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おとぎの森

作者: 柊 響華

 


 よくある話だったのだ。



 仕事で些細なミスが続いたとか、

 母親とちょっとした事で喧嘩したとか、

 恋人と別れたとか、



 そんな、誰にでもよくある出来事。




 それらが、積み重なってある日──、



 ポッキリと折れてしまった。








 夜眠る頃になって、布団に入っていつまで経っても眠れない。

 目ばかりが冴えて、そのうち、嫌な事ばかり考えて涙が止まらなくなった。


 ポロポロと涙が溢れて、でも弱った自分を誰にも気づかれたくなくて、必死に声を押し殺した。





 気付いたら眠っていて、朝、目が覚めると時間はいつもより少し遅かった。

 あ、会社に遅刻してしまうかも、そんなことを寝ぼけた頭で思った。




 それでも、急いで準備する気には慣れず、だらだらと着替えて顔を洗った。




 鏡の向こうから見つめ返した顔は、とても不細工なものだった。

 泣いて腫れ上がった目が、殊更に醜く惨めに思えた。





 結局、その日は一日会社を休もうと、会社に電話をした。

 でも、電話に出た上司の声を聞くと、一日休みますとはとても言えなくなって、体調が悪くて遅れます、とだけしか言えなかった。




 あーあ、何やってるんだか、と自分で自分が嫌になった。





 とりあえず、そのまま家を出た。

 家に残っていたら、家族は不審に思う。

 体調が悪いのか?と聞いてくるだろう。

 そうじゃないのだ、と言えば会社に行け、仕事をしろ、と言われるのは分かっていたから、会社へ行くふりをして家を出た。



 最寄駅のコンビニで、パンを買って駅の椅子で一人もそもそと食べた。


 そこで、会社へ行くか考えた。

 自分は今会社に行けるだろうか。

 会社へ行って仕事ができる状態だろうか。


 答えはノーだ。



 今のまま、会社へ行っても苦しくて仕事なんて出来そうにない。



 何をやる気も起きず、ただぼーっと過ごした。

 ブラブラと歩いて、本屋に寄っては、鬱の本だとか、落ち込んだ時に読む本だとか、そんな本ばかり漁ってみたりした。




 でも、買って読む気力も起きず、かといって立ち読みで読み込む気力もなく、ただパラパラとめくって終わる。





 お昼近くなり、あー会社に電話しなければ、と携帯電話を取り出すも、なんと言おうか、嫌味でも言われるだろうか、など考えてしまい中々電話をかけらない。

 思い切って電話をしてみると、あっさり休みの了承は得られた。



 晴れて、一日自由となったわけだが、何をすればいいのか、何をしたいのか分からなかった。






 強いて言うなら、家に帰って眠りたい。

 昨日は泣いていて、よく眠れなかった。

 布団に絡まり、眠りたかったが、それはできない。




 具合が悪くて早退した、そういえばいいのだが、うまく言える自信がない。


 具合が悪いのだ、そう言った瞬間泣き出しそうである。






 行く宛てはなかったが、とりあえず歩き出す。

 ふらふらと歩く私の姿はさぞ不審者であることだろう。







 気づけば全く見覚えのない住宅街にいた。



 レンガでできた洋風の建物が続く。

 たまに見かける洋風の家だが、こんなにたくさんの家が揃って洋風なのは、珍しい。



 どことなく異世界に迷い込んだような気分だ。





 ぼーっとしながら、歩き続けた。




 本当に自分はどうしてしまったのか、何だが泣きそうになってしまった。


 その時、ふと目に付いたのは、家と家の合間にひっそりとあった細い小道。


 石畳の道の向こうは、草木が生い茂っている。

 風に揺られる木々がまるで、私を呼んでいるみたいだった。




 あー、昔読んだ絵本にこういうのあったな、そんな気持ちで小道に足を踏み入れた。











 道は意外と長く続いていた。

 あっという間に、家のレンガは見えなくなって木に両脇を挟まれた道は、まるで森の中のようだった。



 暗いところや、怖いものが苦手な私だったが、不思議と薄暗いこの小道が怖くなかった。




 不思議な気持ちに包まれていた。

 まるで、異世界に迷い込んだみたいに。



 空を覆い隠すみたいに、木々が生い茂っている。

 進めば進むほど、不思議な空気を感じる。





 ほら、何だっけ。お伽話に確かこんなのあったはず。

 異世界に行くような話。




 まぁ、何でもいい。



 今、私の目の前を、花びらが舞っている。


 ううん、違う。

 これは、花びらじゃない。花弁でできた蝶。



 羽が、花びらで出来ている。

 白、薄桃色、青、紫。

 百合? 桜? あれは、紫陽花?

 よくわからない花びらの形をした蝶がひらひらと、目の横を飛んでいく。




 幻想的で、美しい──。

 世の中にはこんな蝶がいるのか。



 それとも、私は夢を見ているのだろうか。




 一歩、一歩と踏み出していく。




 見上げると木々の合間から漏れる木漏れ日に混ざって蛍のように光る虫がいた。


 蛍?ううん、あれは違う。

 蛍よりももっと強烈で激しい光。


 ダイヤモンドみたいに、キラキラと輝いている。






 ああ、あれは花だ。

 ううん、綿帽子?



 とにかく、虫ではない。



 キラキラと光る植物が木漏れ日に混じって、風に揺られて降り注ぐ。




 ふわふわと落ちてくるキラキラ光り輝く綿帽子。

 触れると、弾けて消える。





 嗚呼。

 本当にお伽話の世界に紛れ込んでしまったようだ。






 屈みこんで、地面をよく見ると、砂つぶは白く小さな星の形をしている。



 花びらの蝶。

 光る綿帽子。

 星の砂粒。



 なんて、綺麗なんだろう──。




 幻想的で神秘的なもの美しさに、目を奪われながら歩き続けると、ふわふわと、綿飴のような霧に包まれた。



 これは、霧ではなく雲なのだろうか?


 いや、雲も触れないはず。


 触れることができる雲のようなものを掻き分けて行くと少し開けた場所に出た。





 そこには、大きな大きな、神秘的な生き物がいた。


 自分よりも遥かに大きな体は銀色の毛に覆われ、ふわふわと柔らかそうだった。



 これは何ていう生き物なのだろうか?


 頭は狐と猫を足して二で割ったようで、前足は猫のような形をしているが、後ろ脚は猛禽類のそれのようだ。


 胴に折りたたまれた大きな翼があり、尾は三本。

 根元の方は、狐のようにふっくらとしているが、先の方になるにつれ、透明で孔雀かなにかのように細く長い。





 たくさんの蝶が、耳や頭に止まっていた。



 傍目には花びらがくっついているようにしか見えないが、パタパタと花びらが動いているので、先程の蝶だ。



 綿帽子が舞い落ちては、生き物の上で光り弾ける。




 不思議と食べられてしまうかも、という恐怖は感じなかった。





 まるで、神様のように神秘的だったからだろうか。




 本当にこれは現実なのだろうか。

 私はきっと、夢でも見ているに違いない。





 夢ならば、ずっと覚めなければいいのに──。






 そっと、近寄りその体を撫でて見ると、思った通り、ふわふわと柔らかかった。



 本当にそれだけのことなのに、何故か涙が止まらなくなってしまって、


 子供の頃に戻ったみたいに、大きな声を出して泣いてしまった。







 その神秘的な生き物は、その間ずっと、長い尾で私の頭を撫でてくれた。












 気がつくと、私は家の最寄駅の椅子に座っていた。

 驚いて、慌てて時間を確認すると、お昼を少し過ぎたところで会社へ電話した履歴が数分前にあった。




 おかしい。

 私は夢を見ていたのだろうか。



 でも、確かにふわふわと柔らかい毛並みの感触をこの手に覚えてる。



 あの美しく幻想的な空間を覚えてる。



 ああ、でもすごく晴れやかな気分になっていた。

 一瞬だけお伽話の世界に迷い込んだのだろう。

 そう思おう。



 凄く良い夢だった──。





 どこをどう歩いたのかもわからないし、もう一度あの場所へは行けないだろう。





 お伽の世界は永遠に見続けられるわけではない。


 夢を見続けていたら、現実の世界では生きていけないから。



 あの幻想的で美しい世界は、私の記憶の中にあり続ける。



 嗚呼、本当に嘆息するほどに美しい夢だった──。



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