこちらをちらちら見てくる卓哉を背に、駅へと足を運んだ。



【2 卓哉の本心】



朝と違い、スカスカの電車の席に着いた俊佑。

「この電車は予定より早く到着致しましたので、

出発は定刻通り十一時五十八分に出発致します」

とアナウンスが車内に響く。

同じくらいの年齢だろうか、がたいの大きな強面の集団も入ってきたり、段々と人数が増えてくる。

あと五分は出発しないと分かり、止まったままの電車の中で、ポケットから財布を取り出し、水族館の入場券を眺める。思い返すと、自分でも不思議なくらい、卓哉の笑顔が浮かんでくる。今日、水族館を選んだのは正解だったなと満足気に思う。

「すみ・・・」

「すみま・・」

「すみません」

はっと気づいた俊佑。

「これ落としましたよ。」

「す、すみません!ありがとうございます...」

彼の顔は涙目になっていた。

自分がこれまでにサボってきた間、クラスの皆が必死に授業を受けているのだと思うと、取り返しのつかないことをしていたなぁと悔やんでいた。

涙目の上、受け取った物も小さかったので何を受け取ったのかは分からなかった。

純粋な卓哉によって俊佑の邪心に満ちた心は浄化されてきたのだろう。

そういえば卓哉は、自分から俺にサボり遊ぶ誘いを一度もしてきてなかったなぁ。もしかすると、卓哉は本当は学校に行きたいが、俺の為にサボってくれたのかもしれない。あいつはそういや成績優秀だったな。

間違いない。

俺のようにサボりたいわけではなかったんだ。

俺は卓哉に迷惑をかけていたんだ。

俊佑は、顔を上げることができなく、下唇を噛んでいた。

いつの間にか持っていた飴をほおばる。

ガタンと座席が揺れた。

ゆっくりと電車が右に進み始めた。



【3 見たこともない風景】



ふと気がついて窓を見ると、周りには見たこともない風景が一面に広がっていた。かすかに動いているように感じていた電車が止まったようだ。

乗り過ごしてしまったのか?と冷や汗をかいていた。

ここは何処?視界の中を捜索する。

すると、『大宮駅』と書かれた看板があり、驚いて、スローモーションで見てみたいほどの綺麗な三度見をしてしまった。

大宮...さ、埼玉っ?。

勉強もほとんどしてこなく、遠い場所の地名など知っているはずもない俊佑だが、大宮が埼玉というのは、大宮にプロのサッカーチームがあるため知っていた。

それにしても、なぜ此処にいるのか分からなかった。そもそも、記憶が無いのだ。

電車が走り出した直後、急に睡魔に襲われて、成す術もなく寝てしまったような気がする。

疲れていたわけではなかった。

眠らされたのか?いやどうやって。

思い当たる節は全く浮かばない。

朝ほどではないが乗客もいた車内で人を眠らせるなんて... 。流石に眠らされたとは考えにくい。

まぁ考えたところで、過ぎたことは仕方がない。

とりあえず戻らなくては。一旦改札を出よう。改札口横の乗りこし精算機に急いだ。


幸い、三百円程度の乗り越しだっため安堵した俊佑は、ほっと一息をついた。

まだ時間は沢山ある。早く帰ってて助かったなぁ。右手で握りしめていた切符が勢い良く吸い込まれていく。よく寝ながら離さなかったと思う。


さぁ、三百四十円か。

しかし、先程の安堵から一転、思いもよらない異変に気づいた。


財布が見当たらない。

いくら探しても見当たらない。

もう一度探してもやはり無い。

さっき見たときに五人の英世が入っていたはずの財布。

電車に置いてきたのか。いや、降りるときに椅子は見たはず。

突然の睡魔。財布の紛失。頭の中でその二つの謎が繋がった。その謎が解けたことで、もやもやが取れたが、それは残酷なものであった。

彼の思った通り、眠らされ、盗まれたのだ。同時に目の前の乗り越し精算機を見て、蒼白になった顔には、消えたはずの冷や汗が戻ってきた。

乗り過ごした分の料金が払えない。大宮は埼玉県。お金無しに帰ることは不可能だろう。そして携帯の充電は案の定ゼロ。

せめて距離だけでも教えてくれと心の中で叫ぶ。

しかし、思い出した。ポケットに昨日買ったフライドポテトのお釣りの三百円何円かがあることに。

ミディアムサイズと迷った挙げ句ケチって、スモールサイズにしたんだった。

三百五十円はここまでありがたいものなのか。まるで諭吉を見つけたかのようだ。お釣りは十円のみ、まさに九死に一生を得たのであった。五百円玉で百五十円のスモールを頼んでて良かった。ミディアムだったら足りなかった。

これを見込んで、スモールを購入したのだ。

なんてね。

毎回、ウケを狙ってるのかのように、下手くそなジョークで返してくる奴がいたなぁ。朝の卓哉との会話が、昔のように感じる。

今、横にあいつがいてくれてれば、まだ楽なんだろうけどなぁ。

いや、あいつがいたら乗り過ごさないか。あはは。

これからどうすれば帰れるのか全く分からないという絶望に、笑いすら出てしまった。

とにかく、乗り越し料金を払うという、第一関門は突破したのだ。

神様はまだ微笑んでいる、そう信じて残り四時間程で家に帰る道を模索しなければ。



【4 同業者】



これからどうすれば良いのか何も考えが出るわけもない俊佑に出来ることは、ただ東京へ向かって歩くことしかなかった。炎天下の中、橙色に輝く太陽の反対側しか見ることのできないその足取りで、未踏の地を歩くことに限界を感じた。それもそのはず、携帯も使用できない俊佑は、ここから家までの旅路が、何キロあるのかすらも把握できていないのである。


道端に落ちている石ころしか見えてこない。彼はそれを蹴り飛ばした。

転がっていった石ころは、まるでシュートしたかのように排水口の溝に綺麗にはまった。

大好きなサッカーが頭に浮かぶ。

俺は今、ゴールを決めたが、それは無人のゴールである。観客もいない。プレイヤーも一人だけなのである。皆が同じ教室という名のピッチに立っているとしたら、俺は一人、スタジアムそのものを間違えてしまったのだろう。


彼は、休みがちな上に、学業成績も酷いものであり、サッカー部を活動停止になっていた。部活に行くことを許されず、心の拠り所を無くした彼にとって、高校に行く理由などあるわけがなかった。


考え事をしながら歩いていると、視界に電柱がいきなり飛び込んだので、思わず顔を上げて止まった。それが駅から出てから、初めて前を向いた瞬間であった。


あてもなく、また片手でポケットの中に手を入れ、あるはずもない財布を諦めきれず探していたら、指に何かが刺さった。それは見覚えのないメーカーも分からない飴の殻の棘だった。

そういえば、無意識に飴を食べたような気がする。こんな飴持っていなかったはずなのに。

「これ落としましたよ. ..」

ふと思い出した声。

何を受け取ったのかも分からなかったな。

そして分かった。この飴か。

この飴に睡眠薬でも仕組んだのかな。それにしても誰がっ. ..。考え込んでいたので、誰が乗っていたのかも覚えていない。がたいのでかい強面の集団くらいか。

もしかして、奴らの仕業か?考え込んでいた俊佑には、それくらいしか答えが出せなかった。


しかし、実際、それが正解だった。


不良集団により睡眠薬を入れられた飴を渡され考え込んでいた俊佑は、それを無意識に食べてしまった。眠らされた後、水族館の入場券を眺めておりポケットに軽く直しただけのちらりと見えている財布をあっさり取られてしまっていた。それは考え込んでいる俊佑に気づかれず、人目に触れずに金を巻き上げる知能犯による犯行であった。


老けていたように見えたが、多分、同業者であろう。俊佑と同じように学校をさぼり、昼間にあの電車にいたのだろう。

金を盗むのは勿論、犯罪だ。同じ高校生が、そのような犯罪をするものかと考え直し、彼らは卒業してから一、ニ年くらい立っている集団なのか、いや、そもそも中卒で高校など行っていない集団のかとも思った。


俊佑は、拳を握りしめて悔やんだ。


彼は、学校など行かずに金髪でチャラチャラしたヤンキーのような生活に憧れを抱いていた。そして、その憧れていた生活をしている集団により、金を巻き上げられたのだから。

自分自身に失望し、握りしめた拳で腰を叩いた。


通りかかった時計の店の時計が、十三時を回っていた。十六時半に帰らなくてはならないが、

もう三時間程しかない。彼は炎天下の中を歩くことを諦めた。



【5 究極の二択】



彼はまた、歩いて大宮駅付近へ戻ってきた。

その道はさっき通って来たはずなのに、初めて通る道のようであった。

これから、どうしようか。あの看板の三度見から結局ほとんど進めていない。時間だけが過ぎてしまっていた。彼の顔が蒼白になっているのは通りかかった通行人が見ただけで分かるくらいだ。


無料で帰ることはできない。早急にお金を作るしかないんだ。彼の考えは変わっていった。

何かを売る。何か売れるものはないかと考えてみる。しかし、物を売るためには身分証明書が必要だった。財布無き俊佑には、その売るという選択肢も閉ざされた。

あぁ、一時間だけバイトでもさせてくれないだろうか。

奇妙な雑貨屋の前を通りかかった。入り口にハブの剥製が置いてある。金色の腕時計や英語で読めないが帽子まで。

「おやボーイ、どうしたのかい?」

陽気な店員に、声をかけられた。

ヒョウ柄の上着にサングラスにピアス。俊佑の思う『チャラ男』の域を遥かに超えていた。

「いや、なんでもないです。」

その陽気な店員は、慌てて返答した少年が何か困り事があるが、それを隠しているのを感じ取った。それは当然だった。

店の前で青ざめて、突っ立っている少年に違和感を覚えない人がいるだろうか。

店員が彼の腕を見る。

「いい時計持ってるね。それなら買い取れるよ。」

「えっ。」

その時計とは、水族館のタッチプールで卓哉から渡された高級な時計だった。

お互い、この時計の存在を忘れていたのだ。

駅に戻る際にポケットから見つけ、時間を知るために、腕につけたのであった。

勿論、これを売るというのは、全く考えてなかった。

「他に売れるものはありませんか?服とか。」

スクールバック等は最初の駅のコインロッカーにしまっているため、ほぼ手持ちの荷物が無い彼に売りに出せそうな物は制服の中に着込んでいたTシャツ程度だった。

しかし、腕時計にロックオンした店員から、その提案は拒まれた。

この腕時計を売れば、家に帰れる。売らなければ、帰れない。身分証明書は必要ないそうだ。

しかし、卓哉の顔がよぎり続ける。


卓哉、お前なら分かってくれるよね。

新品の全く同じ物をなんとか買ってくるから。

じゃないと帰れないんだ。

許してくれるよね。

頭の中の卓哉に問いかけると、彼の頭の中の卓哉は

「しょうがないなぁ。」

と笑顔で返した。


目はサングラスで隠れているものの、口元がニヤリとした店員から、英世を受け取り、特急で東京へ向かうことにした。

あの時計が、英世一枚の価値な訳がない。

「卓哉、ごめんな...。」

悪徳な質屋だったのだろう。きっと金色の時計や英語の帽子は偽物なのではないだろうか。それに身分証明書すらいらなかったし 。

しかし、帰るためにはそれしかなかったのだ。値段じゃない。帰るのが最優先なんだ。

きっと英世の何倍もするだろうが、同じ物を買って返せば、問題ない。この時点では、少なくともそう思っていた。



【6 予定より早い帰宅】



彼は自分の街へ帰ってきた。

ロッカーに入れた荷物も回収し、いつものように、バックの中を荒らして学校に行ったことにするための偽装を行っていた。

電車で、大宮駅から三十分くらいで着いたのだから、歩いてこれたのではと思った。

時間を見るために、左腕を見たが、タイムリミット前に帰ってこれた代償として、時計は無くなってしまったのだから、高級な腕時計はない。駅の壁のアナログ時計を見にいったところ、針は十五時になろうとしていた。

あと一時間程は学校に行っていることになってるから帰れないのである。


することがないなぁ。

一刻も早く、卓哉に謝罪の連絡を入れたいが、

家に帰るまでは携帯は使えない。

卓哉が怒らなければいいなぁ。と祈るしかなかった。とにかく、

『これしか帰る方法がなかった。』と『同じ物を買って返す。』

これを強調しよう。

残ったお釣りのうちの百円を使い、駅内のコンビニで、下校中の生徒に見つからないためにマスクを購入した。

こういうことに限っては、頭の回転が良い。今までの仮病がばれなかったのもこういうとこだろう。

持ってきていたおにぎりを、いつもよりもゆっくり食べ、時計を見るとあとニ十分で帰れる時間だった。


帰宅した彼は、これもいつもの通り疲れたような演技をし、自分の部屋に急ぎ、携帯に充電プラグを差し込んだ。

充電残り一%の携帯を、充電しながら起動する。そして、卓哉に、全てを打ち明ける時が来た。


頼む。頼む。頼む。理解してくれ。こればかりは祈るしかなかった。


親が入ってきたので、疲れたような素振りを見せながら、教科書を棚に入れていると、通知が来た。返信がきたのだろう。彼の心臓は激しく鼓動しており、足は震えている。


親が部屋から出た後見た、卓哉の返信には、怒った様子は無く、

「お前が帰れないほうがやばいし、気にするなよ。どこで売ったの?」とあった。

なぜ、やばいのか、詳しく聞いてみたかったが、今は『ほんとごめん』の六文字しか打つことは出来なかった。


固定電話から着信音が鳴り響いていたが、それに気づくこともできなかった。

幸い、親がごみ出しに行っていたため、親が電話に出ることはできなかった。

その電話に気づいたのは、彼がもしやと思って着信履歴を確認したときであった。仮病でこれまで休んでいたのが、親にはバレている様子はない。ふぅと一息つき、履歴を消去した。

神様はまた俊佑に微笑んだ。それは彼が改心してきたためなのだろうか。



【7 帰るための代償】



流石に昨日は疲れていて、二時間程早く寝てしまった。普段は遅くまで携帯をいじっている俊佑にとって、その二時間の差なのか、翌朝、気持ちよく起きられた朝は、久しぶりだった。

学校に行きたいと思った朝は、いつぶりだろう。部停宣告を喰らう前ぶりかな。

チャイムが鳴る前に教室に入ったら、担任から声をかけられた。

「昨日は大丈夫だったか。心配したんだぞ。電話かけたけど、誰も出ないし。」「大丈夫です!」

勢いよく返事する。続けて、

「すみません、電話は気づきませんでした。」と補足する。ここで声をかけられたことで、家に電話がかかってくることは無いだろう、そう確信し、心の中で、ガッツポーズを決める。


なぜか、いつも朝早く来ていると聞いている卓哉の席に、あいつはいなくて、胸騒ぎがした。


その後、ホームルームで何かを話そうとする担任の様子が、明らかに緊張していて、違和感を感じた。

「ご存知の人もいるかもしれないけど、内藤卓哉君が、昨日、交通事故にあってしまい、埼玉の病院で緊急手術を受けて、現在入院しています。」

あまりに突然の知らせだった。

教室内が一気に静まり返る。誰もが驚きのあまりに声も出ないのだ。

嘘だろ。嘘だろ。卓哉...。何があったんだ。俺がぐうすか寝てる間に。どこの病院って言ったっけ。あっ、埼玉の病院だ。てことは、もしかして。

「卓哉っっっ!」

俊佑は教室を飛び出した。これにはクラス全員の首がドアの方を向く。彼はせっかく学校に来たのだが、結局、僅か十分で抜け出す形になってしまった。

「樫本、ちょっと待て!」

担任が呼び止めようとしているようだが、俊佑は構わず駅に急いだ。

まさか、あいつ、腕時計を取り戻しに...っ。

その事故は、自分が引き起こしたものであるという最悪の結果を想像したが、その嫌な予感は的中していた。

病院名は知らされてなかったが、大宮の近辺を調べたら予想はついた。


病院に着いた。受付に尋ねたところ、やはり卓哉は、この病院にいるそうだった。しかし、面会はまだできないということであった。

「会わせて下さい、お願いします!」

泣きながら叫ぶように何度も何度も頭を下げていると、面会の許可がもらえた。

困ったスタッフから俊佑をよく知る卓哉の両親に相談がいき、特別に許可がおりたらしいのだ。

「嘘だ...。」

卓哉に意識が無いことを目の当たりにした。乗用車に追突され、頭を強く打っており、もう意識が戻る可能性もほとんどないとのことであった。担任はクラスの人を心配させないため、それは隠していたのだろう。

俊佑はその場に崩れ落ちた。

メールだけであり、直接、面と向かって話すこともできないままであった。

卓哉の両親によってなんとか椅子に座ることができた。

「ど、どこでじ、事故に...。」

なんとか聞き取ることの出来た両親は、大宮駅の近くの交差点ということを教えてくれた。

追突した車の運転手によると、卓哉は赤信号にも関わらず、横断歩道を飛び出してきて、驚いてブレーキを踏んだが間に合わなかったとのことで、車に搭載されているカメラにも、その様子は映っており、どの警官が見ても、卓哉の不注意であったということであった。

しばらくして、なんとかふつうに喋ることができるようになった。

「何故、そこへ行ったのか分かりますか?」

「何も聞いてないのよ。」

確信した。あいつは返信では平然を装っていたが、あの腕時計はとても大事なものであり、それを取り戻しに来たんだろう。その道の途中で考え事をしており、赤信号に気づかなかったのだろう。事故にあったのはあいつのミスだが、原因を作ったのは俺だ。俺のせいだ。

時間内に家に帰れた。しかし、その代償として失われたのは、腕時計どころか、親友の意識だった。

顔を昨日以上に蒼白にさせ、それを恐る恐る両親に打ち明けた。


「そういうことだったのね。事故にあったのは本人の不注意だから、そこまで自分を責めないで。」

それは、卓哉から親友だと聞いていた俊佑への配慮であった。

俊佑は顔を上げることが出来なかった。



【8 宝物の価値】



「あの腕時計は、数年前に、白血病で亡くなった卓哉のガールフレンドが闘病中に卓哉にプレゼントしてくれたいわゆる形見の時計なの。」

卓哉の両親のその短い言葉が与える衝撃は物凄い物であった。勿論、そのような話は初めて聞いた。

同時に自分が、家に帰れないからという馬鹿みたいな理由で、それを売ってしまい、卓哉が事故にあったのかと思うと涙がこみ上げる。

家に帰り着いてから調べた大宮からの距離は、二十キロ程だった。四時間あれば、最悪、歩いて帰れたのであった。それを、果てしなく遠い地と思い込んだ挙げ句、焦った俊佑は、究極の二択の選択を誤ったのであった。


仮に新品の同じ時計を買って返したとしても、いや、仮に、じゃない。勿論、返すつもりだったんだけど、それでも、その時計は違うものなんだ。卓哉にとっての宝物は、世界に一つしかないんだ。

「なんでそんな時計を俺なんかに預けたんだよ..。」

「俊佑君だから、こそ預けて良かったんだと思うよ。余程の人じゃないと預けたりしないと思うよ。」

「えっ。」

誰にも聞こえないように言ったはずの独り言を拾った両親。

「信頼されていたのに、本当にごめんなさい...。」

決意を固めた。あの悪徳商人から、この時計を取り戻そう。たとえ卓哉が目覚めないとしても、出来ることはこれしかなかった。

病院を後にした俊佑の顔は凛々しかった。


真っ先にあの怪しい店に向かっていると、交差点があった。交差点に見覚えがあったわけではなかったが、卓哉が事故にあったのはここだろうと確信できた。卓哉は、あの店に行こうとしていたのだから。百メートルくらい先だろうか、もう店はすぐそこであった。店に行ったことのない人にはこの距離からは分からないだろうが、入り口に置いてあるあの白い紐っぽいものは、ハブの剥製である。


店員に事情を話した。

何故だろう。この店員が卓哉をはねたかのような憤りを覚える。本当に腹は立っているが、そういうわけではない。感情は押し殺そう。この店員は、卓哉を知るわけがないのだから。


「あぁ、あの時計かい?あれなら親方が持っていったぜ、ケケケ。」店員はサングラスをキュピンと光らせた。

ーケケケじゃねぇ。ー怒りが頂点に達して、胸ぐらを掴みながら、親方とは誰かを尋ねたが、教えてはくれなかった。


しかし、見逃さなかった。その時計がまだカウンターの裏に置かれていたのを。

どうやら渡す気はなかったのだろう。

一旦引いて、この店を出た。

渡したくない、何らかの理由があるはずなのだ。


取り戻すことはできなかった。ただ、収穫はあった。

腕時計のブランドがちらりと見えた。

同じ物を買うことができれば、あのニヤニヤ野郎でも交換に応じてくれるだろうと。

最悪、二個同じ物を買い、一個と交換でもいい。このプランには、取り戻せる確かな手応えがあった。


ブランドに絞り時計を検索するが、一向に見つかる気配もない。通販サイト、フリーマーケット、オークションサイト、全て見たが、見つからなかった。どうしても見つからないので、焼け糞になった俊佑は『非売品』というワードを検索欄に入れて、見つからないことを祈りながら検索してみたところ、一件だけだったがヒットしてしまい、絶望の淵に立たされた。


それは、非売品であるのは勿論、廃盤であり、製造終了されていることを意味した。

製造終了している物は、欲しい人にとっては、相場などないのが当然だ。法外な値段で売られるのだろう。


時間がない。

売られる前に、取り返さなければ。



【9 執念の往復】



「ないって言ってるだろう!」

店員との口論が続いていた。時計は変わらずカウンター裏にあるのに関わらず。


俊佑はこの店員とまともな交渉しても無駄だと悟った。


いけると確信していた計画が阻まれた俊佑は、他に方法は思いつかず、力ずくで奪うしかないのかと、考え始めた。しかし、その勇気はなかった。


こいつさえいなければ奪えるのに。

いなければ...。

いなければ...。

気づかれなければ...。


ー気づかれなければー。何かが頭の中を引っかかり、過去の記憶を辿っていると、妙案が閃いた。


財布を奪われたとき、俺は眠らされていたのだ。同じことをしてやればいいのだ。そう、店員を眠らせて、その隙に、宝物を取り返せばいいのだ。千円はくれたわけだから、その分の英世を置いてその代わりに時計を奪えれば問題ないだろう。この際、仕方がない。

一応、この悪徳商人のおかけで、時間までに帰れたので、そこだけはごくごく僅かに感謝している。まぁ宝物は返して頂くよ。


あの眠らされた電車でのことを思い浮かべる。

そもそも、あの集団は俺を眠らせるために最初から飴を持っていたということは、同じ手口のスリをどっかでしているということだろう。


あの時間帯に同じ電車に乗り続ければ、奴らに遭遇するかもしれない。そして、あの飴を入手できれば、店員も眠らせることができる。ひねり出した考えは、名前も顔も分からない人を探すという、無理難題であった。

無理難題であろうが、俺のせいでお前がこうなってしまったんだ。出来る限りのことを俺はやってやる。

病室へ戻り、卓哉を見ながら、心の中でそう誓い、卓哉が授業中だけ着用する眼鏡を拝借した。


決意を固めた俊佑は、昨日財布を奪われたのとちょうど同じ時間の乗電車の切符を購入した。

拝借した眼鏡と昨日コンビニで買ったマスクを着用し別人を装い、考え事をしているふりを続ける。ポケットから半分飛び出しているのは、前に使っていた財布だった。不良ぽい集団はいるが、奴らが財布を奪った輩なのかも分からなかった。結局、声をかけられることも無かった。

たまさか、違う時間帯の電車に乗っただけだろうと思い、また同じ区間の電車に乗るが、また声をかけることはなく、それでも何度も同じ道を往復を続けた。


何をしているのか。と尋ねられたら答えられない。

険しい顔をしながら、ポケットから英世をちらつかせ、同じ道を往復し続ける少年の目的など分かる人はいないだろう。

リセット・マラソンの如くここまで往復し続けてきて、これが最後と決めても、それを辞めた次の電車にその集団が乗ってきたらと思うと、それはもう執念であった。

もう一度。もう一度。

もう一度だけ、神様よ、もう一度だけ、微笑んでくれ。

ギリギリで乗り越し料金を払えなかったり、親に担任からの電話の受話器を受け取られなかった。そう、眠らされたこと以外は、運は彼に向いていたのだ。今回もそう祈っていたが、叶いはしなかった。

携帯のデジタル時計は、もう十四時三十二分になっていた。


一往復に七百円程使う。往復に使った金額は四千円を超えていた。あの悪徳商人から渡されたのはたったの千円。今、往復に投資し続けた金額の四分の一にも満たなかったのである。

「畜生、あの時計の千円で出来ることは、たったの一往復とお釣り二百円だけなのかよ。あの腕時計に、それだけの価値しかないのかよ。馬鹿にしやがって。」


苛立ちを隠せない俊佑は、歯を食いしばりながら、独り言を呟き、駅を後にした。


まぁ一日で、そう、うまくはいかないよね。

また明日。諦めるものか。

卓哉。俺は諦めない。



【10 冷静になって】



ハブの剥製がドアを見つめる、その怪しげな店の入り口には、入るわけでもないのに、毎日そこを通りかかってはカウンターを覗き込み、立ち去る、マスク姿の若者の姿が今日もある。


マスク姿の若者が一瞬だけ見つめる先には、目の前に見えているはずなのに手に取ることができない、そんな幻のような腕時計。


担任には、今は来れる精神状態ではないと伝えた。

目覚めては病室へ行く。視線は生体情報モニターに映し出され、変化し続ける数値と卓哉を何度も何度も往復する。そして日没にはあの畜生店員の店のカウンターを覗き込んでいた。

同じことを繰り返す日々は、明日でちょうど一週間であった。


今、此処に来たからといって、取り戻せる訳でもない。そう分かっているのに、来ないといけない理由がある。カウンターから腕時計が消えていることを予感しながら店に向かう足取りは、途方に暮れて、果てしなく遠く離れた道まであてもなく歩き出したあの日と似たものがあった。


結局、名前も顔も知らない集団を探すという難題は、初日で諦めてしまっていた。

探し物は、探して見つかるものではない。やけになって英世をちらつかせながら、同じ道を何度も往復した黒歴史の開幕日よりは冷静になっていたが、行き帰りに電車を使う際のマスク姿の若者は、やはり、財布をちらつかせ、下を向いていた。


考えてみると、財布を奪われた被害者が、犯人にもう一度、財布を狙ってほしいと願っているのだ。なんだこの状況は。なぜ俺は、実写版『*考える人』のようなポーズになってるんだ。もはや俺は、電車の中で生まれた、孤独な彫刻作品じゃねぇか。鑑賞され、人々に楽しまれる『考える人』に比べると、俺は彫刻としての価値すらもないだろう。

馬鹿らしい。

卓哉も呆れ返って笑っているな。


店員を眠らせて、その隙に英世を置いて腕時計を奪い去る。これで時計を取り戻したとしても、卓哉は喜んでくれるのだろうか。


全く他の方法は思いつかないが、この方法はやめよう。そう心の中で誓うと、心の中の卓哉は再び微笑んだ。


首が重く感じたが、ついに顔を上げた。

孤独な彫刻作品に、命が吹き込まれたのであった。





*『考える人』=オーギュスト・ロダン作のブロンズ像。思索にふける人物が描写されている。



【11 迷い込んだ蟻と奇跡】



親は朝から働いているので、目覚ましをかけていなければ起きるのは昼前になってしまう。


「いてて。」

目覚めた途端、首痛に襲われ、首が曲がらなかった。変な体勢で昼まで爆睡していたため、寝違えていた。置き時計が左にあったため、体ごと左に動かすと、針は十三時を過ぎていた。

遅くなってしまったけど、今日も電車で卓哉の所へ。


何故か、足元に蟻がいる。


きっと迷い込んだのだろう。

蟻は来た道にフェロモンをつけているから巣に帰ることができると昔知った。この電車が出発すると、その作った道も消えてしまうのだ。巣に帰るために、その道を辿って戻っても、その先には得体の知れない扉という硬い壁があるだけだ。

巣までの距離も分からない。

この蟻は、あの日の俺なのかもしれない。卓哉が出現させたのだろうか。


あり得もしないような事を、自分に置き換えて考え込む俊佑。


その瞬間、蟻に大きな影が襲いかかる。

蟻は間一髪でそれを回避した。

この蟻が俺だとすると、自分には睡魔という大きな影が襲いかかってきた。それを回避できずに見知らぬ所へ行き、のたうち回る結果となった。

この違いはなんだろう。


あぁ。俺は、人生を変えてしまう程の影響力を持つ『二択』の選択を間違えてしまったんだ。


蟻を襲った大きな影、それは靴だった。

何故、俺の目の前には誰もいないのに、靴があるのか。靴だけじゃなく、それに繫がる足も見えてきた。


"例のヤツ"が、"アレ"を渡すために俊佑を横から覗き込むようにして声をかけてきたのだ。


"例のヤツ"と"アレ"とは浮かぶのだが、それが何かというのは、一瞬は思い出せなかった。

バックから落ちましたよと言われ受け取った、見覚えのある飴玉を見て、やっとその奇跡に気がついたのだった。


この一週間、あわよくばと思いながらこれを待っていた。

しかし、今日叶ったのは、そんな事は何も考えず、無欲であったからこそ、起こった奇跡だった。


飴を受け取った少年の顔があまりに嬉しそうなので、不良集団も戸惑う。

どんな悪党でも、純粋な子供のような笑顔を見たら、邪心だらけの自分の心に響くものがあるのではないだろうか。

卓哉の純粋な笑顔により、改心してきた俊佑。

そして、サンタが来たかのように喜ぶ俊佑の笑顔により、この不良集団も心を揺さぶられた。


その不良集団は、この少年から財布を奪うことには良心が痛んだのである。

考え込んでいる人を見つけては眠らせることを試みる。無意識に飴を食べて眠った人から財布をこっそり取ってきたが、良心が痛んだのは、これが初めてであった。


俊佑は自分と同じように、この不良もどこかで道を間違えて、誤った方向に行った人達なんだろうと悟った。しかし、財布を奪われたのだ。いくら誤った方向に行ったからと、擁護できるものではない。


不敵な笑みを浮かべる少年。そして、動揺を隠せない不良集団。


大宮駅で電車が停車した。

この光景も、もう終わり。


あと数秒で扉が閉まる。そこで、

「あんたらは、そのうち通報させてもらうよ。前、財布奪われたしね。」

と言われて、自信に満ち溢れたような不敵な笑みを浮かべた少年が扉の外へと消えていったので、不良集団は背筋が凍りついていた。

それもそのはず。まだ今回は犯行はしていないのに関わらず、被疑者が面識もない、これから被害者になるであろう人から初めて言われた言葉が、「通報」だったのだから。




希望に満ち溢れるような足取りで駅を出る少年。その少年のズボンには蟻がくっついている。少年は歩きながら、その蟻に気づいたようだが、離そうとはしなかった。


あの焼け糞になって往復を繰り返した日。

携帯の時計を見ると、十四時三十二分。

ちょうど一週間越しに、神様が微笑んだ。


「お前も無事に帰れるといいな。」

連れて来た訳でもないのについてきた蟻に、とうとう愛着まで湧いてしまった俊佑。


自分の道は自分で決めろ。好きなタイミングで旅立つんだ。

そう言わんばかりに、蟻を強制的に離すことはなく、顔を上げて病室へと向かった。


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【12 助演仕事人賞】



「バイトさせてくださーい。」

と少年の声が響く。

バイト等を募集していなかった店員は戸惑っていたが、面倒と思っていた商品棚の整理をさせてみることにした。


その少年の名は、咲也。背が低く、中性的な顔をしているため中学生に見えなくもないが、つい昨日、十七歳になったばかり。俊佑の同じクラスであった。


咲也は四十分程、大きさを揃える、シリーズ物は順番に並べるといった本棚の整理をした。

「お食事買ってきまーす!」

店員は、少年が何故このような怪しげな店で、バイト募集もしていないのにも関わらず、ハウスキーパーの如く手伝いに来たのだろうかと考えていたが、まぁいいや、使える物は使っておこうと、

「お、気が利くな。よろしく。」と返し、問い質すことはしなかった。


「うまくいきそうか?」

「楽勝しょ。」


十五分くらいした後、咲也は店へ戻り、厨房へ入った。

食事と一緒にその飴を出して。と言われたけど、怪しまれる気がしてきた。

ーあの時は、飴をなめている途中でシュワッてなって、そこからは後の記憶が途絶えた。ー

友人の曖昧な証言をもとに、中身が粉状の睡眠薬だということを推測して、包丁で飴を割ったところ、思った通り、白い粉が。


さぁ、スープの中にでも入れておくか。


しかし、スープの中に入れると効果が薄れると判断し、ワンタンの中に、粉を閉じ込めたのであった。


「お持ちしましたー。」


持ってこられたスープにチャーハン。店員は食欲をそそられ、それを口にした。


「お、旨いじゃないか....っ。」

店員は褒めようとしたが、小さなお手伝いさんの姿を見つけれなかった。

褒めるのは、後ででいいかと思いながら食べ進めるが、何故だが意識が遠のいてきた。

その後、料理の腕を褒めるつもりであった、小さなお手伝いさんの姿を見ることはなかった。


厨房で隠れていた咲也が、その様子を確認した後、店の外にOKサインを出す。

店外で隠れていた俊佑が、カウンターに堂々と入り込んで腕時計を手に取り、それと入れ替えに千円札を置く。


客がが笑いながらカウンターを指差し、小さな店員に礼をして、店を出る。

周りで人が見ていたとしても、そう見えていただろう。

俊佑一人だけ駅へ戻り、数分後に、咲也と合流した。

打ち合わせ済みだった。


「咲也、本当にありがとな。」

「いやいや、親友のためなんだろ?、じゃあ俺は部活に戻るわ。」

店内の様子などを全く語ろうとしなかったため、どうやって眠らせたのか聞きたかったが、もう行ってしまった。

咲也は現役のサッカー部。くっそ、俺も一緒にサッカーやりたい。

あの憎き店員を騙した、あいつの店内の演技を生で見てみたかったな。


手には、親友の宝物を握りしめている。

取り戻すまで、長かったな。

卓哉、今から報告しに行くよ。




咲也は俊佑と別れた後、改札口を通り、ホームで電車を待っていた。

特に面白いことも起きていない、ちっぽけなホームで、一人笑っていた。


あいつは知らんやろうな。ワンタンの中に睡眠薬を仕組んだのを。



【13 Last reply】



あれ?あそこにいるのは、咲也?部活に戻ったんじゃなかったのか。

後ろ姿の似た人違いで、ただの通行人だった。


もう、同じ過ちは繰り返さない。

せっかく取り返した腕時計を、また無くすわけにはいかないと、力強く握りしめる。

腕時計だから、腕につけておけばいい。それに気づいたのは五分くらい立ってからだった。


連続して、頭の中の卓哉に、見せたこともない自分の天然さを晒してしまった。いっそ何とでも笑ってくれ。


病院に到着した。

腕時計を持ってここに来たのは初めてなので、とても怖かった。宝物を取り返したところで、卓哉の意識が戻る訳ではない。勿論、意識が戻ることを信じてはいるのだが、その結果は分かっていた。


宝物を取り戻すという目的があったから、一週間、必死に生きてきた。

その目的も失った今後、これから、どうすればいいのか。高校に復帰しても、いるはずの人がいない席を見て冷静を保てるとは、とても思わない。いなくなって初めてその存在の大切さ、みたいなものに気付く。よく聞く言葉だが、身に沁みて分かるようになった。


病室に入った。数値が低下しており、状態が悪化してきたのを目の当たりにした。

「取り返してきたぞ!」

反応なんかあるはずがない。分かっていた。

顔の前に腕時計をちらちらさせるが、結果は同じだった。

「返事してくれっ!」

悲痛な想いが叫びとなって病室をこだまする。

そして、無意識に腕時計を卓哉の腕につけた。





「えっ。」





「今、笑った...?」




確かに一瞬、口元が笑ったのを見た。




そして、




口の動きが、




a→i→a→o→uの動きをした。




勿論、声は聞こえなかったが、何て言っているのかはすぐに分かった。



ありがとう、だ。




「なんでお前がお礼なんか言ってんだよぉぉぉ!○△□☓○#$%#...。」



泣きじゃくりながら言った言葉の後半を聞き取れた人は、誰一人としていなかっただろう。



意識が戻る可能性のない卓哉が一瞬だけ、微笑み、何かをつぶやいた。

それは友情が起こした奇跡だった。

 


「おい!またタッチプールでも行こうぜ!行きたくないのか?」



しかしその後は、意識を取り戻すようなことはなかった。



【エピローグ】



今の俺にできることは、あいつのためにも俺が幸せに生きることしかないだろう。

あいつも、それを望んでいるだろう。


腕時計は俺が形見として、この先ずっと使わせてもらうね。


卓哉、蟻、あの店員、不良集団、担任、卓哉の両親...。色々な人が俺のこの物語に出てきたなぁ。なぜ蟻が二番目に出てくるのだろう。あの蟻は無事に帰れたのかな。




交差点の脇の事故現場に、花束をお供えに行ったら、もう、沢山の花が置かれていた。


ー皆に愛されていたからこそ、ここに多くの花が咲くのだ。ー


久しぶりの授業で、古文をしたから古文っぽく言ってみよう。


ー皆に思はれたればこそ、ここに多くの花が咲くなり。ー


咲くなり...。咲く也...。咲也、、、忘れてたっ。



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